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26.異端と天才

(今日から本格的に授業が始まるのね)


 朝礼が終わると、聖花は顎に手を添えながら教室に貼り出された時間割に視線を向けた。入学初日は式典のみで終わり、二日目も学園生活についての説明が中心だったため、本格的な授業が始まるのは今日が初めてである。


 もっとも、座学に関しては歴史をはじめ入学前から学んできた内容が大半を占めており、その他の科目についても、貴族の子女であれば基礎知識は既に身に付けている者がほとんどだった。そのため、一から何かを教わるというよりは、これまでの知識をより深く掘り下げていく授業になるのだろう、と聖花は考えていた。


 もちろん、それも一年の初めだけの話だ。学年が進むにつれて内容は徐々に専門的になり、授業についていけなくなる生徒も少なからず出てくるという。もっとも、補習制度こそあるものの受講は任意であり、出席日数や成績が著しく不足しない限り留年することは滅多にない。

 それ以前に、この学園へ入学する生徒の大半は貴族であり、入学試験で落ちることは家の恥にも繋がる。そのため皆、少なくとも合格できるだけの学力は身に付けており、学力不足の者は入学試験の時点でふるい落とされていた。

 学園側もそれを前提とした授業を組み立てているのである。


 その後、一限目から座学が続き、気付けば午前最後の授業となる魔術の時間がやってきた。本来であればフェルナンが担当するはずだったが、彼は今日も学園へ姿を見せていない。そのため代理の教員が来るとは聞いていたものの、一体どのような人物なのか聖花には見当もつかなかった。


 やがて始業の鐘が鳴り、教室が静まり返る。しばらくすると廊下から規則正しい足音が近付き、そのまま教室の扉が静かに開かれた。


 なんとなく教壇へ目を向けた聖花は、入ってきた人物の姿を見た瞬間、小さく息を呑んだ。



「……え?」


 思わず声が漏れる。隣に座るルードルフが不思議そうに聖花を一瞥したものの、すぐに視線を前へと戻した。



「パース教諭の代理として来たギルガルドだ。呼び方は私語でなければ何でも構わない。よろしく頼む」


 教壇へ立ったのは、見覚えのあるダークパープルの髪を持つ青年――ギルガルドだった。彼は簡潔な挨拶だけ済ませると、何事もないかのように聖花たちの方へと向き直る。


 すると途端に、教室中がざわめきに包まれた。


 何故そこまで騒いでいるのだろうと聖花は不思議に思っていたが、その理由は次の瞬間すぐに明らかになった。



「殆どの者が知っての通り、俺は無属性だ。だが、無属性だからといって魔術が使えないわけではない」


 そう言うと、ギルガルドは静かに掌を前へ差し出した。すると、その掌の上へ小さな炎が揺らめき、まるで当然のように燃え始める。


 瞬間、教室のざわめきは一層大きくなった。


 誰もが目の前の光景を信じられないというように目を見開き、小声で何かを囁き合っている。無属性でありながら魔術を扱っていることが、それほどまでに衝撃的だったのだろう。

 対する聖花が驚いたのは別の部分だった。



(お兄様……無属性だったの?)


 いや、それ以上に、こうして何事もなかったかのように授業をしていること自体が意外だった。フェルナンの代理として当然のように教壇へ立っている姿には、どこか現実味がなかったのである。



「今日の授業内容は、魔術の原理と実践だ。実践と言っても教室内で行える範囲だから、そう身構える必要はない」


 その一言だけで、教室の空気が変わった。


 先ほどまでギルガルド自身へ向けられていた興味は、今度は授業内容へと移り変わる。初めて実際に魔術を扱うことになる生徒も少なくないのだろう。期待を隠しきれない様子で身を乗り出す者もいれば、小さく顔を見合わせて笑みを浮かべる者の姿もあった。



「まず魔術についてだが、俺たちは基本的に大気中へ存在する『魔素』を利用して魔術を行使する。それぞれが持つ適性属性へ魔素を変換することで魔術を発動させる――ここまでは基礎知識として学んでいるはずだ」


