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20.奏にとって

(やっと……やっと、ここまで来たのね)


 ヴェルディーレ家に与えられた一室で、奏は身体の内側から湧き上がる歓喜に打ち震えていた。


 姿見の前には、王宮へ出向くための衣装へ身を包んだ自分がいる。


 丹念に整えられた髪には小ぶりながら品のよい装飾品が差し込まれ、淡い色合いのドレスは、マリアンナが本来持つ可憐な容姿を一層引き立てていた。使用人たちは最後の仕上げをするため忙しなく手を動かしているが、奏の意識はすでに、これから訪れる王宮の夜会へ向けられている。


 待ち望んでいた機会が、ようやく訪れたのだ。


 あの日以来、ダンドールは宣言どおり、奏を外へ出そうとしなかった。小規模な茶会や親しい家同士の集まりへ参加することはおろか、屋敷の敷地外へ出ることさえ、ほとんど許されなかった。


 正直なところ、奏も彼がここまで過保護な人間だとは予想していなかった。

 だが、改めてマリアンナの設定を思い返してみれば、分からないことではない。ゲームの中でも、ダンドールは娘を溺愛する父親として描かれていた。少しでも危険なものから遠ざけ、傷つかないよう自分の手元へ置いておこうとする。それが、マリアンナの父親であるダンドール・ヴェルディーレという人物だった。


 ゲームを遊んでいた頃の奏にとって、それは主人公が大切にされていることを示す設定の一つにすぎなかった。けれど、実際にその娘として暮らしてみれば、話は違う。愛情という名目で自由を奪われ、何をするにも周囲の許可を必要とする生活は、息が詰まるほど窮屈だった。

 設定を知っていたにもかかわらず、所詮はゲームの中の話だと侮っていた。つまり、自業自得である。


 だからといって、ダンドールへ苦言を呈するわけにもいかなかった。本来のマリアンナは、父親へ強く反抗できるような性格ではない。大人しく、優しく、心の声を胸の奥へ飲み込んでしまう。

 その彼女が、突然外へ出せと騒ぎ立てるようになれば不信感を与えてしまうに違いない。


 奏にできることといえば、自室で一人になった時、誰にも聞かれないよう小声で愚痴を零すことくらいだった。それでも、溜まり続ける苛立ちが完全に消えるわけではない。


 早く学園へ入学したい。早く乙女ゲームを始めたい。

 そう考えなかった日は、一日たりともなかった。


 奏にとっては、フィリーネの存在も煩わしかった。


 マリアンナの姉であり、家族思いのフィリーネは、ゲームの中では主人公の変化へいち早く気づき、何かと探りを入れてくる人物だった。

 最終的には、あるイベントを経て姉妹として和解するけれど、それは学園へ入学して物語が本格的に動き始めてからの話である。


 今はまだ、乙女ゲームの開始地点である入学式にさえ辿り着いていない。だからこそ奏は、日々の言動へ細心の注意を払い、フィリーネへ不自然に思われないよう努めなければならなかった。元の世界でゲームを遊んでいた頃も、フィリーネに関係する選択肢を誤ったせいで、何度攻略に失敗したか分からない。

 主人公の姉というだけで攻略対象ではないにもかかわらず、物語の進行へ大きく関わってくる、奏にとっては厄介極まりない人物だった。


 もっとも、今日ばかりは、そのような鬱屈した日々のことなど、どうでもよかった。


 我慢に我慢を重ねた末、ついにここまで来たのだ。


 王族が主催する、大規模な夜会。

 さすがのダンドールも、王家から届いた正式な招待を無下にはできなかったらしい。あるいは、普段は大人しく振る舞っているマリアンナが、今回ばかりは珍しく何度も参加を願ったために根負けしたのかもしれない。

 いずれにせよ、奏はどうにか出席の許可を得ることができた。これだけは、何を言われても譲るつもりはなかった。


 王族主催の夜会であれば、『異国の国の聖女』に登場する攻略対象たちが姿を見せる可能性は高い。本来の出会いは学園への入学後だったとしても、少しくらい時期が早まったところで問題はないだろう。


