【第14話】力では、届かない
その日の現場は、これまでとは毛色が違った。
熊沢が回してきたのは攻略の依頼ではなかった。多摩の丘陵に開いた中危険度ゲート。その最奥に巣くう魔物が体内に希少な結晶を生むという。それを一つ、傷つけずに持ち帰ってほしい。客がそう望んでいるらしい。
「妙な依頼だがな」と熊沢は言った。「大手が束で入りゃ、巣ごと薙ぎ払っちまう。結晶も砕けて使い物にならん。欲しいのは綺麗なやつを一つだ。数で押す仕事じゃねえ。……お前の得意な、静かなやつだよ」
俺はうなずいてゲートをくぐった。
中は湿った岩の洞窟だった。奥へ奥へと枝分かれする蟻の巣のような構造だ。そこかしこに甲殻に覆われた蟲型の魔物が群れている。一匹は俺の腰ほどの大きさ。だが数が多い。そして硬い。仕掛けも罠もない。ただ物量と耐久で押し潰す。そういう手合いの現場だった。
入ってすぐ、俺はこの場所が自分に向いていないと悟った。
俺の目には魔物たちの弱点がはっきり見えている。甲殻の継ぎ目。動きの起こり。急所の位置。だが、それが役に立たない。一匹の急所を正確に突いて仕留める。その間に後ろから三匹が来る。倒す速さより、湧いてくる速さのほうが上なのだ。精密な一撃は一対一でこそ光る。群れの前ではただ遅いだけだった。
力さえあれば話は早い。まとめて薙ぎ払い、押し通ればいい。だが俺にその力はない。合計百二十二のD級。素の身体は非力なままだ。観察は俺に弱点を見せてくれる。だが、それを砕く腕力までは貸してくれない。見えることと殴れることは、別なのだ。
考えている間にも、群れは俺の周りを囲み始めていた。一匹を刺せばその分だけ囲みが縮まる。甲殻の脚がすぐ足元まで迫っている。このまま真ん中で戦えば、遠からず飲み込まれる。背中を冷たい汗が伝った。速くは動けない。硬い体を力で押しのけることもできない。囲まれきる前に動くしかなかった。
だったら、力のいらない勝ち方を探すしかない。
俺は戦うのをやめて、この巣そのものを見た。
天井の岩の罅。脆くなった支え。狭まる通路。魔物たちの動く筋道。餌を巡って同族に牙を剥く荒い気性。全部が盤面の駒として見えてくる。俺一人でこの数は捌けない。だが、この巣の造りとこいつらの性質を使えば話は別だ。力で押せないなら、こいつら自身の力をぶつけさせればいい。
俺は狭い通路まで退いて群れを一列に誘い込んだ。太い個体が先を争って押し合う。餌場を巡る諍いが始まった。前の一匹に後ろの一匹が食らいつく。同士討ちだ。群れの勢いがそこで鈍る。
その隙に俺は、脇の脆い支柱を蹴り崩した。罅の走った岩盤が鈍い音を立てて落ちてくる。狭い通路が土砂と岩で塞がれた。群れの半分がその向こうに閉じ込められる。残ったのは数匹。これなら捌ける。一匹ずつ起こりを読んで継ぎ目に刃を通していく。一対一に持ち込めば、そこは俺の土俵だった。
◇ ◇ ◇
巣の最奥に、目当ての魔物はいた。
牛より大きな女王格の個体。全身を分厚い甲殻に覆われている。その腹の奥で、青白い結晶が脈打つように光っていた。あれが依頼の品だ。
女王の弱点も俺の目には見えていた。腹の下の、卵を抱える柔らかい隙間。だが問題はそこじゃない。あの隙間へ刃を届かせる踏み込みが、この身体には出せない。分厚い甲殻をこじ開ける力が俺にはない。弱点は見えている。だが、届かない。この巣は最後まで俺に同じことを突きつけてきた。
一度だけ試した。女王が身をよじった隙に踏み込み、隙間へ短刀を突き入れる。刃は確かに柔らかい場所を捉えた。だが、そこまでだった。分厚い肉の壁に阻まれて刃はほんの浅くしか通らない。もう一押しの力が、この腕には残っていなかった。女王が身震い一つで俺を撥ね飛ばす。地面を転がってどうにか距離を取った。この持ち方では、こいつは倒せない。見えていても、俺の身体では届き切らないのだ。
