4.一週間後の約束Ⅱ
会話多め
先ほどまでとは僅かに声色を変えたアーノルドに、聖花も自然と姿勢を正す。
「お前、最近は闇魔術を使っているのか?」
「……急に何ですか?」
「答えろ」
「使っていませんけど」
「何故だ?」
間髪を入れず返ってきた問いに聖花は思わず口を閉ざした。使っていないのではない、使えないのだ。聖花自身が持つのは光属性であり、この身体の本来の持ち主であるカナデのように闇魔術を扱うことなどできない。
しかし、そんな事情をアーノルドが知るはずもなく、彼の認識では目の前にいるセイカこそが、かつて闇魔術でマリアンナを害そうとして捕らえられた本人なのだから、使わなくなったことを不審に思うのも当然だった。
「それは……」
咄嗟に理由を説明しようとして、聖花は言葉を詰まらせる。説明しようとして口を開いた途端に続くはずだった言葉が不自然に途切れたのだ。
頭の中には何を言えばいいのか明確に浮かんでいるというのに、いざ声にしようとすると喉の奥へ何かが詰まったように息だけが漏れ、それ以上はどれだけ口を動かそうとしても言葉にならなかった。
(……また)
覚えのある感覚に、聖花は僅かに眉を寄せた。
カナデが使った入れ替わりの魔術によって、自分たちの身体が入れ替わっていることは他人へ伝えられない。それだけならまだ分かりやすかったのだが、厄介なことに制約が及ぶ範囲はもっと広いらしく、入れ替わりという事実へ繋がりかねない情報まで口にできなくなることがあるようだ。
もしここで本来の属性について話せば、以前は闇魔術を使っていたはずなのに何故今は違うのかという疑問へ繋がり、やがて身体そのものへ行き着く可能性があるから。どうやらそれすら許してくれないらしい。
「私が、何だ?」
「……何でもありません」
当然、目の前のアーノルドがそんな不自然な反応を見逃してくれるはずもなく、僅かに目を細めながら問い返してきたため、聖花は誤魔化すように視線を逸らした。
「何でもない人間が、そんなところで言葉を止めるのか?」
「言いたくないことくらい、誰にでもあります」
正確には言いたくないのではなく言えないのだが、その違いを説明することすら難しい以上、今はこう答えるほかなかった。それでもアーノルドは納得していないらしく、しばらく無言のまま聖花の顔を見つめたあと何かを確かめるようにゆっくりと口を開く。
「……お前は、俺にまだ何か隠しているな」
「何もかも話さなければならない約束はしていませんよね?」
「対等なのだろう?」
「またそれですか」
先ほど自分が言った言葉を都合よく持ち出され、聖花は呆れたように眉を下げた。
「アーノルド様、その言葉を気に入っていません?」
「便利だからな」
「便利だからって……」
悪びれる様子もなく言い切る相手へ思わず溜息を吐きそうになったものの、先ほど不敬だと言われたばかりなのを思い出して寸前で堪える。
しかし、よく考えてみればおかしな話だ。対等な関係だから何も隠すなと言うのであれば、それはアーノルドにも同じことが言えるはずで、聖花ばかりが一方的に事情を話さなければならない道理はない。
「では、こちらからも聞いてよろしいですか?」
「内容による」
「対等なのに?」
「……随分と言うようになったな」
僅かに眉を動かしたアーノルドへ、聖花は今度こそ逃がすまいと視線を合わせた。
「どうして、そこまで闇魔術に拘るんですか?」
問い掛けた途端、アーノルドの口が閉ざされた。先ほどまで淀みなく返ってきていた言葉が初めて止まり、その僅かな変化を見逃すまいと聖花はじっと表情を窺うものの彼の顔には驚きも焦りも浮かんでいない。
「私が闇魔術を使えるかどうか、随分気にしていますよね。魔具を用意してくださったことには感謝していますけど、そもそもどうしてそこまで協力してくださるのかも、私を牢から出した本当の理由も、まだきちんと聞いていません」
「…………」
「それなのに私にだけ隠し事をするなというのは、対等とは言えないのでは?」
先ほど向けられた言葉をほとんどそのまま返してやると、アーノルドは怒るでもなく、ただ何かを考えるように目を細めた。
「……確かに、筋は通っているな」
「認めるんですか」
「筋が通っているものを否定する理由はない」
てっきり屁理屈でも返されると思っていただけに、思いのほか素直な反応へ聖花の方が拍子抜けしてしまう。けれど、それで事情を話してくれるほど簡単な相手ではないことも、これまでの付き合いで十分理解していた。
「だが、今は話せない」
「……やっぱりそうなりますよね」
「お前にも言いたくないことがあるのだろう?ならば俺にもある。それで対等だ」
「そういうところだけ利用しないでください」
