11:二人目の犠牲者
寝たふりを始めてからおよそ一時間後。
どさりと、窓の外で何かが落ちる音がした。
瞬時に上体を起こし、窓の外に目を向ける。
すこし雲が晴れたのか、月明かりが照らす大地の上に人の姿が一つ。
忍者として鍛えられた私の夜目は、正確にその人物の正体を見抜いていた。
「夜行キリカ」
対象の名前を呟き、すぐさま駆け出せるよう足に力を籠める。
ただそのまま窓を開け飛び掛かるようなことはせず、少しの間彼女の動きを窺った。
痛みと当惑、そして憤怒が入り混じった表情を浮かべた彼女は、足を引きずらせながらホテルから遠ざかる方へと歩いていく。
私は数瞬の黙考の後、
「待て!」
と叫び声を上げ窓を開けた。
私の叫びに驚いたのか、夜行はびくりと怯えた様子を見せる。しかしそこで足を止めることなく、さらに急いで山の中へと逃げようとした。
一般の女性よりわずかに速い程度を意識しつつ、私は駆け出した。
幸いにも夜行は足をくじいたようで逃げる速度は速くない。
一分と経たずに深夜の追いかけっこは終わり、彼女は私に組み伏せられていた。
「夜行さん、どうして窓から飛び降りて逃げようとしたんですか?」
「……殺人犯と一緒のホテルにいるのが怖かったからよ」
こんな時間に決死の脱走を図った割に、夜行は抵抗するそぶりも見せず返答した。
訝しむ気持ちもありつつ、お決まりの疑問を投げかける。
「だとしても、深夜に逃げ出すのはいくら何でも無謀じゃないですか? 夜の山の恐ろしさくらいご存じでしょう?」
「別に、そこまで遠くに逃げるつもりはなかったのよ。犯人にも居場所を知られているあの部屋から出られさえすれば良かったの」
「そうですか……」
理屈は通っているように感じる。その反面、やはり彼女の態度から真実を言っているようには見えなかった。
「でも申し訳ないですけど、こうして見つけてしまった以上一人にはできません。大人しくホテルに戻ってきてください」
「分かったわ」
やはり怪しい。
あまりにも素直な夜行の態度に違和感を強めながら、彼女に肩を貸し、共に休憩所へと戻る。
私の叫び声を聞きつけてか、休憩所には二階にいた理桜と山神含めほぼ全員が揃っていた――全員でなく、ほぼ全員。一人かけている。
「出雲さんはどこですか」
皆の質問に晒されるより早く、私はその場にいる全員に問いかけた。
言葉通り、この場にはなぜか出雲の姿がない。二階にいた理桜たちも下りてきたのだ。まさか一階ロビーで寝ていた彼に聞こえていないはずがない。
彼と一緒に寝ていたはずの黒木と猫又を交互に見る。
二人は困惑した様子で顔を見合わせると、
「確かトイレに行ったような?」
「そう言えばまだ帰ってきてないね」
などと惚けたことを言ってくる。
私は素早く理桜に視線を送ってから、「トイレってどこのですか」と二人に詰め寄った。
「あ、えと、食堂側の男子トイレだと思う。僕もさっき使ったけど、水はしっかり流れたから」
「思う? 中に入ったのを確認したわけじゃないんですか?」
「そ、そこまでは……。出雲さんがトイレに行くって言って、食堂側に向かったからそう思っただけで……」
なぜ三人で行動しなかったのか、などと無駄なことは言わない。
夜行の身柄をヒスイに渡すと、私は駆け足で出雲が入ったと思われるトイレに向かった。
男子トイレであるがお構いなしに中に入る。
しかし出雲の姿は見当たらない。
隣の女子トイレものぞいてみるが、こちらも人の姿はない。
刹那の思考。考えるよりも動けと結論が出る。
女子トイレ横のランドリールームを開け中に人がいないことを確認。
その隣の102号室を開け――私は立ち止まった。
部屋奥、窓のすぐ横で倒れている出雲の姿。そしてその隣に散らばっている数本のスプレー缶。
扉を開けた瞬間に感じた僅かな体の異常。忍者として死線を潜り抜けてきたことで培われた死の予感が、目の前の部屋に強く反応する。
スマホ片手に私の後を追いかけてきた猫又が、中の惨状に「ひっ」と悲鳴を上げる。さらにその後ろから現れた山神が、「うっ」と口元を押さえてから、出雲を助けようと中に入ろうとする。
「中に入るな!」
不審に思われるのは覚悟のうえで、私は大声を上げた。
びくりと動きを止めた山神を下がらせ、理桜を見る。
理桜は険しい表情でしばらく部屋の中を見た後、「外に回ろう」と提案してきた。
何が起きているか分かっていない様子の皆を無理やりロビーまで戻し、「絶対に102号室には入らないでください」と言いおいてから外へ出る。
102号室がある窓前までいくと、口元を片手で覆いながら窓に手を伸ばす。
鍵がかかっているかもと思ったが、窓はあっさりと開き、中の空気を吐き出し始めた。
「どれくらい換気したらいいかな?」
「あの缶の本数的に十分もすれば換気されると思うが」
「念のため三十分は開けておこうか」
そう話しながらも、私の頭の中では一抹の後悔と、無数の謎が脳内を駆けずり回っていた。




