19.芽生えた想いは(アーノルド)
王族がパーティー会場に入場した地点からです。
アーノルドがパーティーホールへ戻ると、無数の燭台と魔法灯が作り出す綺羅びやかな輝きが、容赦なく視界へ飛び込んできた。
磨き上げられた床には天井の光が映り込み、宝石を散りばめた令嬢たちの装いは、彼女たちが身じろぎするたびに眩い光を返している。楽団の奏でる音楽と幾重にも重なる話し声が広間を満たし、誰もが今夜という特別な時間を楽しんでいるかのような笑顔を浮かべていた。
今のアーノルドには、その全てがあまりにも眩しすぎた。目を細め、このまま誰にも見つからない場所へ引き返してしまいたいという衝動を胸の内へそっと押し込める。
しかし、今ここで逃げ出すことは許されない。何があろうとも彼の身体に王家の血が流れている事実だけは変わらないのだから。
国王と王妃、そして第一王子。家族と呼ばれる者たちへ混じって人前を歩くたび、アーノルドは嫌でも理解させられた。自分は、第一王子の後に残された滓にすぎないのだと。
正統な後継者である兄さえいれば、王家にとってはそれで充分だった。偶然同じ時に生まれ、第二王子という名を与えられただけの、余分な存在。
銀色の髪も、青い瞳も、両親や兄とは似ていない。王族として並べば並ぶほど、その異質さは際立って見えた。
大勢の視線を浴びるたびに、兄へ向けられる期待と、自分へ向けられる好奇や侮蔑の差を思い知らされる。
『第一王子殿下は、国王陛下によく似ておられる』『それに比べて、第二王子殿下は一体どなたに似たのだろう』『やはり、次代の王にはルードルフ殿下こそが相応しい』。聞こえないよう声を潜めているつもりなのだろうが、そのような囁きは不思議なほどよく耳へ届いた。
だからアーノルドは、血縁者と共に人前へ立つことが嫌いだった。兄の隣に立てば比較され、両親の傍に立てば自分だけが異物であることを突きつけられる。
それでも笑顔を崩さないのは、王族としての矜持があるからではない。ましてや、招待客へ礼を尽くすためでもなかった。
全ては自分のため。ほんの僅かでも、両親に認めてもらうための努力だった。完璧な王子を演じ続けていれば、いつか一度くらいは、自分の方を見てもらえるのではないか。そんな期待が無意味であることを分かっていながらも、完全に捨て去ることはできなかった。今やそんな思いもすっかり薄れてしまったが。
広間へ戻ったアーノルドの周囲には、待ち構えていたかのように令嬢たちが集まってきた。甘い香水の匂いと、わざとらしく柔らかな声。誰もが好意を隠そうともせず、少しでも彼の目に留まろうと、競うように言葉を投げ掛けてくる。
しかし、彼女たちが本心から自分へ惹かれているわけではないことなど、とうに分かっていた。第二王子へ媚びるのは、万が一に備えるためだ。
もし第一王子に何かがあれば、次に王位へ近いのはアーノルドである。その僅かな可能性を捨てきれず、今のうちから繋がりを得ようとしているにすぎない。
裏では彼を嗤いながら、表では熱を上げた令嬢を演じる。そのような人間を相手にしても、もはや心が痛むことはなかった。相手が自分を道具として見るのなら、自分も同じように利用すればよい。
それだけの話である。
アーノルドは優しげな笑みを浮かべ、令嬢たちへ相槌を返しながら、会場の端へ何度も視線を滑らせた。そこには、彼が目的のために拾い上げた少女の姿がある。ルードルフへ近づくよう伝えてある以上、彼女がどう行動するのかを確かめる必要があった。もっとも、聖花がこちらの思惑どおり素直に動くとは、最初から期待していない。
アーノルドの周囲では、相変わらず中身のない会話が続いていた。
第一王子を遠回しに貶し、代わりにアーノルドを持ち上げる者。必要以上に艶めいた声を出し、彼へ身体を寄せようとする者。衣装を褒め、容姿を褒め、今夜の振る舞いを褒め、ただ会話を長引かせようとする者。飛び出すのは、どれも的外れな話題ばかりだった。
(この愚か者たちは、人を貶すか褒めることしかできないのか。情報の一つや二つくらい、持っているだろうに)
笑顔を貼り付けたまま、アーノルドは薄っぺらい発言を繰り返す令嬢たちを、心の中で静かに見下した。
稀に利用価値のある話を持ち込む者もいるため、全てを切り捨てることはしない。しかし、一つの情報を得るために、延々と意味のない会話へ付き合わされることは、彼にとって苦痛でしかなかった。
その時、視界の隅で例の少女が不審な動きを見せ始めた。
目立たないようにしているつもりなのだろう。周囲をゆっくりと見回し、人々の視線が自分へ向いていないことを確かめながら移動している。けれど、警戒すればするほど動きはぎこちなくなり、かえって怪しさが際立っていた。
幸い、周囲の者たちは気づいていない。大半の意識が国王夫妻や第一王子へ向けられており、一人の伯爵令嬢の動向など気に留める者はいなかった。
(カナデは、一体何をしているんだ?)