結局、上手い具合に先ほどの言葉を使い返されてしまい、聖花は今度こそ小さく息を吐いた。
「ただし、一つだけ教えてやる」
そこでアーノルドの声色が僅かに変わったため、聖花は再び顔を上げる。
「お前が闇魔術を扱えるようになるかどうかは、俺にとって重要だ。少なくとも、使えるようになるまで協力を打ち切るつもりはない」
「その理由は?」
「今は話せないと言っただろう」
「怪しすぎませんか?」
「今さらだな」
「自覚はあるんですね……」
呆れて肩を落としながらも、聖花は今の言葉を頭の片隅へと刻み込んだ。
闇魔術がアーノルドにとって重要であること自体は以前から何となく察していた。彼が何の見返りも求めず自分を牢から出したとは到底思えず、まして正体を隠すための魔具まで用意している以上、そこには何らかの目的があると考える方が自然だったからだ。
とはいえ、本人の口からはっきりと聞けたことには意味がある。少なくとも、自分が闇魔術を使えるようになるまでは、アーノルドが一方的に関係を切る可能性は低いのだ。
「それで、以前使った時のことは本当に何も覚えていないのか?」
「……まだ聞くんですか?」
「重要だと言ったばかりだろう」
呆れたように返しても、アーノルドは意に介した様子もなく話を続ける。
「魔力をどう動かした。詠唱は使ったのか。発動する直前に何を感じた?」
「そんな一度に聞かないでください」
「では一つずつ聞けば答えられるのか?」
「そういう意味ではありません」
思わず片手を上げて制止しながら、聖花は内心で頭を抱えた。
答えられるはずがない。聖花自身は何もしていないのだから、当時どのように魔力を動かしたのかも、何を感じていたのかも知る由がないのだ。それでもアーノルドにとって実行したのは目の前にいる自分なのだから、何も知らないと言い張り続ければいずれ不審に思われる可能性がある。
「……あまり覚えていないんです」
「どの程度だ」
「どの程度と言われても、曖昧なものは曖昧です。あの頃は色々ありましたから」
嘘ではない。そもそも自分がやったわけではないのだから、覚えていないという部分だけなら紛れもない事実である。正確には覚えがない、の間違いだが。
アーノルドは何も言わず、ただ聖花の顔をじっと見つめていた。嘘を見抜こうとしているようでも何か別のものを探しているようでもあり、居心地の悪さに耐えかねた聖花が口を開こうとしたところで、ようやく彼の方から視線を外した。
「……まあいい。今はそれで」
「今は、って何ですか」
「思い出したら話せ」
「期待しないでください」
「期待するかどうかは俺が決める」
「そういうところですよ」
結局どこまでいっても自分の都合を押し通そうとするところは変わらないらしく、聖花はもう何を言っても無駄だと諦めた。
これで今日の話も終わりなのだろう。そう思って立ち上がろうとしたところで、アーノルドは動く様子を見せるどころか、むしろ何か思い出したようにこちらへ視線を戻した。
「待て」
「……まだ何か?」
「最近、妙なことは起きていないか?」
「妙なこと?」
今度は何の話なのか分からず、聖花は腰を浮かせかけた姿勢のまま首を傾げた。
「お前は何をするか分からないからな。俺の知らないところで余計な問題を増やされても困る」
「人を問題児みたいに言わないでください」
「違うのか?」
「違います」
即座に否定したものの、これまで自分が巻き込まれてきた出来事を思い返すと、どうにも説得力に欠ける気がして声が僅かに弱くなる。
「……少なくとも、好きで問題を起こしているわけではありません」
「結果として起きているなら大して変わらないだろう」
「酷くないですか?」
「事実を言っただけだ」
相変わらず容赦のない言い方に聖花が半眼を向けても、アーノルドは気にする様子もなく続けた。
「それで?」
「それで、と言われましても……」
「何もないのか?」
改めて問われ、聖花はここ数日の出来事を思い返す。
何もなかったかと言われれば、そんなことはない。むしろ入学してからというもの、何も起きなかった日の方が少ないのではないかと思えるほどで、真っ先に頭へ浮かんだのは当然フェルナンのことだった。
家庭教師だった頃から入学式の日までは距離が近かったり詰められたりして、その後三日間姿を消したかと思えば戻ってきた途端に今度は露骨に避けられている。
十分すぎるほど「妙なこと」に該当する。けれども、それをアーノルドへ話すべきなのかと考えると聖花はすぐには口を開けなかった。
「…………」
「何だ、その間は」
「少し考えていただけです」
「何かあるんだな」
「どうしてそうなるんですか」
「何もなければ考える必要もない」
