24.奏と生徒会室
時は少し遡り、図書委員会が始まる少し前のこと。荷物をまとめ終えたカナデは、自然と口元が緩むのを抑えきれないまま、ある場所へと足を向けていた。その目的地は、生徒会室――選ばれた生徒だけが出入りを許される、生徒たちにとって憧れでありながらも近寄り難い場所である。しかし、カナデにとっての生徒会室への認識は憧れの場所などではない。攻略対象であるルードルフとフェルナン、その二人へ自然に近付ける数少ない機会であり、ゲームを攻略するうえで決して見逃すことのできない重要な舞台だったのである。
もっとも、ゲームと全く同じ流れでここへ来たわけではなかった。本来であれば『光属性』という稀有な属性を持つマリアンナへ興味を抱いたフェルナンが、生徒会へ遊びに来ないかと誘い、その流れで補助役として迎え入れられるイベントが発生する。しかし現実では、そのフェルナンは担任ですらなく、そもそもクラスさえ違っていた。ゲームでは『1―Α』へ所属するはずだったマリアンナも、今の彼女は『1―Λ』に在籍している。表記が似ているものの全く別のクラスである。
何故そうなったのかはカナデにも分からないが、それでも昼休みに偶然知り合った生徒会の先輩から声を掛けられ、結果として生徒会室へ向かうことになったのだから、大筋だけを見ればゲームと同じ流れになっているとも言えた。
「……まあ、シナリオの強制力が働いてるようだけど」
誰に聞かせるでもなく小さく呟く。多少の違いはあっても、重要なイベントだけは形を変えてでも起こる。それがこれまでの経験からカナデが抱いた結論だった。クラスが違っても、生徒会へ入るきっかけがフェルナンではなく先輩へ置き換わっても、最終的に生徒会室へ足を踏み入れられるのなら問題はない。
少なくとも、この世界はまだゲームの流れを完全に失ったわけではないのだと、カナデは内心安堵していた。
(生徒会のイベントといえば、ルードルフ様とフェルナン先生よね)
もっとも、ルードルフだけへ近付けばいいという話ではなかった。ルードルフだけを選べばアーノルドに命を奪われる。逆にアーノルドだけを選べば、生涯監禁される結末が待っている。その二つを避ける唯一の方法が、二人を同時に攻略することだ。
顎へ手を添えながら、カナデはゲームで何度も見返したイベントを思い返していた。本来であればルードルフとは同じクラスとなり、席も隣同士になるため、入学式の翌日には自然と会話を重ねて距離を縮め始める頃である。しかし現実ではクラスそのものが異なってしまったため、昨日助けてもらって以来、まともに話す機会は一度も訪れていなかった。
一方、アーノルドとは同じクラスになっているため、話す機会には困らない。だが、それも本来のシナリオとは異なっていた。ゲームでは彼が気に入っている例の場所で会話を重ねることによって好感度が上昇し、そこでしか発生しないイベントも少なくない。奏としては、できればゲームと同じ流れで距離を縮めたかった。
昨日入学したばかりなのだから焦る必要はないと頭では理解していても、ルードルフを最優先で攻略したいカナデにとって、彼と話せない一日は思っていた以上に長く感じられたのである。
だからこそ、この生徒会への誘いは願ってもない機会だった。クラスが違うのなら、生徒会で距離を縮めればいい。それだけの話であり、ゲームと多少過程が違ったとしても、攻略対象と接点を持てるのであれば結果は変わらない。何より、生徒会にはルードルフだけでなくフェルナンもいる。本来のイベントとは違う形であっても、この場へ来られた時点でシナリオは大きく外れていないのだと、カナデは半ば確信していた。