アーノルドの視線が少女――セイカへと釘付けになる。すぐ側から自分を呼ぶ声が聞こえたが、その内容は耳へ入らなかった。
彼女は人の流れへ紛れるように移動し、やがてパーティーホールの出口へ近づいていく。一度振り返り、誰にも見られていないことを確認すると、そのまま広間から抜け出した。
その姿を目にした瞬間、ただ事ではないという感覚が胸へ湧き上がる。単に人混みに疲れ、静かな場所へ移動したいだけならば、あれほど周囲を警戒する必要はない。
何か目的がある。あるいは、またこちらの予想もしていない問題を起こそうとしている。
アーノルドは令嬢たちへ、少し席を外すと告げた。不満そうな顔を見せる者もいたが、王子がそう言えば誰も引き留めることはできない。周囲へ向けていた笑みを崩さないまま人垣を抜け、彼女が消えた方へと歩き出す。
その様子をルードルフが見ていたことなど、アーノルドは知る由もなかった。
ホールを出ると、廊下はまだ夜も更けていないというのに、異様なほど静まり返っていた。王宮内の使用人や警備の多くが、今夜はパーティーホール周辺へ集められているのだろう。先ほどまでの音楽や話し声は扉の向こうへ遠ざかり、代わりにアーノルド自身の足音だけが長い廊下へ響いている。
程なくして、前方にセイカの姿を見つけた。
彼女はちょうど、招待客が許可されている区域の境を越えたところだった。
アーノルドは、すぐには声を掛けなかった。気配を殺し、少し離れた位置から後を追う。
何かを企んでいるのか。誰かと接触しようとしているのか。それとも、本当に何も考えず歩き回っているだけなのか。可能性を一つずつ考えながら、彼女の動きを観察した。
アーノルドにとって、彼女は、まるで爆弾のような存在だった。何をしでかすのか予測できないし、一向に彼の思うようには動かない。罪人として捕まり、縋るものを全て失った彼女なら、助け出した自分へ依存し、容易に操れると考えていた自身が愚か者のようだった。
密かに後を追っていると、セイカはやがて足を止めた。アーノルドも歩く速度を緩める。しかし、完全に足音を消すには僅かに遅かった。
コツリと靴底が床を叩く音が、静かな廊下へ響く。離れた場所で、聖花が息を呑む気配がした。
(ああ、気づいたか)
これ以上隠れ続ける意味はない。そう判断したアーノルドは姿を見せることにした。どうせ気づかれているのなら、正面から現れ、逃げ道を塞いでやればよい。
「セイカ……どこへ行こうとしていた?」
笑みを貼り付けたまま、動きを止めたセイカへゆっくりと近づいていく。
「ここは指定外の区域だ」
声だけは穏やかに保った。しかし無意識のうちに額へ青筋が浮かんでいたらしい。
セイカは、どうしてここにいるのかと言いたげな顔をしていた。それはこちらの台詞だと、アーノルドは心の中で返す。
普通の令嬢であれば、王子に追及された時点で顔を青ざめさせ、すぐに謝罪するだろう。あるいは泣き出し、自分は悪くないと許しを乞うかもしれない。
だが、セイカは違った。動揺を隠せているわけではない。それでも何とか言い逃れようと頭を働かせ、逆にアーノルドの行動を責めることで話を逸らそうとする。王族である自身を、だ。
追い詰められても諦めず、必死に足掻こうとするその姿を見ていると、先ほどまで令嬢たちを相手に抱いていた苛立ちが、不思議と薄れていった。
それから幾つかの皮肉を交わしていると、二人以外の足音が廊下へ響き始めた。一定ではない、急ぐような足音。アーノルドが音のする方へ視線を向けた時には、すでに人影が廊下の奥へ現れていた。
このような場所を堂々と走り回れる人間など限られている。そして、その予想は外れなかった。
「アーノルド! ここにいたのか!」
現れたのは、最も顔を合わせたくなかった兄だった。
(まさか、貴族たちを置いてまで追ってくるとは)
アーノルドは兄へ声を抑えるよう言いながら、その真意を探ろうとした。
常に王族としての務めを優先するルードルフが、大勢の招待客を残し、弟を探すためだけに会場から抜け出した。その事実が、アーノルドの警戒心を一層強める。
目的は何だ。自分の動向を探りに来たのか。それとも、何か別の意図があるのか。しかし、問いを投げ掛けても、兄はアーノルドが突然姿を消したため心配になったと答えるばかりだった。本心を隠しているのか本当にその程度の理由なのか。判断できないまま、黒い感情だけが胸の奥へ積み重なっていく。
やがてルードルフの意識が、アーノルドから逸れた。視線の先には、二人の会話へ割り込めず、呆然と立っているセイカがいる。ルードルフは、今になって彼女の存在へ気づいたらしい。
兄が聖花とアーノルドを交互に見た後、見る見るうちに頬を赤らめていく。
(この人間は……何を想像しているんだ?)