 そこで一度言葉を切ると、ギルガルドは教室全体を見渡した。


「だが、それは正確ではない」


 短く告げられたその一言に、多くの生徒が一斉に首を傾げる。これまで教えられてきた内容と真っ向から異なる説明だったために、戸惑いを隠せない者も少なくなかったのだ。



「入学試験で確認した属性は、あくまで適性だ。炎属性だから水属性を使えないわけではない。森属性も同様だ」


 教室が再びざわめき始める。誰もが信じられないという表情を浮かべていたが、ギルガルドは気に留める様子もなく、そのまま説明を続けた。



「もっとも例外も存在する。光魔術と闇魔術だけは、それぞれ光属性と闇属性を持つ者しか扱えない」


 黒板へ簡単な図を書きながら、ギルガルドは淡々と続ける。



「理由は単純だ。三大属性は、大気中に存在する魔素を扱いやすい形へ加工しているに過ぎない。だが光と闇は違う。この二属性は魔素そのものを再生成している。つまり光と闇は個人の資質へ依存するが、三大属性は才能や努力次第で扱える可能性があるということだ」


 そう言うと、今度は掌の炎を消し、水球を生み出したかと思えば、その直後には教室を一陣の風が吹き抜けた。



―――炎、水、森。


 三つの属性を当然のように使い分ける姿を前に、生徒たちはただ息を呑むことしかできない。


 それほど常識外れの光景であるにもかかわらず、当の本人だけは何事もないような表情のまま説明を続けていた。



「少しよろしいですか」


 それまで静かに耳を傾けていたルードルフが、ゆっくりと手を挙げた。


 ギルガルドは黒板へ何かを書き込もうとしていた手を止め、そのままルードルフへ視線を向ける。ほんの一瞬だけ、その視線が隣に座る聖花の方へ流れたようにも思えたが、それはあまりにも一瞬のことで、聖花は気のせいだったのだろうと考え直した。



「王太子殿下、どうされましたか」


「ルードルフで構いません。今は先生と生徒という立場ですので、敬語も不要です」


 教室が僅かにざわつく。相手が王太子である以上、敬意を払うのは当然だと誰もが思っていたからだ。しかし、ギルガルドは表情一つ変えないまま短く頷いた。



「……分かった」


「ありがとうございます」


 それだけで教室中が静まり返る。


 王太子を相手にしても必要以上にへりくだらないギルガルドと、それを当然のように受け入れるルードルフ。教室にはどこか不思議な空気が流れていた。



「それで、要件は」


「先ほど、『炎属性の者が水属性の魔術を使えないわけではない』と仰っていましたが、私はこれまで適性以外の属性を扱えるという話を一度も耳にしたことがありません。この理論は、どちらでお知りになったのでしょうか」


「自身で研究した」


 あまりにも簡潔な返答に、ただえさえ静かな空間に完全なる静寂が訪れた。

 誰もが何かの冗談ではないかと思ったものの、ギルガルドの表情は終始真剣そのもので、嘘をついているようには到底見えない。



「……ふむ」


 ルードルフは顎へ軽く手を添えると、小さく頷きながら何かを考え始めた。そして、自身の掌へ視線を落とすと、誰にも聞き取れないほど小さな声で何かを呟く。



―――瞬間、その掌の上へ透き通った水球が静かに浮かび上がった。


 それを間近で見ていた聖花は思わず息を呑んだ。同時に、教壇に立つギルガルドも僅かに目を細めてルードルフを見ていた。

 もっとも、その変化に気付いた者は他に誰一人いない。生徒たちの視線は未だにギルガルドへ向けられたままで、ルードルフの掌に浮かぶ水球へ視線が集まるまでには、ほんの僅かな時間差があったのだ。



「ルードルフは炎属性だったな」


「はい。そのはずですが……」


 そう返事をしたところで、周囲の生徒たちもようやく異変に気付く。視線が一斉にルードルフへ集まり、静まり返っていた教室は次の瞬間、大きなどよめきに包まれた。



「すごい……!」


「流石ルードルフ様ですわ!」


「一度聞いただけで……?」


 驚きと感嘆の入り混じった声が教室中から上がる。

 しかし、その喧騒の中でもギルガルドだけは変わらず冷静だった。



「勘違いするな」


 短く告げられたその一言だけで、教室は再び静まり返る。


「ルードルフが特例なだけだ。本来、適性のない属性を扱うには個人差はあれど長い年月を要する。今日ここでできるようになるものではない」


 その淡々とした口調には、自慢するような響きも、誇るような色も一切なかった。ただ事実だけを述べている――そんな声音だった。



「他に質問がないなら、一度やってみるか」


 そこからは単純だった。ギルガルドが教室内をゆっくりと歩きながら一人ひとりの様子を見て回り、魔素の流れが悪いだとか、力み過ぎだとか、その場で淡々と指摘していく。褒めることも叱ることもなく、事実だけを口にするその姿は、授業というより研究結果を確認しているようにも見えた。