まともにやれば押し負ける。だから、まともにはやらなかった。
俺は女王を、さっき崩した土砂の山のほうへ誘った。挑発し、突進を誘う。巨体が地を蹴った。その突進の軌道の先に俺は身を置く。ぎりぎりまで引きつけて横へ跳んだ。
女王は勢いを殺せず、土砂の山へ突っ込んだ。崩れかけていた岩盤がその衝撃でもう一度崩れる。落ちてきた大岩が女王の背を打った。分厚い甲殻が鈍い音を立ててひび割れる。巨体が半ば土砂に埋もれて動きを止めた。
今だ。
俺は駆け寄って、ひび割れた甲殻の隙間から腹の奥の結晶をもぎ取った。青白い光が手の中でまだ脈打っている。傷ひとつない、綺麗な一つだ。
女王が土砂の下で咆哮を上げた。埋もれた巨体が身をよじって岩を撥ね飛ばす。まだ死んではいない。この巣を仕留めきる力は俺にはなかった。だが、それは俺の仕事ではない。結晶は手にした。あとは生きて出るだけだ。俺は身を翻して、来た道を駆け戻った。
◇ ◇ ◇
ゲートの外へ転がり出て、俺は荒い息のまま座り込んだ。
際どかった。跳ぶのがあと一瞬遅ければ、あの突進に潰されていた。二の腕に、甲殻をかすった浅い切り傷。血が滲んでいる。無傷で帰る、が俺の流儀だ。それを久しぶりに破った。
観察は俺にすべてを見せてくれる。弱点も、軌道も、崩れる一点も。だが、見えることと届くことは別だ。今日の現場はそれを嫌というほど教えてくれた。この身体は非力なままだ。盤面を読んで、借り物の力でしのいでいるだけ。純粋な力比べになれば、俺には天井がある。それははっきりしていた。
それでも、と俺は思う。届かないなら、届く形に持ち込むまでだ。力がないなら力の要らない盤面を作ればいい。今日もなんとかそうやって生きて帰った。手の中の結晶がその証だ。
立ち上がって、ゲートに背を向ける。そのときだった。
入れ替わりに真新しい装備の一団が、ゲートへ向かって歩いてくるところだった。胸には大手ギルドの紋章。〈天鱗〉。その先頭を歩く男に俺は目を留めた。
背が高く、隙のない身のこなし。強い。一目で分かる本物の力だった。この男の身体は俺のような借り物ではない。素のままで格上を薙ぎ払える。そういう作りをしている。羨むより先に、つい見入ってしまうほど危なげのない力だった。
だが、と思う。あれほどの力を持ってなお、この男の目は俺が見ているものを見ていない。さっきの巣の造りも、天井の脆い一点も、たぶん視界には入っていないだろう。力で薙ぎ払えるなら、読む必要などない。力と、目。俺たちはまるで逆の場所に立っている。
男はすれ違いざま、俺をちらりと見た。土に汚れ、腕に傷を負った無名の単独ハンター。値踏みするまでもない、という目だ。
「D級が、この巣にソロで? ……命知らずだな。生きて出られただけ、運がいい」
男はそれだけ言って通り過ぎていく。桐生。連れの一人がそう呼んでいた。
俺は言い返さなかった。この男の目に、俺は運で生き延びた半端者と映っている。それでいい。何をどう見て抜けてきたか説明したところで、どうせ信じはしない。真実は、たいてい信じてもらえないほうだ。もう慣れていた。
俺はその背を見送った。あの男は、俺が抜け出てきたこの巣を、力だけで真正面から薙ぎ払うのだろう。俺には逆立ちしてもできないやり方で。
悔しさとは、少し違った。ただ、力とは何なのか。強さとは、どこにあるのか。あの男の力と、俺の目。まるで種類の違うそれが、いつか同じ土俵に並ぶ日が来るのか。その答えは、俺の中でまだ形にならないまま静かに揺れていた。
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