【第12話】結果しか見ない店主
「仕事を、探してます」
俺はそう答えた。男は俺を上から下までざっと眺める。だが、その目に侮りはなかった。品定めというより、荷物の重さを量るような目だ。実務的な視線だった。
「ランクは」
「D級です」
いつもなら、この一言で話は終わる。〈D〉の一文字を見た瞬間に相手の興味は消える。門前払いの合図だ。俺は次の言葉を待った。「悪いが」でも「募集はC級から」でも同じことだった。
だが男の返事は、そのどれでもなかった。
「で?」
「……で、とは」
「D級ってのは鑑定が勝手に測った数字だろう。俺が聞きてえのはそっちじゃねえ。この一週間でお前はどのゲートを何時間で抜いた。それだけだ」
一瞬、言葉に詰まった。そんなことを聞かれたのは覚醒してから初めてだった。皆、俺の証の一文字を見て全部を決めてきた。中身を問われたことなど一度もない。
俺は正直に答えた。昨日の板橋の低危険度ゲートを二時間。その前は北区の廃工場型を単独で半日かからず。先週の分も順に。誤魔化す理由はなかった。
男は手元の古びた端末を叩いて、いくつかの現場を照らし合わせているようだった。北区の廃工場型。あの階層の造りも出る魔物も、この男は知っている。現役の頃に潜った現場なのだろう。だからこそ、俺の言った時間が何を意味するかを正確に測れる。嘘や誇張ならすぐに見抜かれる。だが俺は本当のことしか言っていない。
男は腕を組んで黙って聞いていた。聞き終えると、片方の眉をわずかに上げる。
「……単独で、その時間でか」
「はい」
「妙だな」
独りごちるように男は言った。
「その手の現場は俺も現役の頃に潜った。D級のソロで抜ける速さじゃねえ。数字と仕事がまるで釣り合ってねえよ」
来た、と思った。いつもの流れだ。ありえない。まぐれだ。嘘だろう。そう言われて終わる。俺は静かに次を待った。
だが男はそれ以上、詮索しなかった。釣り合わない。ただそう呟いただけで、理由を暴こうとも嘘だと決めつけようともしない。
「まあいい」
あっさりそう言って、店の奥へ顎をしゃくる。
「立ち話もなんだ。入れ」
◇ ◇ ◇
〈月虹〉の中は、外から見た通りにこぢんまりと古びていた。壁際の棚に色褪せた攻略資料が雑多に積まれている。壁の依頼票は数えるほどしかない。景気のいいギルドではない。それはひと目で分かった。
男は熊沢と名乗った。この小さなギルドのたった一人の店主だ。
椅子を勧められ、番茶を一杯出された。その合間にも俺の目は勝手に熊沢を拾っていく。右膝の古い故障。もう長く前線に立っていない体。それでいて目の奥に残る現役の頃の鋭さ。棚の資料はどれも数年前で日付が止まっている。この店がある時期から時を止めていることが、置かれた物の一つひとつから読めた。かつては人の集まるギルドだったのだろう。今は違う。だが、それを詮索する気はなかった。俺のほうも詮索されたくない身だ。
熊沢は単刀直入に条件を告げた。ランクによる区別はなし。仕事は出来高払い。抜いた分だけ正当に払う。危険度と時間に応じて額はきっちり計算する。精算はその日のうちに。
俺はその言葉を静かに聞いていた。
どれも当たり前のことのはずだった。だが、その当たり前を俺はずっと与えられてこなかった。ランクという一行の裏に俺の仕事はいつも押し込められてきた。ここでは違う。抜いた現場とかけた時間だけが俺の値打ちになる。淡々と受け止めながら、胸の奥がわずかにほどけていくのを感じた。居心地がいい。それに近い感覚を久しく忘れていた。
仕事をまっとうに回してもらえる。それだけで来月の家賃の計算が少し楽になる。陽菜にもう少し何か食わせてやれるかもしれない。俺が欲しかったのは、結局そういう地に足のついたことだけだった。
