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7.芽生えた想いは(ルードルフ)

 男子寮へ戻ってから暫く経った頃、ルードルフは自室の机へ向かい、昼間に図書室から借りてきた一冊の本を静かに読み進めていた。


 これまで積極的に触れてこなかった分野の書物であり、せっかく図書室へ通うのなら目的だけを果たして帰るより新たな知識の一つでも持ち帰った方が有意義だろうと思って手に取ったものだったが、残念ながら期待していたほど目新しい内容はなく、最後の頁まで読み終えたルードルフは本を閉じると、そのまま机の端へと静かに置いた。

 傍らに置かれていた呼び鈴型魔具へと手を伸ばし、程なくしてやって来た使用人にリリスを自室まで呼ぶよう言いつける。今日これから話す内容を他人に聞かせるつもりはなく、用件を伝え終えるなり人払いをして一人になった。


 扉が閉じられて再び静寂に包まれた部屋で椅子の背へ身体を預けていると、待っている間にやることもなくなったからか自然と昼間の図書室で交わした会話が頭の中に蘇ってきた。


 そもそも最近になってルードルフが図書室へ足を運ぶようになったのは、単に本を読むためだけではない。


 入学してからというもの隣の席にいるセイカは昼休みや放課後になると、いつの間にか教室から姿を消していることが多かった。特定の誰かと常に行動を共にしている様子もなく、休み時間になればリリスが彼女のもとへとやって来ることはあるものの、それ以外では一人で過ごしている姿の方が目につき、気付けばどこかへ行っているということも珍しくない。

 だからといってわざわざ後を追うほどのことでもないと思っていたのだが、ある時その行き先を突き止めたらしいリリスから、最近は図書室へ通っていることが多いと聞かされた。


 それならば都合がいいと考えたのは、以前からセイカへ直接確認しておきたいことがあったからだ。教室では常に周囲へ生徒がいるため、話せる内容にも限度がある。その点、図書室ならば比較的人目も少なく、彼女が一人になる機会さえあれば誰かに聞かれては困るような話題を出したところで問題はないだろう。

 目当ての相手がいない時には本でも読んでいればよく、これまで手を伸ばさなかった分野の書物に目を通せば新たな知見を得られる可能性もあるため、暫く通ってみるのも悪くないとルードルフは考えたのだ。


 ただ一つ問題があるとすれば、その話を聞いたリリスが当然のように「図書室に行くなら僕も一緒に行くよ」と言い出したことだった。同行させる理由などなかったし、むしろ余計なことをされる可能性を考えれば連れて行かない方がいい。しかし拒んだところで、リリスの性格ならばルードルフが図書室へ通っていることを令嬢たちにそれとなく知らせて回るくらいは平然とやりかねず、そうなれば静かに話をするどころか余計な人間まで集まってくることになる。

 結局、邪魔をしないことを条件として同行を認めたのだが、今日の出来事を思い返す限りその約束は初めから大した意味を持っていなかったらしい。もっとも、結果だけを見れば悪いことばかりでもなかったのだが。



「……セイカ・ゴルダール、ですか」


 誰もいない部屋でその名を小さく口にしながら、ルードルフは先ほど机に置いた本へと何とはなしに視線を落とした。


 彼女について調べ始めたのは純粋な興味からではなく、きっかけとなったのはアーノルドだった。あのパーティーの夜、招待客が立ち入ることを許されていない区域で、弟と共にいる見知らぬ少女を見つけただけなら多少気になったところで素性まで調べようとは思わなかっただろう。

 しかしアーノルドは規則を破った彼女を庇ったばかりか、最後には自ら責任まで引き受けようとしたのだ。あの弟がそこまでする少女ならば一体何者なのかと疑問を抱き、少し調べてみようと思ったのが始まりだった。


 ところが実際に調べ始めてみれば、セイカ・ゴルダールという少女には不自然なほど何もなかった。元平民であり、現在はダンドール伯爵家の養女となっていることまでは容易に辿り着けるものの、それ以前へ遡ろうとすると途端に足取りが途絶え、どこで生まれ、どこで育ち、どのような生活を送りながら誰と関わってきたのか、本来ならば僅かでも残っているはずの痕跡がまるで見つからない。

 平民だから記録が少ないというだけでは説明がつかず、まるでセイカ・ゴルダールという人間がある時を境に突然この世へ現れたかのような不自然な空白だけが残されていた。


 そして、ちょうど同じ頃に闇属性を持つ一人の少女が貴族の令嬢を害そうとして捕らえられ、そのまま生涯幽閉を言い渡された事件が起きている。

 事件そのものにルードルフは関与していなかったため詳しい事情まで把握しているわけではなく、二つの出来事に直接的な繋がりがあると断定できるような証拠もなかった。発生した時期が近かったというだけならば単なる偶然として片付けることもできたものの、何故か妙に引っ掛かるものがあり、それならば本人へ直接尋ねて反応を確かめてみようと考えたのが今日図書室でセイカに声を掛けた理由でもある。