現状、カナデが消化できた出会いのイベントは王子二人だけであり、リリスやフェルナンとはまだまともに話すことさえできていない。本来なら入学式が始まるまでに攻略対象全員と顔を合わせ、それぞれとの物語が少しずつ動き始めているはずだったというのに、現実はゲームほど都合良く進んではくれなかった。
その事実に一瞬だけ苦々しい表情を浮かべるものの、今は立ち止まっている場合ではない。こうして生徒会へ足を踏み入れられた以上、ここからゲーム通りの流れへ戻していけばいいだけなのだと、自分へ言い聞かせるように小さく息を吐いた。
そうこうしているうちに、生徒会室の前へと辿り着いた。昼休みに声を掛けてくれた先輩から言われた通り、軽く扉を叩いて名乗ると、中からすぐに扉が開かれ、そのまま部屋へ案内される。
部屋へ足を踏み入れた奏は、まず自分の立場について説明を受けた。正式な生徒会役員ではないものの、役員の補助を務める、いわばマネージャーのような役割らしい。その説明を聞いた瞬間、奏は思わず内心で安堵した。形こそ違えど、その立場はゲームのマリアンナとほとんど変わらなかったからである。
本来であれば、この役目を与えるのはフェルナンだった。彼は強引なところがあり、マリアンナの意思を半ば無視する形で生徒会へ連れて行き、「補助役として手伝ってもらいます」と一方的に話を進めてしまう。当然、ルードルフはそのやり方へ苦言を呈し、突然巻き込まれたマリアンナへ謝罪するところから、生徒会での物語が始まる。それがゲームで見慣れた一連の流れだった。
しかし現実では、その役目を担ったのはフェルナンではなく、昼休みに知り合った上級生だった。それでも、生徒会へ招かれ、補助役として迎え入れられるという結果そのものは変わっていない。細かな過程はいくら違っていても、大事な出来事だけは別の形で必ず起こる――そんな確信が、奏の中で少しずつ強くなっていた。
だからこそ、フェルナンが直接迎えに来なかったことにも、それほど大きな不安は抱かなかった。多少の違いはあっても、こうして予定通り生徒会へ入ることができたのだから、これから先も大筋はゲーム通りに進んでいくはずだ。そう思えば、これまで積もっていた焦りも自然と薄れていき、奏は目の前の先輩の説明へ頷きながら、これから始まる生徒会生活へ静かに期待を膨らませていた。
(まだ、二人とも来ていないみたいね)
部屋の中をそれとなく見渡しながら、奏は小さく胸を撫で下ろした。先輩から生徒会での役割について説明を受けながら相槌を打ってはいたものの、その内容は殆ど頭へ入ってきていない。ゲームを何度も遊んできた彼女にとって、生徒会で何をするのかはある程度把握しており、今はそれよりも攻略対象がいつ姿を見せるのかということの方が遥かに重要だった。
(この先輩みたいに、みんな最初からマリアンナを好きになってくれれば楽なのに)
目の前で説明を続ける先輩を眺めながら、奏はそんなことを考えていた。ゲームの中では攻略対象たちは皆、物語が進むにつれて自然とマリアンナに惹かれていく。それが現実でも同じなら、自分は何も焦る必要などないはずだった。
しかし現実はそう甘くはない。説明だけが淡々と続いていき、ルードルフもフェルナンもまだ姿を見せない。奏は僅かにもどかしさを覚えながら、時間が過ぎていくのを待つしかなかった。
やがて生徒会室の扉が開き、聞き慣れた穏やかな声が部屋へ響く。
「こちらの方は……」
入ってきたのはルードルフだった。
昨日の入学式と変わらぬ柔らかな笑みを浮かべながら、彼は不思議そうに奏へ視線を向けている。ゲームであれば、同じクラスの隣席という関係から『何故貴女がここに?』と尋ねられる場面だった。しかし今はクラスも違えば、生徒会へ来た経緯も異なる。細かな台詞が変わるのも当然だろうとカナデは特に気に留めることなく、先輩から紹介を受ける様子を静かに見守っていた。