 一方で、先ほど水球を生み出してみせたルードルフは、すでに聖花の隣で森属性に挑戦しており、辺りには小さな花が咲いていて風で揺れ動いている。


 考え始めればきりがない。一度説明を聞いただけで適性のない属性を扱えるなど常識では考えられなかったが、それでも実際に目の前で成功している以上、もう「ルードルフだから」と納得するしかなかった。


 さて、自分はどうするべきだろうか。そう考えて視線を腕へと落とした。

 現在、聖花は表向きには森属性として学園へ入学しており、左手首には昨日アーノルドから渡された魔具のブレスレットが嵌められている。本来であれば、その効果を確かめる絶好の機会と言えた。


 しかし、その一方で不安もある。もし、この場で魔具を使っていることが誰かへ露見したらどうなるのか。ギルガルドほど魔術に精通した人物が相手なら、何か違和感に気付かれてしまう可能性も否定できなかった。


 それならいっそ、ギルガルドの話に倣って炎や水といった適性外の属性へ挑戦してみる方が自然なのではないだろうか。仮に失敗したとしても、「適性がないのでできませんでした」と言い訳ができる。それなら余計な疑いを持たれる心配も少ない。


 そんなことを考えながら、無意識に左手首へ視線を落としていた、その時だった。



「何をしている」


 低く落ち着いた声が、すぐ傍から聞こえた。……いや、傍というより、ほとんど真横だった。


 聖花が驚いて顔を上げると、いつの間にかギルガルドがすぐ隣まで来ていて、こちらを静かに見下ろしている。



「申し訳ございません。授業中にもかかわらず、少し他のことを考えておりました」


「……他のこと?」


「はい」


「それは今、重要なことか?」


「いいえ。申し訳ございませんでした」


 短いやり取りの後、ギルガルドは聖花をじっと見つめる。何かを探るような、確かめるような視線だったが、その真意を読み取ることはできなかった。



「……まあいい。何なのかは詳しく聞かない。二度はないぞ……セイカ」


 そう言い残し、ギルガルドは踵を返して次の生徒のもとへ向かった。聖花はようやく胸を撫で下ろし、小さく息を吐きながらその背中を見送る。


 その後もギルガルドは教室内を巡り、一人ひとりへ短く助言を与えながら授業を進めていった。





「では、今日はここまでだ」


 一通り生徒たちの様子を見回したギルガルドは、短くそう告げる。


「今日できなかった者も、原因だけは忘れるな。それが分かれば十分だ」


 やがて終業の鐘が鳴ると、ギルガルドは教科書を閉じ、それ以上付け加えることなく教室を出て行った。背中が廊下の向こうへ消えた途端、静まり返っていた教室は一気に賑やかになる。



「ルードルフ様、すごかったですわ!」


「無属性なのに三属性を扱えるなんて聞いたことがありませんわ……」


「本当にあの話、研究だけで辿り着いたのかしら」


 あちこちから感嘆の声が飛び交う。しかし、そんな会話はほとんど耳へ入ってこなかった。聖花の視線だけは、ギルガルドが出て行った扉へ向けられたままである。



(結局、何も聞けなかったな……)


 聞きたいことはいくつもあった。どうしてギルガルドが代理を務めることになったのか。昨日から姿を見せないフェルナンのこと。そして何より、()()()()()の家族について――胸の奥へ引っ掛かったまま答えの出ない疑問を、一度くらい聞いてみたいと思っていた。

 けれど授業中にそんな話ができるはずもなく、終わった頃には彼はさっさと教室を出て行ってしまっていた。



(……また今度、機会があれば)


 そう思うことしかできず、聖花は小さく息を吐く。


 ギルガルドと話す機会が、これから先あるのかどうか。それはまだ分からなかった。

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