10:妖とは
今度こそ二人に別れを告げ、一階へと下りる。
ロビーではすでに黒木が寝袋にくるまり、猫又が自撮り棒を使っての撮影を行い、出雲が険しい表情で寝袋の上に胡坐を組んでいた。
まさしく三者三様だなと思いつつ、ヒスイの姿を探す。
しかしロビー周辺には見当たらなかったため、黒木に声をかけた。
「ヒスイどこに行ったか知りませんか?」
「彼女なら河村さんと一緒に休憩所にいるよ」
寒いのか頭以外全身を寝袋に突っ込んでいるため、視線で休憩所の方を示す。
頭を下げて感謝の意を示すと、私は速足で休憩所に向かう。
先ほど理桜に言われた言葉を脳内で反芻する。
なぜ私が彼女をここまで信じているのか。ひそかに精神操作を受け彼女に魅了されているんじゃないか。
しかしもしそうだとすれば、今の私にはもう無意味なはずだ。
今の私はかつてないほど理桜への愛で溢れている。もはや別の女が介入する余地など一ミリも残っていない。
さて、あいつの姿はどう映るか。
足を止めることなく休憩所の扉を開け中に入る。
中にいた二人は、勢いよく入ってきた私に驚いた表情を向けてきた。
「ネネちゃんお帰り~。そんなに勢い込んで何かあった?」
「え! まただれかやられたんすか! もしかして寝てる場合じゃなかったりするっすか?」
「……大丈夫。何も起きてないから」
別に、ヒスイの姿は先と何も変わって見えない。そもそも最初から、私は彼女に恋心を抱いていたわけではない。顔や仕草から可愛いなと思うことはあったが、それだけのこと。改めて見たからと言って、何か印象が変わるわけもなかった。
そう、別に信用しているから彼女を一人にしたわけじゃない。協力要請をしてきた流れから、裏切るとしても今ではないと判断したから、彼女を一人にしただけのこと。
最初から理桜が心配するようなことは何もなかったのだ。
自身の思考に一つ結論が付き、少しだけ心が軽くなる。
念のため扉が閉まらないよう細工をしてから、私もリュックから寝袋を取り出し、就寝の準備を始めることにした。
ちょっとの話し合いの末、私とヒスイが休憩所の窓側――休憩所は外に面した側が、食堂同様にガラス張りになっている――に、河村には扉側で寝てもらうことになった。
一応、殺人犯や妖云々関係なく、成人男性と同じ部屋で一緒に寝るというのはリスクがある。無論私なら瞬殺できるが、あまり強いと他の人に疑われかねない。
余計なイベントが発生しないよう考慮するのは大事なことである。
ヒスイは寝袋を持っていないため、近くの客室から持ってきたマットレスの上で横になり、猫又から借りたというブランケットを掛布団代わりに使っていた。
「なんだか、修学旅行の夜みたいだね」
足をばたつかせながら、少し浮ついた声でヒスイが言う。
私はそんな彼女に冷めた視線を向けた。
「何呑気なこと言ってるの。ここでついさっき人が殺されて、今だって妖が私たちを殺そうと狙ってるんだよ。もっと緊張感もってよ」
「はーい」
どう考えても分かっていな返事をする彼女に溜息を零しつつ、私は先ほどの理桜の説を話した。
「ところで、ここに潜んでいる妖だけど蛇女っていうのはあると思う? 下半身を蛇の姿に変身させて、三目さんを縛り殺した可能性」
「蛇かあ。でもそれだと、締め上げた時に鱗の痕が残るんじゃない?」
「そこはほら妖だし。模様がないタイプかもしれないじゃん」
「うーん、今更だけどさ、妖っていったい何なの? 他の生物と具体的に何が違うの?」
「……それ、妖であるあなたが聞く?」
「いやあ、結局あたしはあたし以外の妖について全然詳しくないから。ほら、ここはその道のスペシャリストの意見を聞きたいなって」
「はあ、仕方ないわね」
妖のことは機密情報であるが、相手が妖本人であれば話しても問題ないだろう。
私は里で習った妖の知識を披露する。
「妖は人やその他生物ではない、何だか分からない存在の総称よ」
「おー、だいぶざっくりしてるんだね」
「ええ。実際分かってることはほとんどないから。この世界に昔から存在していて、時折人の生活を害する厄介な存在。動物や植物とは異なり繁殖方法が不明で、突如として世界に生み出される。ああ、霊とかが身近で分かりやすいけど、人が死んだ後に妖になるケースもあったりするね」