紹介が終わると、奏は一歩前へ出て丁寧に頭を下げる。
「改めまして、私はマリアンナ・ヴェルディーレと申します。ルードルフ様、昨日は助けていただき、ありがとうございました」
「いえ。当然のことをしたまでですよ」
返ってきたのは、昨日と変わらない穏やかな笑顔だった。先輩に対しては生徒会へ招き入れたことを軽く注意していたものの、その表情に険しさはまるでない。ゲームで知っていた通りの穏やかな笑みに触れ、奏の胸は自然と高鳴った。やはり攻略対象の中でも、ルードルフは特別だった。
その後は自然と会話へ加わり、生徒会の面々とも簡単な挨拶を交わしていく。しかし、しばらく待ってもフェルナンの姿だけは一向に見当たらない。気になった奏は、それとなくルードルフへ問い掛けた。
「そういえば……フェルナン先生はいらっしゃらないのですか?」
一瞬だけルードルフは不思議そうな表情を浮かべたが、それも束の間のことで、すぐに穏やかな声で答えた。
「彼は本日学園にいらっしゃいません」
「そう……なんですね」
衝撃だった。入学したばかりだというのに攻略対象であるフェルナンが学園へ来ていないなど、ゲームでは考えられない展開である。
一瞬、頭の中が真っ白になりそうになったものの、ここで動揺を表へ出すわけにはいかなかった。奏は心の中だけで悲鳴を飲み込み、何事もなかったかのように穏やかな表情を保つ。
そんな奏の様子を見ていたルードルフは、ふと何かを思い出したように首を傾げた。
「はい。ところで、貴女は彼とお知り合いなのですか?」
ルードルフは柔らかな笑みを崩さないまま尋ねた。しかし、その問い掛けには、ほんの僅かに何かを確かめるような響きがあった。
「いいえ。まだお会いしたことはございません。ですが、生徒会の担当であると耳にして、お話しできればと思っていました」
「左様ですか。その噂はどちらで?」
そう尋ねると同時に、ルードルフはさりげなく隣の上級生へ視線を向けた。しかし、視線の意図を察した上級生は小さく首を横へ振る。
「いえ。教室で皆さんが噂しているのを、小耳に挟みました」
「なるほど……そうでしたか」
ルードルフは柔らかな笑みを崩すことなく頷いた。その様子を見る限り納得したようにも思えたが、本当にそうだったのかは奏には分からない。もっとも、彼女にとって今重要なのはそこではなかった。
(今日は会えなかったけど、生徒会には入れた)
それだけで十分だった。フェルナンは欠席していたものの、生徒会へ加わるという本来のイベント自体は形を変えて成立している。多少過程が違っても、大筋さえ変わらなければ問題はない――そう考えると、先ほどまで胸を占めていた焦りも自然と薄れていった。
その後は補助役として任された仕事を淡々とこなしながらも、奏の頭の中はこれからのことでいっぱいだった。今日だけで大きく距離が縮まったわけではない。それでも、生徒会へ出入りできるようになった以上、ルードルフと顔を合わせる機会は確実に増える。フェルナンも、いずれ学園へ戻ってくるはずだ。
(少し遅くなったけど、これで一安心ね)
クラスが違っても問題ない。シナリオが少し変わっても問題ない。大事なイベントはちゃんと起こるし、攻略対象とも会えている。だから多少過程が違っていても、これから先も少しずつゲーム本来の流れへ戻っていくはずだ――そう思うだけで、先ほどまで胸を占めていた焦りはいつの間にか薄れていた。
ならば、この先もゲーム通りに攻略していくだけだった。
(次は、もっとルードルフ様とお話ししなきゃ)
そう考えるだけで自然と頬が緩む。ゲームではここから少しずつ距離を縮めていくことになるし、現実でもきっとそうなるはずだ――そんな期待を胸に、カナデは次に訪れる生徒会の日を心待ちにした。




