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23.史実書の空白

 程なくして、昼間訪れた図書室が見えてきた。


 硝子張りの扉越しには、昼と変わらず受付に一人の女性が腰掛けている。机の上には帳簿や書類が幾重にも積み重ねられ、女性はその一枚一枚へ目を通しながら、休むことなく手を動かしていた。昼間ほど張り詰めた空気ではないものの、相変わらず忙しそうで、その表情にも余裕らしい余裕は見受けられない。話しかければ迷惑そうな顔をされるだろう――そう思わせるには十分な雰囲気だった。


 聖花は受付の手前で一度足を止めて、小さく息を吐いた。


 勿論このまま奥へ向かうこともできる。しかし、今日から自分は図書委員、それも副委員長だ。目の前の女性が図書室の担当者かどうかまでは分からないものの、今後少なからず顔を合わせることになる相手である以上、何も挨拶をせずに通り過ぎるのは流石に気が引けた。

 昼間の対応を思い返せば少々話しかけづらくはあったが、それでも礼を欠くよりは遥かに良い。そう判断した聖花は静かに受付へ歩み寄ると、女性へ向かって丁寧に一礼した。



「お忙しいところ失礼します。本日より図書委員副委員長となりました、セイカ・ゴルダールと申します。一年間、よろしくお願いいたします」


 女性は顔を上げなかった。視線は終始書類へ向けられたままで、手を止めることもなく、ただ短く一言だけ返す。



「そう」


 それだけだった。歓迎する様子も、興味を示す様子もない。ただ報告を受け取ったというだけの、あまりにも簡潔な返答だった。


 もっとも、昼間のように露骨に追い払われたわけではない。話しかけたことを咎められることもなければ、不機嫌そうに睨まれることもなかった。それが彼女なりの応対なのだろうと思えば、昼よりは幾分ましだったのかもしれない。



(やっぱり、仕事の邪魔をされるのが嫌なのかしら)


 そんなことを考えながら、聖花はこれ以上邪魔をするつもりはないと静かに踵を返した。昼休みにフィリーネから教えてもらった史実書の棚へ向かおうと歩き始めた、その時だった。



「昼から、何を探しているの」


 唐突に掛けられた声に、聖花は思わず振り返る。


 女性は相変わらず書類へ視線を落としたままで、一度たりともこちらを見ようとはしない。それでも、問い掛けられているのが自分であることだけは間違いなかった。



「史実書を探していました。昼のうちに場所は見つかったのですが、その時は時間がなくなってしまいましたので、この後ゆっくり読もうと思いまして」


 聖花がそう答えると、女性は何も返さなかった。

 静まり返った図書室には、紙をめくる音と、書類へ文字を書き込む音だけが規則正しく響いている。聞こえなかったのだろうか、と聖花が思い始めた頃、女性はようやく小さく口を開いた。



「どうして史実書を?」


 その問いは短く、それ以上の言葉は続かなかった。ただ純粋な疑問なのか、それとも別の意図があって尋ねているのか、その無表情からは何も読み取ることができない。

 聖花は喉元まで出かかった本当の理由を飲み込み、努めて自然な笑みを浮かべた。



「最近、歴史に興味を持つようになりまして。教えていただいた内容だけでも十分勉強にはなったのですが、それだけでは何となく物足りなく感じてしまって……。せっかく学園には国内有数の蔵書を誇る図書室がありますから、この機会にもう少し深く学んでみようと思ったのです。他国の歴史もそうですし、自国についても、まだ知らないことが沢山ありますから」


「教えられなかったの?」


 間髪入れず返ってきた問い掛けに、聖花は一瞬だけ言葉を選ぶ。



「基本的な歴史は教えていただきました。ただ、あくまで貴族として必要最低限の知識です。その先は、自分の目で確かめてみたいと思いました」


 女性は返事をしなかった。


 ペン先だけが淡々と紙の上を滑り、書類を一枚めくる音が静かな図書室へ溶け込んでいく。その様子から察するに、会話をしながらでも仕事の手は止めないらしい。

 やがて、女性は小さく一言だけ漏らした。



「……そう」


 それだけ告げると、再び書類へ意識を戻してしまう。昼に受けた印象と違い、決して話を拒絶しているわけではない。ただ、仕事を最優先しているだけなのだろう。そう考えれば、どこか納得できるものがあった。