妙なところで鋭い。聖花は困ったように眉を寄せながらも、だからといってフェルナンとの一件をそのまま話すつもりにはなれなかった。アーノルドとフェルナンがどの程度の関係なのかも分からない上、自分がフェルナンから「カナデ」と呼ばれていることまで説明すれば、余計な疑問を持たれる可能性もある。
「大したことではありませんよ」
「大したことかどうかは聞いていない」
「……何ですか、さっきから」
「何がだ」
「私が何をしているのか、随分気にしますね」
何気なく口にした言葉だった。しかし、それを聞いた瞬間、アーノルドの返答が僅かに遅れた。
「…………」
ほんの数秒にも満たない沈黙だったが、普段ならばすぐに皮肉の一つでも返してくる相手だけに、その間は妙に目立って感じられた。
「協力者が勝手なことをして、こちらまで巻き込まれては困るからだ」
ややあって返ってきた理由は、いかにもアーノルドらしいものだった。
「私が何かする前提なんですね」
「これまでのお前を見ていれば当然だろう」
「……否定しづらいのが腹立ちます」
聖花は不満そうに口を尖らせたものの、その説明自体に不自然なところは感じなかった。自分たちは対等とはいえ協力関係にあるのだから、一方が大きな問題を起こせばもう一方へ影響が及ぶ可能性もある。ましてアーノルドは聖花の正体を隠すために手を貸しているのだから、ある程度こちらの動向を気にするのは当然なのかもしれない。
そう納得しかけたところで、アーノルドが再び口を開いた。
「最近は誰と行動している?」
「……はい?」
今度こそ聖花は眉を寄せた。
「聞こえなかったか」
「聞こえましたけど、それが今の話と何の関係があるんです?」
「関係がないとは言っていない」
「では、どう関係するんですか?」
「お前が余計な人間と関わって問題を増やしていないか確認しているだけだ」
「余計な人間って……」
言い方はともかく、一応は筋が通っているようにも聞こえる。けれど、闇魔術の話をするために呼び出されたはずなのに、いつの間にか普段誰と行動しているのかまで聞かれている現状に、流石に聖花も違和感を覚え始めた。
そこで、ふと思い出したように言い放つ。
「そういえば、ルードルフ様とは以前より話すようになりましたよ」
「……兄上と?」
返ってきた声が僅かに低くなった気がして、聖花は怪訝そうにアーノルドを見た。
「ええ。隣の席ですし、話す機会もありますから」
「どの程度だ」
「普通にお話しするくらいですよ。以前よりは話しやすくなったと思いますけど」
「……そうか」
それだけ答えたアーノルドは、何故か僅かに眉間へ皺を寄せた。
「何ですか?」
「何がだ」
「いえ、何だか嫌そうな顔をされたので」
「別に、そんなつもりはない」
「そうですか?」
どう見てもそうは思えなかったが、本人が否定するのであれば追及するほどのことでもない。そう思いかけて、聖花はふと疑問に思ったことを告げる。
「というより、ルードルフ様と仲良くしておけと言ったのはアーノルド様ですよね?」
「…………」
「私、言われた通りにしているだけなのですが」
「分かっている」
「では、何故そんな顔をするんですか?」
「していないと言っているだろう」
「していますよ」
「していない」
頑ななアーノルドを聖花がじとりと見つめる。そうしていると、彼は諦めたかのように小さく息を吐いた。
「……まあいい」
「何なんですか、本当に……」
「俺にも分からん」
「え?」
「何でもない」
思わず聞き返した聖花を置いて、アーノルドはさっさと梯子の方へ向かっていく。
「ちょっと、もう終わりなんですか?」
「今日確認したかったことは確認した」
「だったら最初から闇魔術のことだけ聞けばよかったじゃないですか」
背後から飛んできたもっともな指摘に、アーノルドの足が一瞬だけ止まった。しかし振り返ることはなく、僅かな沈黙のあと何事もなかったかのように再び歩き始める。
「次までに少しは進歩しておけ」
「誤魔化しましたよね?」
「聞こえんな」
「絶対聞こえてるじゃないですか!」
聖花の声など聞こえていないと言わんばかりに、アーノルドはそのまま梯子へ足を掛ける。
結局、今日ここへ呼び出された本当の目的は闇魔術について確認することだったらしい。それ自体は分かったものの、途中から学園で何か起きていないか、果てには誰と行動しているのかまで尋ねられた理由については最後までよく分からなかった。
(……本当に、何だったんだろう)
問い詰めたところで、あの様子では答えるつもりもないのだろう。先に屋上を降りていくアーノルドの背中を見送りながら、聖花は釈然としない気持ちのまま首を傾げた。