 最初にアーノルドとの関係を問い掛けた時点で、セイカは明らかに動揺していた。続けて彼女自身について調べたことを伝え、平民だった頃の記録が何一つ見つからないと告げれば、それまで辛うじて保たれていた表情から僅かに余裕が消え、さらに闇属性を持つ少女の話へと移った瞬間には表情へ出すまいとしていたようだが身体が僅かに強張り、手にしていた本を握る指先へも無意識に力が籠もっていた。

 それでも何かを誤魔化そうと口を開くことすらせず最後まで黙り込んでいたのだから、少なくとも全く知らない話を聞かされた人間の反応とは考えづらい。


 そこで再びアーノルドとの関係を問い掛けた。もし本当に何の関係もなく、こちらが見当違いな疑いを向けているだけならば否定してしまえばいい話である。それにもかかわらずセイカは何も答えようとせず、あのまま話を続けていればもう少し何かを引き出せたかもしれなかった。



「……あれでは、無理でしょうね」


 絶妙なところで現れたリリスが何の遠慮もなく二人の間へ入り込み、追及を続けられるような状況ではなくなってしまったために仕方なくその場を離れることになったのだが、思い返したルードルフの表情に苛立ちが浮かぶことはなく、僅かな息だけが口元から零れた。


 聞きたいことを最後まで聞けなかったのは事実であるものの、収穫がなかったわけではない。むしろ今日の反応を実際に目にしたことで、それまで漠然と抱いていた疑問はいっそう大きくなっていた。

 セイカ・ゴルダールとは何者なのか。何故ゴルダール家へ引き取られる以前の経歴が不自然なほど見つからないのか。自分が疑っている通り彼女があの闇属性の少女なのだとすれば、どのような経緯で今の立場を得たのか。そして、アーノルドとは本当のところどのような関係なのか――知りたいことを挙げ始めれば、いつの間にか一つや二つでは収まらなくなっている。


 最初は、最後の一つさえ分かればよかったはずだった。あのパーティーでアーノルドが珍しく庇った少女だから少し調べてみようと思い、その過程で妙な経歴が見つかったからもう少し詳しく探ってみることにした――始まりは、ただそれだけだったはずだ。


 では仮に今、アーノルドとは何の関係もないと分かったならば、自分は彼女について調べることをやめるのだろうか。



「…………」


 何気なく浮かんだ疑問にルードルフは僅かに目を細めたものの、答えを出すためにそれほど長い時間は必要なく、おそらく関係がないと分かったところで自分はセイカについて調べることをやめないだろうと思った。

 彼女が何者なのか、何故ゴルダール家へ引き取られる以前の経歴が見つからないのか、そして自分が疑っている通りあの闇属性の少女なのだとすれば、どのような経緯で今の立場を得たのか。今となってはアーノルドとの関係を抜きにしても、その答えを自分自身が知りたいと思っている。


 いつからそうなったのかと聞かれても分からない。調べているうちに興味を持ったのか、学園で何度か言葉を交わすうちに変わったのか、それとも今日、こちらの言葉に必死に平静を装いながら反応していた姿を見たことで、そう思うようになったのか。


 ただ一つ確かなのは、始まりとは少しだけ目的が変わっているということだった。



「……思っていた以上に、興味深いですね」


 静かな部屋へと落ちた呟きは誰に聞かれることもなく消えていき、ルードルフ自身もそれが単なる好奇心なのか、それとも別の何かなのかと深く考えることはなかった。

 知りたいのならば調べればいい。今の彼にとっては、それだけのことだったからだ。


 やがて扉を叩く音が響き、ルードルフが入室を許可すると程なくしてリリスが部屋へと入ってきたため、先ほどまで巡らせていた思考を打ち切って向かい側の椅子を示す。



「呼んだ?」


「ええ。どうぞ」


 遠慮する様子もなく腰を下ろしたリリスは、何の用だと言わんばかりの顔をこちらへ向けており、ルードルフは扉が完全に閉ざされていることを確認してから机の上で両手を組んだ。