「ふーん。それにしても、実際に存在する割に今は全くその存在を確認されてない、っていうか信じられてないのはどうして? 人なんかよりはるかに強い妖だって存在するよね? なんで表舞台に出てこないの?」
「いやだからそれ、妖であるあなたの方が詳しいんじゃないの? まあいいけど」
ますますヒスイが本当に妖なのか怪しくなってきた。いや、妖とこんな話をしたことがないため、これまで退治してきた妖も自分の存在についてあまり理解していなかった可能性はあるが。
「妖が表舞台に出ない理由は分かってる。彼らは、人間の視線が弱点なの」
「視線が弱点?」
ヒスイは首を傾げて繰り返す。
なぜこいつは理解していないんだと思いつつ、続きを話す。
「そう。妖は大勢の人間に見られれば見られるほど力を失い弱体化する。最悪消滅してしまう。そう言う性質があるの」
「あたしが言うのもあれだけど、そんなことある? 視線って、見つめる行為をさす概念的なもので、実際に何か出てるわけじゃないよね?」
「そうだね。でも感覚的には分からなくないんじゃない? 私なんかは忍者をやってるからなおさらかもしれないけど、誰かに見られている――視線を感じる瞬間ってたくさんあるんだよ。言霊、とは少し違うかもしれないけど、見るという行為はそれだけで何かを発生させている可能性はあると思うの」
「そっかー。見られることが妖の弱点。だから姿を潜めて、こんな山奥で人を襲ったりしてるんだ」
「昔に比べて最近は妖の目撃情報が減ってるけど、これは純粋に昔より人が増えて視線の数が増えたから、それと監視カメラの影響だって言われてる。こうした山奥でもないと、どこでも視線が集まるようになって、妖は一層表舞台には出られなくなってるって」
「ふんふん。いろいろと興味深いねー」
「だからそれはどの立場で言ってるのよ……」
妖のくせに妖に興味を持つとか、本当にいったい何なのか。
変種、という言葉だけではかたずけられない何かが秘められている気がする。
ヒスイはしばらく私の話を咀嚼していたようだが、ふとまた首を傾げ尋ねてきた。
「そういえば、今回の妖はネットを使ってるみたいだし、たぶん人に化けて社会生活を送ってるよね。そう言うのは一般的なの? というか、それは大丈夫なの?」
「私は別に妖じゃないから、これはあくまで経験からくる仮説でしかないけど。人に化けている間は視線を向けられても平気らしいよ。あくまで本来の妖の姿をしている時のみ視線に弱くなるみたい」
「じゃあ、今の社会って結構な数の妖が潜んでいる可能性もあるの?」
「ある。面倒な話だけど」
実際、最近の忍者の里ではその手の話題がよく出てくる。人に紛れて生活する妖をどうあぶりだすか。また、この時代ゆえに生まれる新しい妖の対処法について。
「妖は人に化けられるのがメジャーなんだねえ。ああじゃあさ、人から妖の姿に戻ったり、妖から人の姿に化けるのってそんな簡単にできるものなの?」
「だからそれはあんたの方が詳しいでしょって。むしろ今ヒスイは人に化けてるんでしょ。簡単に元の姿に戻れるわけ?」
ヒスイはどこか複雑な笑みを浮かべ、「私はこれが本当の姿だから」と言った。
「姿かたちはこの状態が、あたしという妖の本当の姿で間違いないんだー。だから変身がどうとかはよくわかんない。あ、でも、妖としての力を使うのは人が体を動かすのと同じくらい自然にできるから、化ける行為が妖の本来持つ力なら、たぶん簡単にできるんじゃないかなあ? 個体差はあると思うけど」
「……」
真っ暗い部屋の中、私は目を細めてヒスイの体をなぞった。
見た目は普通の人間と何も変わらない。手に水かきもないし背中に羽が生えてもいない。尻尾も見当たらず、妖らしい特徴は何もなかった。
果たしてここまで人間にそっくりな妖がいただろうか? もしかしたら彼女こそ、ここ最近生み出されている新しいタイプの妖なのかもしれない。
私からの猜疑の視線に気づいたのか、ヒスイはスライム笑顔を浮かべ敵意のなさをアピールしてくる。
どこか気の抜けるその顔を見ていると、どうしても警戒心が薄くなる。
やはり精神干渉系の妖なのだろうか。
私は話を切り上げるように寝返りを打つと、目を閉じ、耳をそばだて、妖が動き出すのを待った。




