19.芽生えた想いは(アーノルド)
王族がパーティー会場に入場した地点からです。
アーノルドがパーティーホールに入ると、綺羅びやかな輝きが視界に飛び込んで来た。今の彼には眩しすぎる光。
けれども、今この場で逃げ出すことは許されなかった。例え何があろうとも、彼に高貴な血が流れていることには違いないのだから。
他の王族に混じって歩く彼は、所詮第一王子の残り滓に過ぎなくとも、それだけは変わらない。
大勢の視線を一斉に浴びる度に理解させられた。第一王子に向けられる視線と彼自身の差を。離れていても聞こえてくる比較と侮蔑の声を。
だから、アーノルドは血縁者と共に歩くことが嫌いだった。
それでも笑顔を崩さないのは、王族としての矜持でも、ましてや他者への礼儀でさえもなかった。
全ては自分のため、親に少しでも認めてもらう為のせめてもの努力。
あからさまに擦り寄ってくる令嬢たちも、裏では彼を嗤っている。そんなこと、もうとっくに知っていた。万が一に備えて媚を売っていることも。
分かっているからこそ、利用価値があった。悪意に満ちた人間を使っても、もう心は痛まない。
駒の一つである聖花の様子を時々観察しながら、アーノルドは彼に群がる令嬢たちに優しい笑みを向けて会話を交わしていた。
ルードルフを下げるような発言をしたり、アーノルドに艷やかな声で近づいたりと、飛び出すのは的外れな話題ばかりで、無意義にも時間だけが過ぎていく。
(この愚か者たちは、人を貶すか褒めるかしか出来ないのか?情報の1つや2つあるだろうに)
笑顔を貼り付けたまま、アーノルドは薄っぺらい発言ばかりする令嬢たちを静かに見下した。
稀に利用価値のあることを言うといえど、つまらない事を聞き続けることは彼にとっては苦痛でしかない。
そうしていると、彼の視界の隅で聖花が不審な動きを見せ始めた。彼女は警戒しながら周囲を見渡していたのだが、それがより怪しさを際立たせている。
けれども周りは気が付かない。他のことに意識が向いているのだ。
(カナデは、一体何をしているんだ?)
アーノルドの視線が聖花に釘付けになる。直ぐ側から「アーノルド様?どうされましたか??」などと聞こえて来るが、耳に入っちゃいない。
こそこそとパーティーホールを抜け出した聖花を見た時、只事ではない気がして堪らなくなった。
少し席を外すと令嬢たちに言い聞かせ、アーノルドは聖花を追い掛けた。ルードルフが見ているも知らずに。
廊下に出ると、まだ深夜帯でないにも関わらず静まり返っていた。王宮の皆がパーティホールに集中しているのだ。
彼の邪魔をする者はおらず、程なくして聖花の姿が目に入った。丁度、パーティの指定区域を抜け出した所だった。
それでも未だ声は掛けず、気配を殺して離れたところで彼女の様子を伺った。何か企み事でもあるのだろうかと。
アーノルドにとって『カナデ』は爆弾だ。何を仕出かすか予想出来ないし、一向に彼の思うように動いてくれない。
密かに後を追っていると、聖花は漸く立ち止まった。それを見て、アーノルドもスピードを緩める。
コツリと、彼の足音が辺りに鳴り響いた。何処かで喉のなる音が聞こえて来る。
(あぁ、気が付いたか)
勘が鋭いのか何なのかと、アーノルドは姿を見せることにした。どうせ気が付かれているのであるし、いっその事追い打ちを掛けようと。
「セイカ‥‥‥、どこに行こうとしていた?