「まず、一つ確認しておきたいのですが」


「何?」


「邪魔をしないという約束でしたよね?」


「僕が守るような性格してると思う?」


「思っていませんよ」


「……思ってないんだ」


「ええ。ですが、守るつもりがないことと、約束を破っていいことは別でしょう」


「それはそうかもしれないけど」


 まるで悪びれる様子もなく返してくるリリスを前にしてもルードルフは表情を変えず、最初から素直に反省するとは思っていなかったため、そのまま淡々と言葉を続けた。



「何れにせよ、貴方を連れて行かなければ、私が図書室へ通っていることを令嬢たちへそれとなく知らせて回るつもりだったのでしょう?」


「さあ、どうだろうね」


「否定はしないのですね」


「そうかもしれないし、何もしなかったかもしれないよ?」


「どちらでも構いません。そうする可能性があると思わせた時点で、貴方の目的は達成されていますから」


「……本当に可愛げないなぁ」


「それはこちらの台詞ですよ」


「そんなもの、僕に求めてないくせによく言うよ」


「少なくとも、弟には可愛げがありますよ」


「……本気で言ってる?」


 心底疑わしそうな顔を向けられたものの、ルードルフは気分を害することもなければ冗談だったと訂正することもなく、普段と変わらない穏やかな表情のまま僅かに首を傾けた。



「ええ。貴方は人を腹立たせることばかりしますが、弟は時折面白いことを仕出かしてくれるので、見ていて飽きません」


「うわぁ。そんなんだから嫌われるんじゃないの?」


「そんなことはないと思いますけどね」


「そんなことあると思うけどなぁ」


 呆れたように返すリリスの言葉へ特に反論することもなく、ルードルフはそれ以上その話題を続ける必要もないと判断したところで、先ほどまで一人で考えていた少女のことが再び頭へ浮かんだ。



「ところで、彼女(・・)は思っていた以上に興味深いですね」


「都合が悪くなると急に話題変えるところ、本当に似てると思うよ」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「褒めてないよ」


 不満そうな顔を見せるリリスを気にする様子もなく受け流していると、今度は向こうが何かを思い出したらしく、それまでとは違う話題を何気ない調子で口にした。



「ああ、そういえば。例の光属性の子のことはどうなの?」


「そうですね。少々気になるところはありますが、普通(・・)のご令嬢ですよ」


「ふぅん。そんなもんか」


「ええ」


 問い掛けられて僅かに考えはしたもののルードルフの答えはすぐに決まった。確かに気になるところが全くないわけではないが今のところはそれだけであり、少なくとも自ら進んで時間を割き、何を考えているのか知りたいと思うほどの何かは感じていない。


 それ以上付け加えることもなく答えると二人の間に数秒ほどの沈黙が広がり、やがてルードルフは机の上で組んでいた指をゆっくりと解いた。今日リリスをここへ呼んだ本来の理由は、図書室での一件について文句を言うためでも、セイカについて話すためでもない。



「さて、くだらない話はここまでにしましょう」


「くだらないって、自分から話したくせに」


「今日、貴方を呼び出した理由は分かっていますよね?」


「え、図書室で邪魔したことに文句言うためじゃなかったの?」


「それだけのために、わざわざここまで呼び出したとでも?」


「違うの?」


「自覚があるのなら、今後は控えてくださいね」


「約束はできないなぁ」


「でしょうね」


 予想通りの返答にこれ以上言うだけ無駄だと判断し、ルードルフは僅かな間を置いてから、それまでと変わらない穏やかな声音で本来の用件を切り出した。



「……()()()()()()()()()()()()?」


「ああ、それね。ごめんごめん、うっかり落としちゃってさ」


「うっかり落とした、で済まされるものではないのですよ……」


 さすがに小さな溜息は漏れたものの、今更責めたところで失くしたものが戻ってくるわけでもなく、何よりリリス本人も重要性くらいは理解しているだろうと考えて、ルードルフは感情的に問い詰めることなく返答を待った。



「分かってるって。目処はついてるから、ちゃんと間に合うようにはするよ」


「そうですか」


 その言葉を聞いて暫くリリスの顔を見つめたが、どこまで信用できるのかという話以前にそもそも間に合わせてもらわなければ困る以上、今は任せる以外にない。



「間に合いさえすれば問題ありません。ですが、期待を裏切らないようにしてください」


 そこで一度言葉を切り、普段と変わらない表情のまま僅かに目を細めた。



あれ(・・)は、重要な証拠の一つなのですから」


「分かってるって」


 返ってきたのは相変わらず軽い返事だったが、これ以上念を押したところで意味はないだろうとルードルフは追及せず、再び椅子の背へ身体を預けた。


 リリスならば何とかするだろうし、万が一間に合わないのであれば、その時は別の手段を考えればいい。そう結論付けたところで、何故か昼間の図書室で見た少女の顔が再び脳裏を過ぎる。経歴について触れた時の強張った表情も、闇属性の少女について話した瞬間に本を握り締めた指先も、最後まで何一つ答えられずにこちらを警戒していた姿も、意識して覚えようとしたわけでもないのに妙に鮮明に思い出すことができた。


 始まりは、アーノルドと共にいた得体の知れない少女への疑問に過ぎなかった。弟と共にいたから気になり、その正体を知るために少し調べてみようと思っただけだったはずなのに、いつの間にかセイカ・ゴルダールという少女そのものがルードルフにとって答えを知りたい存在へと変わり始めている。


 その感情に名前を付けるほど今のルードルフは深く考えていなかったものの、ただもう少し彼女について知り、近くでその姿を見ながら隠されたものの先に何があるのか確かめてみたいという思いだけは確かに存在していた。


 始まりは弟と共にいた少女への警戒に過ぎなかったはずなのに、いつしかそこから生まれた小さな興味は、本人さえまだその変化を意識していないまま胸の内で静かに芽吹き始めていた。




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