何かを勘違いしていることだけは明らかだった。それが演技なのか本心なのか、一瞬だけ考えたが、すぐに思考を打ち切る。
セイカとの繋がりを、最も知られたくない相手へ知られてしまった。今考えるべきなのは、そちらだった。ルードルフが彼女へ関心を持ち、彼女の素性やダンドール伯爵家との関係を調べ始めれば、計画そのものが揺らぐ可能性がある。
いっそのこと、計画を変更するべきだろうか。そう考えたところで、表情を整えた兄から招待客を区域外へ連れ出した責任を問われた。
腹立たしいほど正しい指摘だった。アーノルドは押し黙り、瞬時に思考を巡らせる。
――切り捨てるか。
せっかく拾い上げた貴重な駒ではある。しかし、ここで態々助けることにどれほどの利点があるのか。
元より、セイカを牢から救い出したのは、目的のために利用できると考えたからだった。
必要がなくなれば捨てる。計画へ危険を及ぼすのならば、なおさら切り捨てるべきである。頭では、その結論が正しいと分かっていた。
それにもかかわらず、アーノルドはその選択肢を、ほとんど無意識に頭の中から振るい落としていた。彼女に新たな利用価値を見いだしたからなのか。それとも、他に理由があるのか。自分でも分からなかった。
(勝手に動くくらいなら、いっそどこかへ閉じ込めてしまえばよい)
必要な時だけ外へ出し、それ以外は誰にも会わせない。そうすれば、今回のように予想外の行動を起こすこともない。その方が余程大きな危険を生む可能性があるにもかかわらず、妙に魅力的な考えに思えた。
そんな時だった。
「も、申し訳ございません!」
セイカの謝罪が、静かな廊下へ響いた。アーノルドは開きかけていた口を閉じ、彼女へ視線を向ける。
この状況で、一体何を言い出すつもりなのか。
自分は悪くないと訴えるのか。アーノルドに命じられたのだと、責任を押しつけるのか。
そう考えていた彼の予想を、聖花の言葉は大きく裏切った。
「私が悪いのです。第二王子殿下には、責められるべき点などございません。殿下は、不審な行動を取っていた愚か者を叱責するため、その者を追ってこられただけです」
言い訳を並べるどころか、セイカは自らの非を認め、アーノルドを庇った。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。しかし、場違いなほど慌てながら必死に彼を擁護する姿が可笑しくなり、アーノルドは思わず笑い出す。
ルードルフが目の前にいることさえ忘れていた。
(本当に、お前は他と違うな)
初めて会った時から、セイカは様々な表情を隠さず曝け出してきた。恐れ、怒り、疑い、呆れ、時には露骨に嫌そうな顔さえ見せる。アーノルドの身分を知った後も、その態度はほとんど変わらなかった。過剰に媚びることもなければ、兄と比較して持ち上げることもしない。
第二王子という肩書きではなく、アーノルド個人を見て言葉を返してくる。誰とも比較しない。それがどれほど珍しいことなのか、セイカ自身は理解していないだろう。彼女と話している間だけは、王子であることも、第一王子の弟であることも、影で馬鹿にされていることも、僅かに忘れられる。
そんな不思議な少女が、この先どのような道を選ぶのか。それを見届けてみたいと、初めて思った。
「……お前は、変わっているな」
気づけば、その言葉が口から零れていた。
対するセイカは、皮肉を込めた微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
その返答さえ、アーノルドを満足させた。しかし、二人の間へルードルフが割って入ったことで、アーノルドは現実へ引き戻される。
兄は聖花へ、彼女が独断で王宮内を彷徨っていたのかと問いただした。聖花は、震えながらも事実を認めようとしていた。