ここは指定外のエリアだ」
敢えて笑顔を貼り付けたまま、動きをピッタリと止めた聖花の方へと迫る。無意識のうちに額に青筋が立っていた。
どうしてここにいるのだ、と言いたげな聖花。それはこちらの台詞だと、内心突っ込んでおく。
こんな状況でもぶれない彼女は、不思議と彼の心を和らげていった。必死に足掻こうとする彼女に。
それからやり合うこと数分間、ふたりのものでない足音が辺りに反響し始めて耳へと届いた。ふたり息を潜める。
けれども、その音は留まることを知らなかった。それどころか去ることなく段々と大きくなっていく。
漸く、アーノルドが音のする方に視線をやった時。その時には既に遅く、彼は思わず眉を顰めた。
こんな所で堂々と音を立てて走り回れる人間など限られていたから予想は出来た。
そこに見えたのは、憎き兄の姿。
「アーノルド!ここにいたのか!!」
ルードルフは走りながら、大声でそう叫ぶ。そんな彼を軽く睨み付けながら、アーノルドは兄を諌めることにした。
(まさか貴族を置いてまでついて来るとは)
予想外の出来事だった。
これまでアーノルドは要事を投げ出すような真似はしなかったから、ルードルフの行動が読めなかった。
何より、いつも王族の努めを全うしようとする彼が、理由は分からずともアーノルドを探す為だけにパーティーを抜け出した。そんな事実に、警戒心を強める。
目的は何なのかと。
ルードルフの真意を探ろうと言葉を選ぶも、これといった収穫はなく、ただただ黒い感情が彼の心の奥底に蓄積されていくばかりで切りが無い。
そうしていると、不意にルードルフが意識を他へと向けた。
思わず視線を追う。すると、その先には呆然とした聖花が立っているではないか。
暫く言葉を失うルードルフ。どうやら彼女の存在に気が付いていなかったようだ。
そんな姿を見つつも、アーノルドはアーノルドで別のことを考えていた。特に知られてはならない人物に、聖花との繋がりを知られてしまったと。
それは後々、彼にとって不利に働くかもしれない。
いっそのこと計画を変更してしまおうかとアーノルドは考えた時、徐々にルードルフの顔が真っ赤に染め上げられた。
(この人間は‥‥、何を想像しているんだ?)
アーノルドがそんな彼を鋭い視線で見る。演技なのかそうでないのかと勘繰るものの、彼は直ぐに考えるのを止めて、咳払いをしたルードルフに視線を向けた。
きっと演技なのだろう。そう結論づけて。
「ところで、そちらのご令嬢は?
‥‥‥‥アーノルドが指定区域から外れることは良しとしても、彼女は駄目だ。それでは王宮の品位が疑われる。君もそれは分かっている筈だろう?」
紛れもない事実を突きつけられて、流石のアーノルドも押し黙る。瞬時に思考を張り巡らせて、返答を考える。
―――切り捨てるか。
アーノルドの頭の片隅にそんな考えが浮かんだ。折角拾い上げた貴重な駒だけれども、ここで助けるメリットはあるのかと。
そもそも脱獄させたのは、容易に操れると踏んだからであり、所詮彼女の存在は目的の為の駒に過ぎない。
以前の彼にとって聖花はそれっぽっちの存在だった。けれども、彼は切り捨てるという選択肢を自然と頭からふるい落としていた。
彼女に利用価値を見出したのか、はたまた別の理由があったのか。
(いっそのこと、鎖で繋いで何処かに閉じ込めてしまおうか。そうすれば、二度と勝手な行動を起すまいし、必要な時だけ外に出せば良い)
ひとつの考えがアーノルドの頭を掠めた。そちらの方が寧ろリスクがあるかもしれないのに。
そんな時だった。
「も、申し訳ございませんっ!!」
謝罪の声が辺りに広がって消えて行った。
声の主は、丁度今アーノルドが考えていた人物―――聖花だ。
開こうとしていた口を閉じ、彼女に視線を向け直す。この状況で何を言い出すのだろうかと。
「私が悪いのです。第二王子殿下には責めるべき点などございません。殿下は不審な行動を取っていた愚か者を叱責する為に、その者を追い掛けたのです」
てっきり言い訳を並べるつもりかと予想していたアーノルド。が、彼女の台詞はその斜め上を行っていて、彼は思わず笑い出した。兄の存在を忘れて。
可笑しい程に慌てた聖花がこの場にそぐわない。
(本当に、お前は他と違うな)
初めて会ってからこれまで、様々な顔を曝け出してくれる彼女。アーノルドの身分を知って尚、変わらぬ態度を見せてくれる彼女。誰とも比較しない彼女。
彼女と話していると、アーノルドは少しの間だけ心のしがらみから解放された気になれた。
そんな不思議な少女の行く先を見てみたくなった。
「‥‥‥‥‥お前は、変わっているな」