 どうせ最後には、彼らはマリアンナ――つまり奏を愛することになる。それなら、早く顔を合わせた方が好感度を上げる時間も増えるというものだ。結局のところ、奏は入学式まで待ちきれなかったのである。

 


(ああ、本当に、今まで我慢した甲斐があったわ)


 使用人に髪を整えてもらいながら、奏はこれまでの日々をしみじみと思い返した。

 閉じ込められていた時間も、フィリーネの視線を気にし続けた生活も、今日のために必要な苦労だったのだと思えば、いくらか報われた気分になる。


 自然と口元が緩んだ。


 以前にも一度、パーティーへ姿を見せたことはある。ただし、あの時は正式に招待されていたわけではなく、ほんの少し悪戯を仕掛けるつもりで忍び込んだだけのことだった。


 だが、今回は違う。奏にとって初めてとなる、正当な招待客としての夜会参加である。しかも、その晴れの舞台は王族主催の豪華なパーティーだ。偶々だけれども今の奏には関係なかった。まるで世界そのものが、自分こそこの物語の主人公なのだと認めてくれているような気がしたからだ。


 両親が道中で話していた内容も、普段ならやや腹立たしく感じるギルガルドの態度も、精神を擦り減らしてくるフィリーネの視線も、今日だけは気にならなかった。


 ようやく屋敷の外へ出られる。ようやく攻略対象たちを、この目で見ることができる。その期待だけで、胸はいっぱいだった。


 奏は上機嫌のまま馬車へ乗り込んだ。喜びを抑えきれず、普段よりも勢いよく足を踏み出す。その動作が淑女として褒められたものではなかったことに、乗り込んでから気がついた。

 いつもであれば、ゲーム画面で見たマリアンナの立ち居振る舞いを思い出し、できる限り丁寧に動いていた。けれど、今日ばかりは耐えきれず、つい下手を踏んでしまった。


 フィリーネは何も言わなかった。ただ馬車へ乗り込むマリアンナ――奏を、静かな目で見つめている。叱責されるよりも、その無言の視線の方が奏には不気味だった。何を考えているのか。今の動作へ違和感を覚えたのか。気にならないわけではなかったが、せっかくの気分を台無しにされたくはない。


 奏はフィリーネの視線へ気づかないふりをし、馬車の座席へ腰を下ろした。


 そうして、僅かに不穏な空気を乗せたまま、ヴェルディーレ家の馬車は王宮へ向かった。





 王宮へ到着した時には、すでに大勢の貴族が集まっていた。


 パーティーホールの至る所で、華やかな衣装を纏った男女が杯を手に語り合い、給仕たちが料理や酒を運びながら、人々の間を軽やかに行き交っている。


 奏は会場へ足を踏み入れた途端、思わず息を呑んだ。



(すごい。すごい、すごい……!)


 画面越しに眺めたものとは、全く違っていた。


 国中から貴族が集まっているためか、広大なホールでさえ狭く感じられるほど多くの人で埋め尽くされている。天井から吊るされた巨大なシャンデリアには無数の光が灯り、金銀の装飾へ反射しながら、会場全体を眩く照らしていた。

 卓上へ並べられた料理も、屋敷で目にするものとは比較にならない。繊細な細工を施された菓子、色鮮やかな果物、湯気を立てる肉料理。料理というより、美術品のようにさえ見える。王族主催というだけあって、装飾も料理も、これまで奏が見てきたものとは桁が違っていた。


 そして何より、自分自身がその場に立っている。


 貴族たちの衣装から漂う香り。楽団が奏でる楽器の音。幾つもの声が重なり合って生まれる会場の熱気。その全てを、奏は画面の向こうではなく、自分の身体で感じている。胸の奥から湧き上がる高揚感が、堪らなく心地よかった。


