2.不可解な問い
フェルナンが学園へ戻ってきた翌日、授業を終えて廊下を歩いていた聖花は、少し先を進む見覚えのある後ろ姿に気付いて思わず足を止めた。
長身に加えて周囲に殆ど関心を向けることなく淡々と歩いていく姿は見間違えようもなく、フェルナンが不在の間だけ代理として授業を担当していたギルガルドだった。
(……まだいたんだ)
フェルナンが戻ってきた以上、特別講師である彼もすでに学園を離れたものだとばかり思っていたため、こうして姿を見つけられたことへの驚きと安堵が同時に込み上げてくる。以前からもう一度話す機会が欲しいとは思っていたものの、特別講師という立場である以上いつまで学園にいるのかも分からず、このまま何も聞けないまま帰ってしまう可能性も考えていたからだ。
ならばここで見送る理由はない。そう判断するや否や、聖花は遠ざかりつつある背中を追って足を速め、周囲に他の生徒が殆どいないことを確かめてから声を掛けた。
「あの……少々よろしいでしょうか?」
「何か用か?」
呼び掛けに応じてギルガルドが足を止め、肩越しにこちらを確認してからゆっくりと振り返る。その表情にも声にも驚いた様子はなく、以前屋敷で見ていた時とも、代理として授業を担当していた時とも変わらない淡々とした態度のまま、聖花を静かに見下ろしていた。
少なくとも今は学園内であり、教師へ生徒が話し掛けること自体には何ら不自然な点もない。屋敷や夜会で二人きりになるよりは周囲から妙な勘繰りを受ける心配も少ないだろうと考えた聖花は、僅かに緊張を解きながら口を開いた。
「ヴェルディーレ先生は……」
「ギルでいい。ヴェルディーレは学園内にもいるからな」
最後まで言い切る前に訂正される。聖花は一瞬だけ目を瞬かせたものの、言われてみればもっともな話だった。
この学園にはフェリーネもマリアンナもいる以上、全員をヴェルディーレと呼んでいては誰のことを指しているのか分かりづらい。そもそもフェルナンについても家庭教師だった頃からの名残でフェルナン先生と呼んでいるし、他の教師たちに対しても名前で呼ぶことが多いのだから、彼だけ頑なに家名で呼び続ける必要もないだろう。社交の場であればまた事情は違うのかもしれないが本人からそう呼べと言われたのなら問題ないはずだと納得し、聖花は素直にその言葉へ甘えることにした。
「では、ギル先生と」
「ああ。それで、要件は」
呼び方が決まった途端に話を本題へと戻され、聖花はやはりこの辺りは変わらないのだと内心で苦笑する。
以前、夜会で向こうから声を掛けてきた時には普段とはどこか異なる印象を受けたものの、こうして改めて話してみれば、必要以上のことは口にせず会話にも余計なものを挟まないところは、マリアンナとして共に暮らしていた頃から何一つ変わっていない。だからこそ、いきなり学園とも授業とも関係のないヴェルディーレ家について尋ねれば、さすがの彼も不審に思うかもしれないと考え、聖花は頭の中で質問の順番を組み立てながら、まずは当たり障りのない話題から切り出すことにした。
「先生は特別講師だとお伺いしておりましたが、いつまで学園にいらっしゃるご予定なのですか?」
「その件か。俺は次の夏季休暇までここにいる」
「そうなのですね」
思っていたよりも遥かに先まで滞在するらしいことへ内心安堵しながら頷いたもののそれだけで会話はあっさりと途切れてしまい、静かな廊下に二人分の僅かな息遣いだけが残された。
まだ聞きたいことはある。むしろ、ここからが本題と言ってもいいのだが、いざ本人を目の前にすると、どこまで踏み込んでいいものか判断が難しかったのだ。
そんな聖花の迷いを察したのか、それとも単に立ち去る前の確認だったのか、ギルガルドはしばらく黙っていた後、僅かに首を傾けた。
「……他に聞きたいことは」
「え?」