不意に、そんな言葉が彼の口をついて出た。けれども、抑えようとも思わなかった。
対する聖花は「ありがとうございます」と皮肉げに返す。アーノルドは、満足げに頬を上げた。
「取り込み中、申し訳ないけれど―――
ご令嬢。一つだけ確認しても良いか?」
そうしている内に、二人の間を割って入るかのようにルードルフが声を上げた。すっかり兄のことを忘れ去っていたアーノルド。
現実に引き戻されて、少し緩めた表情を戻す。ルードルフが聖花に鋭い視線を向けると、生唾を飲む音が彼女から聞こえてきた。冷や汗が浮き出ている。
「つまり‥‥‥、貴女の独断で王宮の中を彷徨っていた、と言うことで間違いない?それも、無断で」
このまま黙って事の成行きを見ていればいいだけのこと。だったのに、無理に首を上下に動かそうとしている聖花を見ていると、何故だか身体が勝手に動いた。
彼女の前に進み出たアーノルドは、ルードルフに視線を送る。
「いえ、私が彼女に指示しました」
「ふむ。意見が食い違っているようだけど、一体どういうこと?」
目を細めて、ルードルフが二人の方を見る。きっと彼は全て分かっている。
それでも、アーノルドは止まらなかった。のらりくらりとする兄を睨み付けて威嚇する。
「‥‥‥‥彼女は、私との約束を守っているのです。
それを聞くほど殿下も野暮ではないでしょう?」
王族との約束だから。そう言われてしまえば尋ねることも出来るまい。そう確信して、兄を煽るように言い放った。
勘違いしているのなら、そのままにしておけば良いという判断の元。
「なるほど、ね。それで、この責任はどちらが負うのかな。アーノルド?それとも、そちらのご令嬢?」
アーノルドの瞳孔が開く。兄のたった一言で、何とも言えない感情が湧き上がった。
煮え滾る衝動に蓋をして、今にも人を殺せそうな視線をルードルフに向ける。
ピリピリと張り詰めたような空気が辺りに充満した。
が、それでもルードルフは動じない。どちらかが答えるを静かに待っているだけだ。
アーノルドは歯軋りした。何が第二王子。結局は兄の権力の前には無力でしかない。
せめてもの足掻きだと、口を開こうとする聖花の目の前にそっと腕を出して、制止させた。
「この件においては、全責任を私が負いましょう」
彼女が何かを言い切る前にそう言い放つ。きっと彼女は口出ししてこないと確信して。
目を細めてルードルフを見ながら、心の中で静かに呟いた。
(俺は何をしているのだろうな)
そう卑下しつつも、不思議とその台詞に嫌な気持ちを抱かなかった。
背後から向けられた視線は、ルードルフでなく、アーノルドだけを見てくれている。
裏のない視線。
依然として兄を睨みつけるアーノルドに、ルードルフは困ったような表情を見せた。けれどもアーノルドは鋭い目付きを止めることはない。
ふっと軽く息を吐く兄を見て、何を言い出すのかと待ち構えた。
「‥‥‥今日、私は何も見なかった。けれども、次に同じことがあれば容赦はしない。私は先に戻るけれど、すぐに戻ってくること。別々にね。‥‥‥‥‥いいね?
勿論、誰かに見られないように。では」
意図の読めない発言に、アーノルドは訝しげな視線をルードルフへと向けた。
弟の評判を地に落とすチャンスを逃すなど一体何を考えているのか。それは彼にはこれと言って分からない。そもそも理解しようとさえしなかった。
どうせ兄のことなど考えるだけ無駄なのだから。
慌ててパーティーホールへと走り去るルードルフ。漸く去ってくれたという思いと、何とも言えない複雑な感情が心の中を侵していく。
一体どうしてしまったのだろうと考えれば考える程に、彼自身どうしたいのか分からなくなる。
そんな自身の愚かさに苛立ちを覚えていると、無意識のうちに舌打ちが漏れた。傍に立つ彼女と会ってから、予想外の行動ばかりで自身が振り回されてしまっている。
こんなことは初めてで、どこかもどかしく、新鮮だった。
聖花を横目に見る。
用が済んだら、証拠の残らないように始末してしまうつもりだった。けれども、今はそんな気持ちは微塵も湧かない。
(目的を果たした後は、一生人の目につかないところに閉じ込めておこう。そうすれば罪は暴かれず、二度と俺を裏切れない)
殺してしまうくらいならば、むしろ閉じ込めておけばいいのだと。
すっかり静かになった空間で、アーノルドはそんなことを考えた。
やっと一人目(?)が執着し始めました!長かった‥‥。
但し、このまま放っておくとヤバそうです。
果たして聖花は、彼らの心の傷を修復することは出来るのか。元の身体に戻ることは出来るのか。
次回は、奏視点となります。