 屋敷での不愉快な日々のせいで忘れかけていたが、ここは本当に乙女ゲームの世界なのだ。そして自分は、その物語の主人公であるマリアンナになっている。それを改めて実感しただけで、これまで溜め込んできた苛立ちが一気に吹き飛んでいくようだった。



「お友達を探してまいります」


 奏は両親へそう告げると、家族の傍を離れた。


 ゲームの序盤から、マリアンナには何人か親しくしている令嬢がいたはずである。

 この場にも、そのうちの誰かが来ている可能性は高い。


 しかし、奏は友人を探すより先に、会場内へ視線を巡らせた。目当ては、もちろん攻略対象である。彼女の記憶が正しければ、『異国の国の聖女』で主に攻略できる男性は四人いた。


 第一王子、ルードルフ・フィン・アルバ。

 第二王子、アーノルド・ルクス・アルバ。

 侯爵令息、リリス・ティーザー。

 そして、学園教師となるフェルナン・パース。


 奏が把握している限りでは、その四人である。それぞれに複雑な過去や因縁があり、選択肢を一つ間違えるだけでエンディングが大きく変わる。特にバッドエンドのスチルは魅力的で、ファンの中には、敢えてそちらに進む者さえいたことだろう。


 奏も、攻略には何度も失敗した。ヒロインが刺されたり幽閉されたり氷付けにされたり切断されたりする度に、一からやり直して攻略し直した。


 けれど、難しかったからこそ、成功した時の達成感は大きかった。


 もっとも、奏には一つだけ、最後まで成し遂げられなかったことがある。全員から愛される、いわゆる逆ハーレムルートだ。このルートに入った時点で、無理に進めようとすれば物語の途中で不可解な分岐へ入り、最後には画面へ『バッドエンド――傀儡人形ルート』と意味の分からない表示が出てきて、どうしようもなかった。

 なぜ傀儡になのか詳しい説明もないまま物語が終わってしまうため、奏には意味が分からなかった。


 しかし、ここはゲームそのものではない。選択肢を押すだけではなく、自分の言葉で彼らと会話し、自分の意思で動くことができる。ゲームで不可能だったとしても、現実となったこの世界ならば、全員に愛されることもできるかもしれない。

 せっかく乙女ゲームの世界へ来たのだから、特定の一人だけを選ぶ必要はない。彼らにはそれぞれ異なる魅力があり、奏には誰か一人へ決めることなどできなかった。


 ただし、四人のうち、アーノルドとルードルフだけは少し事情が異なる。この双子の王子は、片方だけを攻略することができず、必ず二人を同時に攻略しなければならない。兄弟の関係に深く関わる物語であるため、一方へ近づけば、必然的にもう一方とも関わることになるのだ。

 もし全員を攻略することが難しいのであれば、奏はこの二人を優先するつもりだった。リリスとフェルナンを諦めるのは惜しいけれど、王子二人から愛されるうえ、最終的には王太子妃になれるという大きな利点までついてくる。


 難易度が高くても、一度はゲームで最後まで攻略した相手である。展開も、必要な選択肢も知っている。奏にとっては、決して不可能な話ではなかった。


 そうして会場を眺めているうちに、規則的な人だかりが目に入った。何人もの令嬢が、明らかに一人の人物を囲うように集まっている。ゲームでも現実でも、人の集まる場所には目立つ人物がいる。そして、このような夜会で令嬢たちが群がっているのであれば、その中心に攻略対象がいる可能性は高い。


 奏は迷うことなく、その人だかりへ近づいた。令嬢たちの隙間から中心を覗き込み、胸を高鳴らせる。そこにいたのは、奏の予想どおり、攻略対象の一人だった。



(いた……!)