まさか彼の方から続きを促されるとは思っておらず、聖花は僅かに目を瞬かせる。それでも、この機会を逃してはならないという考えは変わらない為すぐに気持ちを切り替えると、いきなりヴェルディーレ家の事情へ踏み込むのではなく、以前の授業で聞いた話から少しずつ距離を縮めていくことにした。
「以前、三属性もの魔術をご自身で研究したと仰っていましたが、それはご家族などの協力もなく、お一人で、という意味ですか?」
少し踏み込みすぎただろうかと思いながら反応を窺っていると、ギルガルドは特に表情を変えることもなく短く答えた。
「……そうだ」
「では、なぜ研究しようと――」
「無属性だから」
質問を最後まで言い切るよりも先に答えが返ってきた。あまりにも簡潔で、それ以上の理由など必要ないと言わんばかりの声に聖花は思わず口を閉ざす。何か触れてはいけないところへ踏み込んでしまったのではないかと一瞬だけ不安になった。
無属性だから。ただそれだけの言葉ではあるものの、三属性もの魔術を自ら研究し扱えるようになるまでにどれほどの時間と努力を費やしたのかは想像することしかできないが、そんな話をマリアンナとして屋敷で過ごしていた頃に聞いたことはない。ただ、以前から何を考えているのか分かりづらい人物ではあったが、少なくとも今の答えには冗談や誤魔化しが含まれているようには感じられなかった。
また会話が途切れる。今度こそ話は終わったと判断したのか、ギルガルドがその場から立ち去ろうと僅かに身体の向きを変えたため、聖花は周囲へと素早く視線を巡らせた。
廊下には誰もいないし今なら聞ける、と。
「あの、おかしなことをお伺いするのですが……マリアンナさんについてです」
「あいつがどうした」
踵を返しかけていた足がぴたりと止まり、ギルガルドが再び聖花へ顔を向ける。
突然家族の名前を出されたのだから反応するのは当然だろうが、それでも「どうしてそんなことを聞く」でも「マリアンナと知り合いなのか」でもなく、ただ要件だけを尋ねてくるところが何とも彼らしい。余計な詮索をされないのは聖花としても都合がいいはずなのに、ここまで関心を示されないとかえって肩透かしを食らったような気分になりながら、慎重に言葉を選んだ。
「彼女、最近急に変わったところなどありませんでしたか? 性格や普段の様子でも構いませんし、些細なことでもいいんです。あるいは、家の中で何か変わったことがあったとか……」
「そもそもあいつは寮にいた。ここ数日は会ってすらいない」
ここ数日と言っても、まだ一週間すら経っていないしギルガルドも後に学園に来てるのに――そんな文句にも似た感想が一瞬浮かんだものの、聖花はすぐに胸の奥へと押し込めた。
そもそもギルガルドには勉強と何の関係もない質問へ答える義務などない。それでもこうして会話を打ち切らず返答してくれているだけ有り難いと思うべきなのだろうし、普段の彼を見ている限り、家族の些細な変化を逐一観察しているとも考えづらかった。
「その前です。凡そ一か月ほど前から、何かありませんでしたか?」
そこまで期間を指定したところで、初めてギルガルドの眉が僅かに寄った。
無理もない。ヴェルディーレ家とほとんど接点のない一生徒が、突然マリアンナの様子について尋ねてきたばかりか、今度は一か月ほど前という具体的な時期まで指定してきたのだから、不審に思われない方がおかしいだろう。
それでもギルガルドは理由を問いただすことなく、何かを思い返すように僅かな沈黙を置いた後、低い声で答えた。
「むしろ、おかしいくらい変わりはなかった」
「何も、ですか?」
「……ああ。恰も何もなかったかのように普段通りだ」
その答えを聞いた瞬間、聖花は僅かに眉を寄せた。何も変わっていなかったのならそれだけで終わる話のはずだ。それなのにギルガルドは、わざわざ「おかしいくらい」と前置きした。つまり、少なくとも彼自身何かしらの違和感を抱いていたということではないのだろうか。
