5.穏やかな追及
翌日の放課後、聖花は再び図書室を訪れていた。教室を満たしていた喧騒が嘘のように館内は静まり返っており、時折聞こえてくるのは頁を捲る微かな音と本棚の間を歩く足音くらいのものだった。
そんな静かな空間の一角で、聖花はパトリシア王国について書かれた本を手に本棚の間を歩いていた。
パトリシア王国について知ってから気にはなっていたもののフェルナンの一件やアーノルドとの約束などが重なり、落ち着いて調べる時間を取れずにいた。それでも一度気になってしまえば放っておくこともできず、ようやく時間のできた今日、聖花はこうして図書室へ足を運んだのだ。
何冊か候補になりそうな本を見つけ、そのうち一冊を手に取って内容を確かめながら本棚を抜けようとした、その時だった。
「おや。奇遇ですね」
不意に聞き覚えのある声がして顔を上げれば、数歩先に一冊の本を手にしたルードルフが立っていた。
「ルードルフ殿下」
まさかここで顔を合わせるとは思っていなかった聖花が僅かに目を瞬かせる一方で、ルードルフはいつもと変わらない穏やかな表情を浮かべており、偶然居合わせた知人へ声を掛けただけとでもいうようにこちらを見ている。
「殿下は何故図書室に?」
「読んだことのない本を読もうと思いまして」
「そうなのですね」
それ以上尋ねることでもないだろうと頷き、そのまま会話が終わるものだと思っていたのだが、ルードルフは立ち去ろうとはせず、むしろ何かを思い出したように聖花へと視線を向け直した。
「ところで」
「はい?」
「前々からお伺いしようと思っていたのですが、何せ大勢の前で聞けるような内容ではございませんので今お尋ねしますが――弟とは、どういった関係なのでしょう」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、聖花は僅かに目を見開いた。
(やっぱり覚えていたのね......)
入学式の日に、偶然にも隣の席となったルードルフと再会した時、真っ先に警戒したのがあのパーティーでの一件だった。あの日、自分がアーノルドと共にいるところを彼にはっきりと見られていた以上は何をしていたのかと問い質される可能性は十分にあって、いつ話を振られてもいいよう身構えていたというのに結局ルードルフは何一つ触れてこなかったのだ。
その後も同じ教室で顔を合わせ、隣の席ということもあって何度か言葉を交わしたものの、やはりアーノルドについて尋ねられることはなく、もしかするとパーティーで一度見ただけの自分の顔など覚えていなかったのかもしれないと半ば無理やりそう納得することにしていた。
だというのに、今になってこれである。
「どういった……とは」
内心では盛大に頭を抱えながらもどうにか表情へ出さないよう問い返すと、ルードルフは聖花の動揺など気に留めた様子もなく、いつもと変わらない穏やかな表情を浮かべていた。
「そのままの意味です」
穏やかな声音も表情も、普段と何一つ変わっていない。どうやら顔を覚えていたどころか、あの日のことまでしっかり記憶していたらしい。
それならば何故、入学式の日には何も聞かなかったのか。今まで黙っていたのは単に人目があったからなのかと新たな疑問が浮かんだものの、それを尋ねるより早くルードルフは続けた。
「実はあの後、貴女について少々調べさせていただいたのですが……妙なことに、ほとんど経歴が出てこなかったのです」
「……私のことを?」
予想していなかった言葉に、先ほどまでとは違う意味で聖花の表情が強張った。
「ええ。元平民とはお伺いしておりますが、いくら調べてもそれ以前の記録が見つからないのです。……少々、不自然だとは思いませんか?」
「…………」
何も答えられなかった。
ルードルフが調べているのは、セイカ・ゴルダールと名付けられる以前、自分がどこで生まれ、どのように暮らしていたのかという過去なのだろう。しかし、髪や瞳の色まで変えて別人として暮らしている今の自分から、かつての経歴へ辿り着くことなど容易ではなく、ましてゴルダール家がそれ以前の素性を極秘として扱っているのなら何も見つからなかったとしても不思議ではない。
問題は、その理由をルードルフへと説明できないことだった。下手な嘘を口にすれば、既にどこまで調べているのか分からない彼には簡単に見抜かれてしまうかもしれない。
黙り込んだ聖花を前にしても彼は追及するように声を荒らげることなく、ただ何かを確かめるようにこちらを見つめた後、ふと思い出したとでもいうように話題を変えた。
「そういえば、ちょうど同じ頃でしたか。貴族のご息女を害そうとして捕らえられた少女がいましたよね。確か、闇属性の――」
「……」
心臓を直接掴まれたような感覚に襲われた。表情へ出してはいけないと思えば思うほど身体が強張り、手にしていた本を握る指先へ無意識に力が籠もる。
「処罰は生涯幽閉だったと記憶しております。私はその件に関与しておりませんので詳しいことまでは存じませんが……彼女は今、どこに幽閉されているのでしょうね?」