 リリス・ティーザー。ゲームで見たままの、子犬を思わせる愛くるしい顔立ち。けれど、実際に目にする彼は、画面越しで見た姿より遥かに魅力的だった。

 柔らかな髪。誰に対しても親しげに細められる瞳。そして、太陽のように明るい笑顔。その笑顔を向けられた令嬢たちが、揃って頬を染めてしまうのも無理はない。一見しただけでは、とても裏に別の顔を隠しているようには思えなかった。


 けれど、奏は知っている。愛想を惜しみなく振りまき、誰に対しても優しく接する彼が、心の奥では何を考えているのか。その裏側を知っていることが、奏には攻略上の大きな優位に思えた。


 どうやって声を掛けようか。初対面の印象をよくするためには、どの台詞を選べばよいのか。ゲーム内の選択肢を思い返しながら考えていた、その時だった。


 不意に、会場の空気が変わった。


 会話をしていた者たちが口を閉じ、至る所から一斉に同じ方向へ視線が向けられる。奏も周囲の反応を追うように顔を動かし、その原因を見つけた。王族たちが、広間へ姿を現したのである。遠目からでも分かるほどの美貌に、奏は瞬きさえ忘れて見入った。

 ゲームの立ち絵が美しく描かれていたことは知っている。しかし、実際に動き、呼吸し、周囲の空気を変える彼らは、同じ人間とは思えないほど華やかだった。


 その中でも、第一王子ルードルフは別格だった。堂々とした立ち姿。王族としての威厳を保ちながらも、人を安心させる柔らかな表情。炎を閉じ込めたルビーのような瞳。あの瞳に真正面から見つめられたら。そう考えただけで、奏の心臓が大きく跳ね上がる。

 やはり、画面で見ていた時とは違う。この人が自分を愛し、自分だけを見つめるようになるのだと思えば、身体の奥が熱くなった。


 やがて、ルードルフの挨拶が終わる。その瞬間を待っていた令嬢たちが、会場のあちこちから一斉に彼の元へ集まり始めた。奏も、リリスのことを一旦頭から追い出し、他の令嬢たちへ負けまいと足を進める。今はとにかく、ルードルフと言葉を交わしたかった。

 アーノルドも確かに目を見張るほど整った容姿をしている。けれど、奏の好みで言えば、やはり兄のルードルフの方が上だった。


 兄弟で攻略する必要がある以上、アーノルドともいずれ親しくならなければならない。しかし、最初に声を掛けたいのはルードルフである。単なる好みの問題かもしれないが、奏にとっては、それで充分だった。



(退いてよ。私が主人公なのよ!)


 奏はルードルフの周囲へ集まった令嬢たちの隙間を縫い、前へ進んでいった。肩が触れ、ドレスの裾を踏みかけても、足を止めない。周囲から非難するような視線を向けられ、ひそひそと何かを囁かれていることには気づいていた。けれど、奏には負け犬の遠吠えにしか思えなかった。


 どうせ、この物語の最後にルードルフから選ばれるのは、自分なのだ。今ここで睨みつけている令嬢たちは、いずれ主人公の恋を邪魔した悪役として退場していく。文句があるのなら、正面から向かってくればよい。と。


 もちろん、本当に危害を加えようとする者がいれば、後々きちんと断罪させるつもりだった。


 ようやくルードルフのすぐ近くへ辿り着く。他の令嬢たちより先に声を掛けなければならない。奏は淑女としての作法も、家名を名乗る順序も忘れたまま、彼へ向かって口を開いた。



「ルードルフさ――」


「すまない」


 だが、奏の声が最後まで形になるより先に、ルードルフが周囲の令嬢たちへ声を掛けた。



「少し用事を思い出したから、私は行くよ。すぐに戻るから……待っていてはくれないか?」


 柔らかな笑みと共に放たれた言葉へ、令嬢たちは一瞬で頬を染めた。まるでモーセの海割りのように、ルードルフを囲んでいた人垣が一斉に左右へ分かれ、彼のための道を作り出す。中には、顔を真っ赤にしたまま身体をふらつかせ、隣の令嬢へ支えられている者までいた。奏もまた、その場で石のように固まっていた。


 今の台詞は、あまりにも反則だった。あの顔で、あの声で、待っていてほしいなどと言われれば、誰であっても頷くしかない。奏が呆然としている間に、ルードルフは出来上がった道を颯爽と進み、会場の外へ姿を消してしまった。


