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ヒロインの座、奪われました。  作者: 荒川きな
3章 気勢と待望
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22.入学式前日 前半

 その日は雨音から始まった。

 ザアザアと雨が振りしきり、建物が水を弾く音が小さくも聞こえてきて、聖花はふと目を覚まして起き上がった。

 静かな部屋によく響く音だ。


 廊下には人の気配がして、彼らはパタパタと慌ただしく動き回っている。きっと家事でもしているのだろう。あるいは、明日に備えて荷物の詰め込みでも行っているのだろうか。


 明日は待ちに待った入学式で、聖花の生活する場所はゴルダール家から学園寮へと暫く移る。

 生徒の殆どに例外はなく、余程の事がなければ休暇期間まで家に帰れることはない。

 これも学習の一環なのだ。


 連れていける使用人は最大(・・)一人までで、それ以上は認められていない上に、そもそも連れ歩かないことが推奨されている。

 常日頃、面倒を見られることに慣れ切った貴族の子供(令嬢や子息)たちにとっては中々に手厳しい制度でろう。

 その面においては、平民の方が暮らしやすいのかもしれない。


 そんなことは置いておいて、今日は特別な日でもある。

 余り良い思い出はないが、ゴルダール家で過ごす最後の一日。

 少し大袈裟ではあるが、重篤な病気など無い限り、当分家に戻って来ないのは確かで、身に何か起こらないことを願うばかりである。


 メイドたちの陰口に、ヴィンセントの圧。不可解な日記に、不思議な構造をした家。そんなゴルダール家から離れるのに何ら抵抗はないが、暫く面倒を見てもらった家であることに変わりはないのだ。

 だからこそ、有り難みは感じていた。だからこそ、特別な日なのだ。


 忙しなかったパーティーの日から数日が経つのは早かった。むしろあの一日(パーティーの日)の方が長く感じられた程である。


 首に薄く付いた傷は、次の日になると綺麗サッパリ消え去っていた。それには聖花も、アデルも不思議に思っていたのだが、聖花は悪夢だったのだと、アデルは寝惚けていのだろうと思い込む(・・・・)ことで留まった。

 あんなのが現実で起こっていい訳がない、と。


 報告を受けたヴィンセントはと言うと、それを闇属性の特性の一つなのかと考えた。

 当然、そのことは誰にも伝えられていない。



(明日は晴れるかな‥‥‥‥)


 聖花は、窓から見える景色を遠目に眺めた。

 この国に天気予報などはなく、彼女に天気を推測する力はない。


 天気が晴れるかどうか考えながらも、雨が止んでくれることを聖花は願った。

 新たな門出が曇りであれば、自ずと気分が沈むと言うものだ。それは他の者も同様であろう。


 アデルが部屋へと来るのを待ちながら、聖花は寝具(ベッド)の上に再び転がり込んだ。

 降りしきる雨音に耳を傾けて、放心する。せめてこの時間だけは何も考えずに過ごしておきたかったのだ。


 今日は、フェルナンが授業に訪ねて来る日だ。

 こんな日(入学式前日)まで熱心にやって来る彼にある種の感心を抱きつつも、何処か不安感がある。

 ‥‥入学式の準備やらは大丈夫なのだろうか、と。彼も教員で、準備が大変な時期であろうに。


 数日前、そのことをそれとなく尋ねてみたのだが、"大丈夫"の一点張りで、結局どうなっているのか聖花には把握出来なかった。

 教員として、役目を果たしているのか心配になる。

 

 フェルナンの授業は、多少(・・)あくどい所もあったものの、案外丁寧に教えてくれるし、工夫を凝らしてくれるしで退屈しなかった。


 だからと言って、また受けるかと問われたら答えはノーだ。聖花の弱みを握っていて、それでいて脅迫じみた真似をする人間を誰が信用できようか。


 兎に角、そんな事情は無視するとして、あくまでこの授業だけは一つの良い(・・)思い出として聖花の心に留めて置きたかった。


 学園ではまた近い内に再会するが、その時は今のような近い関係ではなく、遠い関係として出来るだけ関わりたくない。

 約束(脅迫)のことと言い、きっと望み通りにはいかないだろうが、それが彼女の本音である。


 だから、聖花はフェルナンを説得する必要があった。出来るだけ早く、この問題だけでも片付けたいのだ。

 まだまだ問題が山積みで、面倒事は少しでも減らしておくに越した事はないから。


 折角の今日という絶好の機会(チャンス)

