6.直接行けばいい
(……惚けるべき?それとも、素直に認める?)
一国の歴史について調べていたというだけなら、別段隠すようなことでもない。だが、リリスは以前からフェルナンについて何か知っているような素振りを見せている。
下手に誤魔化せば、かえって何かあると勘繰られるかもしれない。そう判断し、聖花は本を抱え直しながら小さく頷いた。
「はい。パトリシア王国について少し興味がありましたので」
「ふぅん」
リリスは楽しそうに目を細めると、聖花の返答を吟味するように僅かに首を傾けた。
「なんで?」
「なんで、と言われましても……」
理由を問われること自体は予想していたが、どこまで答えるべきなのか迷う。シンシアのことから本の内容のこと、それから、結果として彼とパトリシア王国の関係を疑っていること。
リリスに全て話す必要はないと結論付ける。
「気になったから、としか言えません」
「…………」
返事がない。いつもであれば多少曖昧な返答をしたところで「へえ」と笑うなり、「セイカって秘密主義だね」とからかうなりするはずなのに、リリスは何も言わないまま聖花を見つめていた。
数秒程度の沈黙だったはずが、静かな図書室の中では妙に長く感じられる。
「……リリス様?」
思わず呼び掛けると、そこでようやく彼は小さく笑った。
「いや。てっきりフェルナンのことを調べてるのかと思っちゃった」
「……何故ですか?」
今度は聖花が間を置かずに問い返した。パトリシア王国についての本を持っていただけで、どうしてそこからフェルナンへ結び付くのか。ある程度予想は付くが、こちらから彼の名を出したわけでもない。
聖花が怪訝そうに見つめると、リリスは不思議そうに瞬きをした。
「何でって……調べたんなら分かるでしょ?」
その一言で、今度は聖花が黙り込んだ。
確かに分かっている。だからこそ、この国について調べていたのだ。しかしそれを素直に認めれば、自分がフェルナンについて相当深く調べようとしていることまでリリスに知られる。
どう答えるべきか迷っている間にも沈黙だけが続き、やがてリリスは僅かに口角を上げた。
「その沈黙、肯定ってことでいいよね?」
図星だった。ここまで来て誤魔化したところで恐らく意味はない。聖花は観念したように小さく息を吐くと、抱えていた本へと一度視線を落とした。
「……はい。少しだけ」
「少しだけ、ねぇ」
どう考えても信じていない声音だったが、そこはあえて無視する。
「でも、なんで調べたの?」
「それは……」
「僕、前に忠告したばかりだよね?」
軽い口調は変わらない。しかし聖花はすぐに答えられなかった。忠告を無視するように彼のことを調べているのだから、問い詰められても文句は言えない。
とはいえ、聖花にも何もしないままではいられない事情がある。フェルナンは今の自分をかつて捕らえたカナデだと認識しているおり、そして今では理由も分からないまま自分だけを避けている。
危険だから近付かない、で済ませられる相手ではなかった。こちらの事情を知っている以上、むしろ何を考えているのか把握できないまま目の届かないところへと行かれる方が怖いのだ。
「それは……色々と事情がありまして」
結局、聖花が口にできたのはそんな曖昧な言葉だけだった。リリスは暫くこちらを見つめていたがそれ以上問い詰めようとはせず、やがて小さく息を吐いた。
「……もういいや」
「え?」
あまりにもあっさりと引かれたため、聖花は思わず目を瞬かせた。先ほどまでは、以前忠告しただの、何故調べたのだのと追及してきたというのに、こちらがまともな説明をしていないまま話を終わらせるとは思っていなかった。
「……いいんですか?」
「何が?」
「いえ、その……」
今度はこちらが問い詰めるのも妙な気がして口を濁すと、リリスは聖花の困惑など気に留めた様子もなく本棚に軽く身体を預けた。
「だって、セイカが話す気ないなら聞いても仕方ないでしょ」
「それは……そうですけど」
「それに」
そこでリリスの視線が、再び聖花の抱えている本へ向けられた。
「そんなところで調べても、大したことは分からないと思うよ」
「……どういうことですか?」
今度こそ聞き捨てならない言葉だった。図書室には国内外の歴史や文化について記した書物が数多く収められており、パトリシア王国についての史書も一冊や二冊ではない。少なくとも何も分からない場所ではないはずだ。
「そのままの意味」
「だから、その意味を聞いているんです」
「本ってさ、書いてあることしか分からないじゃん」
「……当たり前では?」
「うん。だから、もっと知りたいなら直接見た方が早いってこと」
「直接……?」
嫌な予感がした。こういう時のリリスは、聖花が想像しているより一段か二段ほど飛躍したことを平然と言い出す。
そしてその予感は、ほとんど間を置かず現実となった。
「そんなに調べたいなら、直接行けばいいじゃん」
「行くって、どこにですか?」
「パトリシア王国」
「…………」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
聖花は無言のままリリスを見つめる。しかし彼は冗談を言った様子もなく、それどころか何をそんなに驚いているのか分からないとでもいうような顔をしていた。
「……パトリシア王国へ?」
「うん」
「隣国の?」
「他にあるの?」
「ありませんけど!」
思わず声が大きくなりかけ、ここが図書室であることを思い出して慌てて声量を落とす。
「どうやって行くつもりなんですか。国境を越えるんですよ?」
「これ使えばいいよ」
リリスは何でもないことのように答えると制服のポケットへ片手を入れて、ごそごそと中を探り始めた。
やがて取り出されたのは指先ほどの大きさをした青色の結晶だった。宝石にも見えるが、それにしては形が不揃いで、表面には微かな光が揺らめいている。
「……なんですか、それ」
「テレポート用の魔具」
「…………」
今日何度目か分からない沈黙が訪れた。
「テレポート?」
「そう」
「これで、パトリシア王国まで?」
「行けるよ」
「なんでそんなもの持ってるんですか」
当然の疑問を投げ掛けると、リリスは少しだけ考える素振りを見せた後にこりと笑った。
「必要だから?」
「質問に質問で返さないでください」
「でも必要なのは本当だよ」
「そういう意味ではなくてですね……」
追及したところで、どうせまともな答えが返ってこない。
路地裏で初めて会った時からそうだった。この男は答えたくないことになると、冗談か曖昧な返答でいとも簡単に煙へ巻いてしまう。聖花は暫くリリスを睨むように見つめたものの、結局諦めて視線を青い結晶へ戻した。
「……それ、どうやって使うんですか?」
「行きたい場所をイメージしながら壊すだけ」
「壊す?」
「うん。使い捨てだから」
「使い捨て……」
改めて結晶を見る。魔具について詳しくない聖花にも、空間そのものを飛び越える道具が安価であるとは到底思えない。
「もしかして、それ……かなり高価なのでは?」
「んー……まあ、それなりに?」
「それなりって」
「僕が買ったわけじゃないから大丈夫」
「…………」
(それでいいの?)