このまま黙って成り行きを見ていればよい。勝手な行動を取ったのは彼女であり、責任を負うのも彼女であるべきだ。アーノルド自身が口を挟む理由はない。そう考えていたはずだった。
それなのに、彼女が首を縦へ動かそうとした瞬間、身体が勝手に動いた。
アーノルドは聖花とルードルフの間へ進み出る。
「いいえ。私が彼女へ指示しました」
兄が目を細め、二人の意見が食い違っていると指摘する。
おそらく、全て分かっている。それでもアーノルドは、セイカが自分との約束を守っていたのだと言い張った。そう告げれば、これ以上踏み込むことは難しい。兄が何かを勘違いしているのなら、そのまま利用すればよい。そう考えての発言だった。
だが、ルードルフは事情を追及する代わりに、責任を誰が負うのかと問い掛けた。
その一言を聞いた瞬間、アーノルドの胸の奥から、煮え滾るような感情が一気に湧き上がった。
何が第二王子だ。どれほど王族として振る舞おうとも、第一王子である兄の権力を前にすれば、自分など無力でしかない。兄が聖花へ責任を負わせると決めれば、それを覆す手段は限られている。と。
アーノルドは口を開こうとするセイカの前へ腕を伸ばし、その発言を制した。
「この件においては、全責任を私が負いましょう」
彼女が何かを言い切るよりも早く、はっきりと告げる。自身でも、何故そのようなことを口にしたのかは分からなかった。
セイカは駒でしかないはずだった。必要がなくなれば捨てるべき存在。それなのに、自分から責任を引き受け、極力関わりたくもない兄へ反抗してまで庇っている。
(俺は、何をしているのだろうな)
自嘲する思いはあった。しかし、不思議と嫌な気持ちは湧かなかった。
背後から向けられているセイカの視線は、第一王子へではなく、アーノルドだけへ向けられている。比較するためでも利用するためでもない、ただ彼自身を見ている裏のない視線だった。
やがてルードルフは、今日のことは見なかったことにすると告げた。次はないと釘を刺し、二人へ別々に会場へ戻るよう命じると、そのまま慌ただしく走り去っていく。
意図の読めない判断だった。弟の評判を落とす好機を逃し、規則違反まで見逃すなど、一体何を考えているのか。アーノルドには理解できなかったし、理解しようとも思わなかった。どうせ兄のことなど、考えるだけ無駄である。
ルードルフの足音が遠ざかり、廊下へ再び静寂が戻る。ようやく去ったという安堵と、何とも言えない複雑な感情が、胸の内へ広がっていった。
一体、自分はどうしてしまったのだろう。
考えれば考えるほど、自分が何を望んでいるのか分からなくなる。
セイカを利用したい。思いどおりに動かしたい。危険から遠ざけたい。逃げられない場所へ置いておきたい。互いに矛盾するような感情が、整理されないまま胸の内で渦巻いている。
そんな自分自身へ苛立ち、無意識に舌打ちが漏れた。
彼女と出会ってからというもの、予想外のことばかりが起きている。
アーノルドが他人に振り回されることなど、これまで一度もなかった。もどかしく、苛立たしい。けれど同時に、どこか新鮮でもあった。
アーノルドは横目で聖花を見る。
当初は、目的を果たした後、証拠を残さないために始末するつもりだった。秘密を知る者を残せば、いつか計画を脅かす可能性がある。だから、用済みになれば消す。その程度のことだと考えていた。
しかし、今は彼女を殺そうという気持ちは、微塵も湧かなかった。
(目的を果たした後は、一生、人の目につかない場所へ閉じ込めておこう)
そうすれば、罪が暴かれることはない。誰にも奪われず、二度と自分を裏切ることもできない。殺してしまうくらいなら、誰にも見つからない場所で生かしておけばよい。
その考えがどれほど歪んだものなのかなど、アーノルド自身は気づいていなかった。
すっかり静けさを取り戻した廊下で、彼は隣にいるセイカの存在を確かめるように、もう一度だけ横目で見た。
次回は、奏視点となります。




