27.図書委員の初仕事
翌朝、聖花は人気のない校舎を駆けるように図書室へ向かっていた。今日は初めて朝の図書委員として仕事をする日だったというのに、そのことをリデルへ伝え忘れてしまった上に、よりにもよって今朝に限って少し寝坊までしてしまったのである。その結果、図書室へ向かう頃には指定された時間が目前まで迫っており、聖花は内心焦りながら足を速めていた。
もっとも寝坊と言っても普段より遅く起きたわけではない。委員会の仕事がある都合で、いつもより早く起きる必要があっただけの話であって、そう考えれば仕方がないとも言えた。しかし、グリッダから指定された時刻を思えば遅刻寸前であることに変わりはない。
聖花はただひたすら間に合うことだけを願いながら図書室を目指していた。
「ま、間に合った……」
息を切らしながら図書室へ駆け込むと、中には既にグリッダとリブロの姿があり、何やら二人で話をしている最中だった。一方で、受付にいるはずのエレンの姿は見当たらない。
「申し訳ございません。遅くなりました」
「いえいえ。確かに時間ぎりぎりではありますが、遅刻ではございませんので問題ありませんよ」
そう言われ、聖花も反射的に壁へ掛けられた時計へと目を向ける。針が指していたのは、昨日グリッダから指定された時刻の僅か二分前だ。本当に紙一重だったのだと胸を撫で下ろしながら、聖花は「以後気を付けます」と小さく頭を下げた。
「それでは、セイカさんもいらっしゃいましたし、今日の委員会を始めましょうか」
グリッダは穏やかに微笑むと、手を軽く叩いて場を仕切り直した。その声に頷きながらも、聖花はふと周囲を見回し、先ほどから気になっていたことを口にする。
「エレン先生はいらっしゃらないのですか?」
「彼女は朝が苦手でね。朝は来ない代わりに、その分遅くまで残って仕事をしてくれているんだよ」
「そうなのですね」
リブロの答えに聖花は素直に頷いたが、内心では少なからず驚いていた。一昨日図書室で顔を合わせた時の様子からは、とても想像できない一面だったからである。あの時はどちらかといえば厳格でやや怖く、仕事人物という印象が強かっただけに、「朝が弱い」という話を聞くと、ほんの少しだけ親しみやすく感じられた。
そういえば、エレンは入学式の日も翌日も、受付で黙々と仕事をこなしていた姿しか見ていない。図書室の担当という印象が強かったが授業を受け持っている様子もないし、一体どのような立場なのだろうと聖花が疑問に思っていると、その考えを見透かしたかのようにリブロが穏やかな口調で続けた。
「エレンさんは、正確には教師ではありません。図書委員の担当として学園にも所属していますが、本来は図書協会から派遣されてきた職員なのですよ」
「図書協会……ですか?」
「ええ。簡単に言えば、国中の図書を管理している組織ですね。そういえば先日の件ですが、私はまだ思い出せておりませんし、今更ではありますが、もしかすると彼女に尋ねてみるのも一つの手かもしれません」
そこでリブロは一度言葉を切ると、少しだけ笑みを浮かべた。
「特定の名前から人物へ結び付けることなら私の方が得意ですが、逆に人物や出来事から関連する本を探し出すことに関しては、彼女の方が遥かに長けています。少し気難しいところはありますが、根は優しい人ですから、きっと力になってくださるでしょう。……おっと、つい話し込んでしまいましたね。それでは、仕事を始めましょうか」
リブロの言葉を皮切りに初めての図書委員としての仕事を始めた。
仕事そのものは決して難しいものではなかった。しかし、返却された本を元の場所へ戻すだけでも一苦労である。何度も何度も往復して、広大な図書室の中を歩き回ることになるのだ。利用者として訪れていた頃には気付かなかったが、図書委員の仕事は思っていた以上に体力を使うものだった。
そんな中、返却された本を整理していたグリッダが、一冊の本を手に取りながらリブロへ声を掛ける。
「先生、この本は植物学の区画でよろしかったでしょうか。それとも薬学でしたか?」
「ああ……それは確か植物学だったはずだよ」
リブロはそう答えて本を手に取ると、表紙をじっと見つめた。
「……いや、待ってくれ。薬学だったかな」
しばらく考え込んだ末、小さく息を吐く。
「駄目だね。読んだ記憶はあるのに、肝心なところが思い出せない」
「先生、お仕事が止まっておりますわ」
「おっと、そうだった」
照れくさそうに笑って本を返すリブロを見て、聖花も思わず小さく笑みを浮かべた。どうやら、このやり取りは珍しいことではないらしく、グリッダも慣れた様子で苦笑している。
そうこうして穏やかながらも忙しない時間を過ごしているうちに、朝礼の時刻が近付いてきていた。
返却された本をすべて元の場所へ戻し、貸出帳の確認まで終えると、リブロの合図で初日の仕事は滞りなく終了することとなった。グリッダとリブロへ挨拶を済ませ、聖花も教室へ戻るため図書室を後にする。多少の疲れは残っていたものの、仕事そのものは思っていたよりも楽しく、何よりエレンならシンシアに関係する本を見つけられるかもしれないという、予想外の収穫まで得ることができた。
(昼休みにでも、エレンさんに話を聞いてみようかな)
朝は姿を見せないというのなら、その頃には受付にいるだろう。昨夜までよりも僅かに前へ進めたような気持ちになりながら、聖花は朝礼に遅れないよう教室へと足を速めた。