 我に返った頃には、すでに遅かった。追い掛けようにも、王族が用事を理由に退席したところへ、招待客である令嬢が無理についていくわけにはいかない。おまけに、周囲を見回してみれば、アーノルドの姿まで消えている。


 今夜の主役ともいえる王子二人が、揃って会場からいなくなった。その事実へすぐには誰も反応できなかったらしく、広間には一時、閑古鳥でも鳴きそうなほど奇妙な静けさが落ちた。


 やがて状況を理解した者たちが、困惑したように互いの顔を見合わせる。どちらへ行かれたのか。何か問題でも起きたのか。そのような囁きが少しずつ広がり、会場は再び騒がしさを取り戻していった。

 奏は、何とも表現しがたい感情を抱えたまま、その場に立ち尽くしていた。


 長い間、屋敷へ閉じ込められていた。父親へ何度も願い、フィリーネの視線へ耐え、ようやく王宮まで来た。令嬢たちの間を必死に進み、あと少しでルードルフへ声を掛けられるところだった。それなのに、肝心の本人は、奏が名を名乗る前にどこかへ行ってしまった。


 いくら何でも、あんまりではないだろうか。しかも、その後すぐに、マリアンナの友人である令嬢たちへ見つかってしまった。



「マリアンナ様、お久しぶりです」


「お身体の具合はいかがですか?」


「なかなかお会いできなかったので、心配しておりましたのよ」


 親しげに声を掛けられ、奏は引きつりそうになる頬を必死に保った。本音を言えば、今すぐ攻略対象を探しに行きたい。けれど、マリアンナが以前から親しくしていた友人たちを無下に扱えば、不審に思われてしまう。学園へ入学した後の人間関係にも支障が出るかもしれない。

 攻略だけを考えれば、彼女たちとも良好な関係を保つ必要があった。


 奏は内心で歯噛みしながらも、表面上は穏やかな笑みを作り、令嬢たちとの会話へ応じた。

 話題は、最近流行しているドレスや菓子、誰の家がどのような催しを開いたかという、奏にとってはどうでもよい内容ばかりだった。


 時折、会話の隙を見て会場を確認する。

 やがて、先ほど姿を消した王子たちが、時間を置いてそれぞれ戻ってきた。


 けれど、奏の周囲には友人たちがいる。会話の途中で突然彼女たちを置き去りにし、王子の元へ走るわけにはいかなかった。奏は笑顔を保ったまま、遠くに見えるルードルフとアーノルドを見つめることしかできない。


 結局、その後も攻略対象へ近づく機会は訪れなかった。リリスの周囲には最後まで令嬢たちが集まり続け、王子たちもそれぞれ招待客への対応へ追われている。教師であるフェルナンに至っては、夜会が終わるまで一度も姿を見せなかった。


 そうして奏が望んでいたような出来事は何一つ起こらないまま、王族主催のパーティーは終わりを迎えた。攻略対象と親しくなるどころか、名前さえ名乗ることができなかった。馬車へ戻る頃には、会場へ入った時に胸を満たしていた高揚感は、跡形もなく消えていた。



(……まだ、始まっていないだけよ)


 自分へ言い聞かせるように、奏は心の中で呟いた。


 本来の物語が始まるのは、学園へ入学してからである。今日は、ゲームには存在しなかった前日譚のようなものであり、何も起きなくてもおかしくはない。ルードルフと話せなかったことも、リリスへ近づけなかったことも、フェルナンが来なかったことも、物語が始まっていないためだ。

 そう考えれば、全て説明できる。奏はそう自分を納得させ、僅かに俯いていた顔を上げた。


 学園へ入学すれば、今度こそ攻略対象たちとの物語が始まり、選ばれるのは自分に違いない。

 なぜなら、この世界の主人公はマリアンナであり、今、その身体にいるのは奏なのだから。


 その確信だけは、夜会で何一つ得られなかった後も、少しも揺らいでいなかった。

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