本当に何も気付いていないのか。それとも、何かに気付いていながら話すつもりがないだけなのか。あるいは事情の一端まで知っていて、その上で何も知らないように振る舞っているのか――そう考え始めると、今度は別の疑問まで次々と浮かんでくる。
なぜ特別講師としてこの学園へ来たのか。あの日、牢獄で見たギルガルドの姿は本当にただの幻だったのか――聞きたいことならいくらでもあった。
しかし、ここで一度に踏み込みすぎれば不審どころか何らかの疑念を抱かれかねない。何よりフェルナンの件すらまだ何一つ片付いていない状況で、カナデとの入れ替わりに関わる問題まで同時に深追いするのは危険だと判断し、聖花はひとまずここで引き下がることにした。
「そうですか……家の事情に首を突っ込みすぎました。申し訳ございません」
「気にしていない」
思いのほかあっさりと返され、これで会話も終わりだろうと聖花が軽く頭を下げようとした、その時だった。
「ところで、俺からも聞いておきたいことがある」
「……何でしょう?」
予想外の言葉に、下げかけた顔を思わず上げる。ギルガルド自身から聞きたいことがあるなど珍しいどころの話ではなく、これまでのやり取りを思い返しても、彼が自分へ個人的な質問を投げ掛けてきた記憶はほとんどない。
―――やはり聞きすぎたのだろうか。
先ほどの質問の意図を確かめられるのか、それともマリアンナとの関係について問いただされるのかと身構えながら、聖花は次の言葉を待った。
しかし、ギルガルドの口から出てきたのは、そのどちらでもなかった。
「例えばの話だが、もし理不尽な目に遭ったとしたならば、セイカはどうする。絶望するか?それとも前向きに進もうとするか?」
「……え?」
あまりにも予想外の問いに、ほんの一瞬だけ思考が止まった。
なぜ突然そんなことを尋ねるのかと疑問に思う。先ほどまで話していたマリアンナと関係があるのか、それとも自分が知らない別の意図があるのか、咄嗟にいくつもの可能性が浮かんだものの、どれも確証には至らなかった。
やはり、この人は何か知っているのではないか。そんな疑念まで頭を掠めたが、いくら考えても質問の真意など分かるはずもなく、聖花はしばらく自分自身の記憶を辿った末に無理に答えを作るのではなく今思ったことをそのまま伝えることにした。
「……最初は絶望するかもしれません。でも、何かのきっかけがあれば、そこから変わろうとするかもしれませんね」
自分自身がそうだった。何もかもが突然変わり、それにも馴染んできた頃に見知らぬ身体へと入れられ、訳も分からないまま罪人として捕らえられた時には前向きになど考えられなかった。それでも、ここまで来たのだ。
だからこそ出た答えだったのだが、ギルガルドは何を思ったのか僅かに目を細めただけで何も言わない。
「……何故、そんなことを?」
「気になっただけだ」
相変わらず説明になっているのかいないのか分からない答えを返した後、ギルガルドはほんの僅かに視線を逸らした。
「俺ならば、心を閉ざしてしまうかもな」
「それは――」
どういう意味なのか。聖花がそう問い返そうとした時には、ギルガルドはすでに踵を返していた。
「では、また。セイカ」
「あ、ちょっと――」
慌てて呼び止める声にも足を止めることなく、そのまま一定の歩調で廊下を進んでいく背中を追おうか一瞬迷ったものの、これ以上引き止めたところで素直に答えてくれるとも思えない。聖花は結局その場へ立ち尽くしたまま、やがて廊下の角を曲がって見えなくなるまで彼の後ろ姿を見送った。
聞きたかったことを少しは尋ねられたはずなのに得られた答えよりも新しく生まれた疑問の方が多く、特に最後の質問だけにはどうしても頭から離れなかった。
―――ただの世間話であれば、あのギルガルドがわざわざ自分に尋ねるだろうか。
その意味を考えながら誰もいなくなった廊下へ視線を戻した聖花だったが、結局この時も答えへと辿り着くことはできなかった。
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