 これを逃せば、余計な種を学園まで持ち越してしまう。


 どの道、口約束に過ぎないのに変わりはないが、それでも彼女の正体(脱獄した罪人)を広めないという確証が欲しかった。



「お嬢様!おはようございますっ!!」


「おはよう‥‥‥‥‥」


 そうしている内に、とうとうアデルが部屋へとやって来た。もう少し寝転がっていたい気分であったが、そうは言ってられない。時間に限りはあるのだ。


 聖花は再び起き上がると、相変わらず朝から元気なアデルに顔を向けた。

 彼女の存在は、ゴルダール家の毎日を幾分楽にしてくれた。そう改めて感じた瞬間だった。


 そんなことも知らない本人は、聖花の身支度を整えながら、染み染みと話し始めた。



「明日は入学式ですね。お嬢様が家にいらしてから早いものです」


「そうね。本当に」


「‥‥‥ここでの暮らしは充実していましたか?」


「‥‥‥‥‥‥ええ。アデルのお陰でとっても」


「えへへ。嬉しいなぁ。お世辞でもそう言って頂けて私は幸せ者です」


 他愛の無い会話を交わしながら、時間はゆっくりと過ぎて行く。

 不意に褒められて頬を赤くしたアデルは、照れ臭そうに微笑みを浮かべた。鏡越しにそれが見える。


 聖花は、何故こんなに純粋な人間がわざわざゴルダール家で働いているのかと改めて不思議に感じた。

 辞めることも、他の家に移ることも出来た筈なのに、そうしない理由がよく分からない。

 けれども彼女がいたからこそ、救われてきた点も多々あることは確かだ。



「お世辞なんかじゃないわ」


「そう思っておきますね」


 聖花が本心からそう告げたにも関わらず、どうやらアデルにはお世辞にしか聞こえないらしい。

 他者を褒めたりはしても、自身には評価が厳しいようだ。聖花はそんなアデルが何処かもどかしかった。


 鏡越しにアデルの方に視線を送って、聖花は彼女の名前を力強く呼んだ。ハッキリと、穏やかに。


 

「アデル」


「どうしましたか?」


「貴女は周りの人を明るくしてくれる素敵な人よ。もっと自信を持っていいの」


 聖花はストレートに褒めた。何時もの彼女はこんな事はしないけれども、今日だけは違った。

 明日から、アデルとも当分お別れなのである。もっと言うと、今度会う時はマリアンナとして会うのかもしれなかったから。

 だから、これだけは早めに伝えておきたかった。"聖花"として。


 聖花は、奏と出来るだけ早めに決着を着けるつもりだ。まだまだ準備は足りないが、その意志は決して変わらない。

 やがて、大きなものと向き合うことになろうとも。



「そんなこと‥‥‥‥‥」


 アデルは困惑した。まるでお別れを言うような聖花を不思議に思ったのか、それとも唐突に褒め称えられて慌てているのか。


 手を止めて顔を沈めるアデルに、聖花が向き直って彼女の顔をしっかりと見た。折角整えている途中の髪が崩れるかもしれないことも厭わずに。



「私が保証するから、そんなに暗い顔をしないで。アデルがそんな顔をしていると私まで寂しくなるの」


「お嬢様‥‥‥‥‥‥」


 アデルは思わず、聖花が何処かに行ってしまうのかと聞きそうになった。それ程までに彼女の様子は何処か変に思えたのだ。


 けれども(すんで)の所で言葉を飲み込んで、静かに微笑み返す。

 それが聖花の願いだったから。


 何処か和やかな、不思議な雰囲気に包まれたまま、ふたりは朝食の時間が来るまで取るに足らない会話を交わした。


 いつの間にやら雨は止み、雲だけが空に浮かび上がっていた。

 まだ一日は始まったばかりだ。

次回、久々のフェルナン登場話です(*‘ω‘ *)

(なお、何度も授業でゴルダール家に訪問しています

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