「名前は」
「相馬 湊です」
「相馬か。覚えとく」
熊沢はそれだけ言って、湯呑みに口をつけた。俺の名前を、ランクより先に置いてくれた。そんな相手も、初めてだった。
「一つ、聞いていいですか」
「なんだ」
「どうして、ランクを見ないんですか」
熊沢は少しだけ間を置いた。それから右膝を、無意識にさすった。
「昔、嫌というほど見てきたからだ。数字は高いのに現場じゃ使えねえ奴と、数字は低いのに誰より仕事をする奴とをな。鑑定の一行なんざ当てになりゃしねえ。俺はもう、そっちは信じねえと決めてる」
多くは語らなかった。だが、その一言の裏には俺には計り知れない重さがあった。この店が時を止めた理由も、たぶんそこにあるのだろう。俺はそれ以上聞かなかった。詮索されなかった礼だと思えば、ちょうどよかった。
◇ ◇ ◇
話がまとまると、熊沢は棚から一枚の依頼票を抜き出して机に置いた。
「さっそくで悪いが、一つ回していいか。……といっても、あまり気持ちのいい仕事じゃねえ」
票にはゲートの情報が並んでいた。中危険度。ギミック型。場所は西多摩の外れ。
「うちみたいな弱小に回ってくるのは、大手が旨みがねえと捨てた仕事か、危なくて誰も手を出さねえ仕事か、どっちかだ。これは後者でな」
熊沢は票の隅を指で叩いた。
「この一月で、三つのパーティが途中で引き返してる。中の仕掛けがきつくて、まともに奥へ進めねえらしい。床が抜ける。道が塞がる。灯りが消える。報告はどれもばらばらで、誰も攻略の糸口を掴めちゃいねえ。ブレイクまではまだ猶予があるが、このままじゃ、いずれ誰も手を出せねえまま時間切れだ」
だから、こんな弱小のところまで話が下りてきた。大手が匙を投げた厄介事の行き着く先が、この〈月虹〉なのだ。
棚の依頼票の少なさが、そのまま店の台所事情なのだろう。難物ばかりが回ってきて、こなせる者がいなければギルドは静かに干上がる。ランクも知れない流れ者の俺に熊沢が賭けるのも、たぶんそこに理由があった。だが、そういう切実さをこの人は表に出さない。頼み込むでもなく、ただ淡々と仕事だけを差し出してくる。
「正直、D級のソロに勧める現場じゃねえ。無理だと思ったら、途中で引き返してくれて構わん。それでも日当は出す。……だが、お前の抜き方を聞いてたら、ふと思ってな」
熊沢は俺を見た。試すというより、確かめるような目だった。
「お前になら、何か見えるんじゃねえかとな」
俺はその依頼票を手に取った。ギミック型。誰も奥へ進めない部屋。
三つの異変は、ばらばらに見える。だが案外、一つの仕掛けが生む別々の顔なのかもしれない。三つのパーティはそれぞれ一つの異変に躓いて引き返した。全体がどう成り立っているかを、たぶん誰も見ていない。
仕掛けというのは、必ず何かで成り立っている。歯車でも術式でも条件でも。成り立っているなら、どこかにそれが破綻する一点がある。三つのパーティに見えなかったものが俺に見えるかどうかは分からない。だが、見てみないことには始まらない。
「やります」
俺は答えた。声はいつも通り静かだった。
熊沢はふっと口の端を緩めた。それだけだ。だがその小さな表情には、値踏みでも憐れみでもない、ただ仕事を任せる者の顔があった。ランクでも同情でもなく、対等に扱われている。それが妙にありがたかった。
胸の内には久しぶりに、かすかな手応えのようなものがあった。俺の目を、初めて誰かが仕事として買ってくれたのだ。誰も抜けなかった部屋が、俺を待っている。行って、確かめるだけだ。
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