ルードルフがどこまで知っているのか分からない。単に疑問を抱いているだけなのか、それとも既に何かを掴んだ上で自分の反応を確かめようとしているのか、穏やかな表情からは何一つ読み取れず、聖花は迂闊な言葉を返すこともできないまま沈黙を続けた。
するとルードルフは、そんな聖花の反応をしばらく見つめた後、僅かに目を細める。
「さて、もう一度聞きます」
声音は穏やかなままだった。
「弟とは、どういった関係なのでしょう」
「…………」
最初に聞かれた時とは、同じ問いであるはずなのに意味がまるで違って聞こえた。
平民だった頃の記録がこれといって見つからず、それとほぼ同じ時期に、生涯幽閉を言い渡された闇属性の少女がいる。ルードルフはその二つをわざわざ並べた上で、再びアーノルドとの関係を尋ねてきたのだ。
偶然話題に出しただけとは到底思えない。少なくとも彼の中では、すでに何かしらの繋がりを疑っていると考えた方がいいだろう。偶然だと片付けるには余りにも出来すぎているのだ。
どう答えるべきか。下手に否定すれば余計に怪しまれるかもしれないし、だからといって本当のことなど話せるはずもなく、聖花が僅かな時間で必死に思考を巡らせていた――その時だった。
「あー!セイカじゃん。こんな所にいたんだ」
静かな図書室にはあまりにも似つかわしくない明るい声が、本棚の向こう側から飛んでくる。思わず二人揃ってそちらを向けば、こちらへと歩いてくるリリスの姿があった。
「あれ?王子様もいる。二人して何してるのー?」
いつもと何ら変わらない調子で近付いてきたリリスに対し、ルードルフは明らかに邪魔が入ったと言いたげな目を向けた。
「邪魔をしないでください。リリス」
「えぇ、酷いなぁ。部下に向かって」
「一旦静かにしていただけますか?」
「何で? 二人だけで何か内緒話?」
「…………」
「僕に聞かれたら困ること?」
悪びれる様子もなく二人の会話へ入り込んでくるリリスを前に、ルードルフはしばらく何か言いたげに口を閉ざしていたものの、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「……はぁ。もういいです。では私はこれで」
「あれ、帰っちゃうの?」
リリスの声にも答えず、ルードルフは手にしていた本を抱え直すと、そのまま聖花たちの横を通り過ぎていった。背中が本棚の向こうへと消えていくまで見送りながら、聖花は胸の内で密かに息を吐いた。
―――助かった。
リリスがあと少し遅ければ何か答えなければならなくなっていただろうし、下手な言葉を返していればルードルフの疑いをさらに深めていたかもしれない。
もっとも、これで何かが解決したわけではない。ルードルフが自分について調べていて、既に不自然な点へ気付いているという事実が判明しただけでも、むしろ新たな問題が増えたと考えるべきなのだろう。
「で、セイカ」
考え込んでいたところへ声を掛けられ、聖花は我に返ってリリスを見る。
「いっつもすぐ何処かに行っちゃうと思ってたら、こんな所で何してたの?」
「決まってるじゃないですか。調べごとです」
「へえ。何を?」
「何を調べても関係ないでしょう」
「相変わらず冷たいなぁ」
まるで先ほどまでの張り詰めた空気など存在していなかったかのように笑うリリスを見ていると、先ほどまでルードルフから追及されていたこともあり、その軽さが今だけは少し有り難く感じられた。
しかし、そんなリリスの視線が不意に下へと移る。
「それは?」
「え?」
何を指しているのか分からず視線を辿れば、その先にあるのは聖花が先ほどから手にしていた一冊の本――パトリシア王国について記された史書だった。本来ならば咄嗟に隠すほどのものではなく、そもそも一国について調べているだけならば何ら不自然なこともないし、見られたところで困る理由などないはずだった。
「これは……」
それでも何故かすぐには言葉が出てこなかった。そんな聖花の手元へ視線を落としていたリリスも、最初はいつもと同じように笑っていた。
けれど、本の表紙に記された文字を目にした瞬間、その笑みが僅かに薄れたように見えた。
「……調べたんだ?」
「…………」
それまでの軽さが、ほんの一瞬だけ声から消える。変化を聞き逃さなかった聖花は、思わずリリスの顔を見上げた。
(やっぱり、知ってるんだ)
フェルナンとパトリシア王国に何らかの繋がりがあることは、すでに聖花自身も薄々察していた。だからこそこの国について調べていたのだが、今のリリスの反応を見れば少なくとも彼もまた二つが無関係ではないことを知っていると考えた方が自然だった。
以前、フェルナンに近付かない方がいいと忠告してきたこともある。あの時から何か知っていたのだとすれば、今の反応にも説明がつく。
しかし、聖花がそう考えている間にはリリスの顔から先ほどの僅かな変化は消えていて、いつもの人懐っこい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「…………」
やはり、何か知っている。そう確信に近いものを抱きながらも、ここで問い詰めたところで素直に答えるような相手ではないことくらい、これまでのやり取りで分かっていた。