 何をそこまで急いでいるのだろう。何の書類なのだろう。そんな疑問が頭を過ぎる一方で、ここまで忙しそうにしているのなら、自分にも何か手伝えることがあるのではないかという思いも自然と湧き上がってきた。

 今日から図書委員になった以上、少しでも役に立てるのであれば、その方が良いに決まっている。そう思った聖花は遠慮がちに口を開いた。



「先ほどからお忙しそうですが、私に何かお手伝いできることはございませんか? 折角図書委員になりましたので、少しでもお力になれればと思うのですが」


「不要よ」


 返事は間髪入れず返ってきた。女性はようやく僅かに眉を寄せたものの、その視線は相変わらず書類から離れない。



「私一人で十分です」


 その言葉に遠慮や見栄は感じられなかった。本心からそう思っているのだろう。実際、図書委員が決まる以前から、この広い図書室を一人で切り盛りしてきたのは彼女のはずだ。説明する時間も、確認する時間も、他人へ気を配る時間すら惜しいほど仕事が山積みなのであれば、誰かへ任せるより自分で終わらせた方が早い――そんな考え方なのかもしれない。

 先ほど自分から話しかけてきた理由こそ分からなかったが、少なくとも手伝いを必要としていないことだけは、その口調から十分すぎるほど伝わってきた。


 これ以上勧めたところで答えは変わらないだろう。そう判断した聖花は素直に引き下がることにし、小さく頷いてから丁寧に一礼した。



「承知しました。お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございました。では、私はこれで失礼いたします」


 そう告げて踵を返しかけたところで、聖花はふと思い出したように足を止める。今後図書委員として関わる機会があるかもしれない相手だというのに、まだ名前すら知らないままだったのだ。



「あの……最後に、お名前だけお伺いしてもよろしいでしょうか」


 女性は答えなかった。書類へ向けられた視線も、忙しなく動く手も止まることはなく、図書室には紙をめくる音だけが静かに響いている。やはり聞きすぎだったのだろうか、と聖花が半ば諦めながら歩き出そうとした、その時だった。



「……エレンよ」


 ぽつり、と短く名前だけが返ってくる。それ以上言葉が続くことはなかったが、それだけで十分だった。



「ありがとうございます」


 聖花は自然と笑みを浮かべながら頭を下げると、今度こそ図書室の奥へと歩き出した。


 昼間は、ただ愛想の悪い人なのだと思っていた。しかし実際に話してみると、その印象は少しだけ変わった。決して人当たりが良いとは言えないし、必要以上に言葉を交わそうともしない。それでも、話しかければ最低限の返事は返してくれるし、礼を尽くせば無視をすることもない。単に人付き合いより仕事を優先しているだけなのだろうと考えれば、不思議と先ほどまで感じていた近寄り難さも薄れていた。


 リブロが話していた『もう一人の担当者』とは恐らく彼女のことなのだろう。そう思いながら、聖花は昼休みにフィリーネから教えてもらった史実書の棚を目指して静かに歩みを進めた。


 受付を離れるにつれ、人の気配は次第に薄れ、辺りを包む静寂が一層深まっていった。昼間でも利用者は皆無に等しかったが、この時間になると図書室は一層静まり返り、聖花の靴音だけが規則正しく響き渡っていた。天井近くまで伸びる本棚は幾重にも並んでいて、その隙間を進んでいると自分が図書室ではなく巨大な書庫の中へ迷い込んだような錯覚すら覚える。


 やがて見覚えのある棚が視界へ入った。昼休みにフィリーネから教えられた史実書の区画である。あの時は時間に追われ、本の題名を確認する程度しかできなかったが、今なら閉館までまだ時間があった。落ち着いて調べるには十分だ。