何が大丈夫なのか全く分からなかった。誰が買ったものなのか、どうしてリリスが持っているのか、そもそもこれほど便利な魔具を使って国外へ勝手に出ても問題ないのか。聞きたいことはいくらでも浮かんでくる。
しかし一つ聞けば、その倍は疑問が増える未来しか見えない。聖花は考えることを一旦諦めることにする。
「じゃあ、今から行くんですか?」
「さすがに今からだと遅いよ」
リリスは窓の外へ軽く視線を向ける。まだ夕刻には少し早い時間だったが、放課後とはいえ外国へ行って帰ってくるには確かに中途半端だろう。
「今週末の休みにしよっか」
「……本当に行くんですか?」
「何。行きたくないの?」
「そういうわけでは……」
「知りたいんでしょ?」
先ほどまでの人懐っこい笑みのまま、リリスが聖花の顔を覗き込む。
「パトリシアのことも、フェルナンのことも」
「…………」
「それとも、図書室でちょっと調べて満足するくらいだった?」
挑発されている。それくらいは聖花にも分かった。
ここで勢いに任せて「行く」と答えるのは、どう考えても危険である。そもそも国外へ出るなど自由に決められることではないし、今の自分には学園だけでなくゴルダール家にも秘密がある。まして一緒に行く相手が未だに何を考えているのか分からないリリスなのだから、慎重になるべき要素しかない。
それでもフェルナンについて知る手掛かりが、目の前にある。彼が何者なのか、何故シンシアという名を口にしたのか、そしてパトリシア王国とどのような関わりがあるのか。図書室にある本だけでは分からないことが、実際に現地へ行けば見つかる可能性がある。
ここで断ってしまえば、次に同じ機会が巡ってくる保証もなかった。
「……行きます」
考え抜いた末にそう答えると、リリスは満足そうに笑った。
「うん。そう言うと思った」
「だったら聞かないでください」
「セイカの口から聞きたかったんだよ」
「何ですか、それ」
呆れながら返す聖花に構うことなく、リリスは手の中にあった青い結晶を再びポケットへ戻した。
「じゃあ、今週末。朝早くに図書室の前へ集合ね」
「図書室?」
「ここなら分かりやすいでしょ?」
「それはそうですけど……」
「僕は適当に理由をつけて、学園側には外出するって伝えておくから」
「……適当にって」
「大丈夫、大丈夫。そこはどうにかするよ」
その根拠のない自信が一番不安なのだが、言っても聞かないだろう。
「それで、セイカは見つからないように来てね」
「…………はい?」
今、聞き流してはいけない言葉が混ざっていた気がする。
「見つからないように?」
「うん」
「どうして私だけ?」
「だって、セイカまで堂々と外出するなんて言えるわけないでしょ?」
確かに、元平民として伯爵家へ迎え入れられたばかりという立場で突然「休日に隣国へ行ってきます」などと言えるわけがないし、そもそも許可が下りるとも思えない。
だからといって、こっそり学園を抜け出すというのも十分すぎるほど問題なのだが。
「……見つかったらどうするんですか?」
「その時考えよっか」
「何も考えてないんじゃないですか?」
「そんなことないよ?」
「今の返答のどこに説得力があるんですか」
聖花が呆れたように睨んでも、リリスは楽しそうに笑うばかりだった。
侯爵家の令息でありながら国外へ瞬時に移動できる魔具を何の気なしに持ち歩き、学園から堂々と外出する算段まで簡単に整えようとする。そのうえ、パトリシア王国とフェルナンの関係についても自分より遥かに多くのことを知っている様子だった。
(……本当に何者なの、この人)
確かに高位ではあるものの侯爵令息という肩書だけでは到底説明がつかない気がする。そう思いながら目の前のリリスを見ても、本人はそんな聖花の疑念など知る由もなくいつも通りの無邪気な笑みを浮かべている。
掴めそうで、決して掴めない。初めて会った時から変わらないその印象だけが、以前にも増して強くなっていた。
そして数日後、自分がそのリリスと二人で国外へ向かうことになるのだと思うと、聖花は今さらながら、とんでもない返事をしてしまったのではないかと小さく息を吐いた。