 もっとも、聖花が本当に探したいものは史実書そのものではなかった。目的はあくまでシンシアという人物へ繋がる手掛かりであり、史実書もそのための手段の一つに過ぎない。とはいえ、図書室へ来たところで『シンシア』と題された本が都合よく並んでいるはずもなく、まずはリブロの話と繋がりそうな歴史書から当たって、少しずつ糸口を探っていくしかなかった。

 遠回りに思えても、今の聖花にはそれ以外の方法が思い付かなかったのである。


 昼休みにフィリーネから教えてもらった棚へ辿り着くと、聖花は手近な一冊を抜き取り、索引や見出しへ目を通しながら静かに頁を捲っていった。しかし、それらしい記述は見当たらない。別の本を開いても結果は同じで、さらにもう一冊、もう一冊と読み進めても、探している人物へ辿り着く気配はなかった。



(……おかしい)


 何冊目かの史実書を閉じたところで、聖花はふと違和感を覚えた。


 先ほどからいくつもの史実書を開いては閉じ、気になる箇所へ目を通していたものの、リブロが語ったアルバ国の歴史については、これといって詳しく記されていなかった。あったとしても数行程度触れられているだけで、その内容もごく簡潔なものばかりである。勿論、流すように読んでいる以上、見落としている可能性は十分にあったが、見出しや挿絵へ目を向けても『奴隷』や『追放』といった言葉は一向に見当たらない。

 罪人が追放された、処刑されたという記述は幾つか見受けられたものの、リブロが話していたような、先住民たちがその後どうなったのかについて触れている箇所はなく、念のため同じページを何度か見返してみても結果は変わらなかった。


 つまり、リブロはこの図書室へ置かれている史実書以外からも知識を得ていたことになる。あるいは、まだ自分が手に取っていない本のどこかへ記されている可能性も否定はできないが、これだけ多くの史実書へ目を通しても一度も目に入らないとなれば、流石に偶然だけで片付けるには無理があるように思えた。

 まるで誰かが意図的に、その部分だけを伏せているかのようで、聖花の中で小さな違和感だけが静かに積み重なっていった。


 そういえば、リブロは昔から歴史書を読み漁っていたようなことを話していた。ジミー家に独自の蔵書があるのか、それとも学園内には一般生徒が立ち入れない書庫のような場所が存在するのか、その辺りまでは分からない。

 それでも、国内有数の蔵書を誇る図書室とまで言われる場所に、ここまで重要な内容が見当たらないというのは妙な話だった。もっとも、国として公にできない歴史があるのだとすれば、それを一般へ公開しない理由も理解できなくはない。聖花は半ば無理やり自分を納得させながらも、胸の奥に残る引っ掛かりだけは拭い去ることができなかった。



(……やっぱり、人から聞くしかないか)


 何となくだが、この図書室をどれだけ探し回っても、シンシアについての情報は見つからない気がした。

 勿論、リブロが思い出してくれれば話は早い。だが、委員会でもない限り教員である彼と顔を合わせる機会はそう多くないだろうし、だからと言って教員室へ押しかけ、「シンシアという人物を思い出しましたか」と尋ねる訳にもいかない。建国の歴史についても同様で、偶然話題になったからこそ自然に聞くことができたのであって、自分からその話だけを切り出せば不審に思われても仕方がなかった。


 では、他に尋ねられる相手はいるだろうか。そう考えて真っ先に浮かんだのはルードルフだったが、彼は王太子である。今朝の様子を見る限り、建国の裏側を知っている可能性は高いものの、だからこそ軽々しく口にするとは思えなかった。担任であるエルザも教員という立場上、秘匿すべき内容を生徒へ話すとは考えにくいし、リリスも昨日の一件を見る限り、知っていたとしても口止めしてくるだろう。ロザリアなら公爵令嬢として何か耳にしているかもしれないが、現状ではまともに話すことすら難しい。

 無論、フェルナンは論外である。


 そうして一人ずつ可能性を消していくと、最後に残ったのはアーノルドだった。王族という立場を考えれば、知っていても何ら不思議ではない。



―――だが、今朝交わした約束では、次に会うのは一週間後。


 その頃には何か進展しているかもしれない。しかし、だからと言って何もせず待つつもりはなかった。



(それまでに、私にできることを探さなくちゃ)

次回は奏視点になります

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