3.些細な反撃
聖花は一人、部屋の中で食事をとっていた。
伯爵家お抱えのシェフが作った筈の料理の数々。美味しくない訳がない。
しかし、聖花にはそれらが牢獄で食べたものと同じ様に感じていた。
どれもこれも冷めていて、何処か物足りない。そんな味わい。
てっきり家族で食事をとるものだと思っていた聖花は、初めメイド長にワケを尋ねた。どうして食卓に集まって食べないのか、と。
聖花は念のため、義家族との交流を深めておきたかったのだ。何かあった時に役立つかもしれないから。
しかし、そう思ったのはあくまで聖花の建前上の話に過ぎない。
結局のところ根底には、いくらヴィンセントのような人間でも、家族として一緒に食事をとりたい、という思いがあったのだ。
当の本人はそれに気づいていないが。
それらの思惑に反して、ヴィンセントには共に食べる相手がいない。とメイド長は答えた。
伯爵には妻も子もおらず、いつも執務室で一人食事をとっているというのだ。
もう結婚する予定もない、と聞いた。
そう教えてくれたメイド長も、間もなく部屋から出て行ってしまった。仕事が立て込んでいるらしい。
そんなこんなで気付いたら食事は終わっていて、聖花は空になった食器をトレーの上に置き直した。
使用人がそれを回収に来るのを彼女は椅子の上で静かに待つ。
ふと、机の棚に置かれたノートが彼女の目に入る。
他の物より一際厚みがないノートは逆に目立っていた。
何を思ったのか、それをそっと手に取って開けた。
(ん‥‥‥?コレは………日記??)
子供が書いたような少し崩れた字で、何とも稚拙な文章が書き連ねてある。
“○月△日 おとうさまがわたしのじをみてほめてくださった”
から始まっている。
聖花はついつい微笑ましく思ってページをパラパラとめくっていく。
こんな状況だからこそ、この日記の存在は彼女の心を潤わせたのだ。
しかし、途中で彼女の手が止まる。
日記は最後のページまで書かれていなかった。
それどころか、半分も埋まることなく終わっていたのだ。
最後に書かれた日記の内容は
”あした、おかあさまとおでかけする“だった。
「これって一体‥‥‥」
聖花は愕然として日記を閉じた。
彼女の中で何か見てはいけないものを見てしまった気がした。
辺りを見回し、日記を何事もなかったかのように元の位置にしまう。
この家にはまだまだ秘密がありそうだ。
(ということは、この部屋は元々‥‥)
聖花がある結論に達しようとした所、タイミング良いのか悪いのか、扉が三度ノックされた。
ハッとして、彼女は軽く返事をした。
部屋に入って来たのは、メイド長かと思いきや若い女だった。
一般のメイドであろう。
その女は聖花に少し目を向けた後、料理皿をテキパキとワゴンに乗せていく。
聖花がお礼を言おうとするもその隙さえなく、終始無言のまま去って行ってしまった。
聖花はヴェルディーレ家との違いを半日も経たず、染み染みと実感した。
あの家は、メイドたちは皆フレンドリーで温厚で、優しかった。
廊下で朝すれ違う時も笑顔で声を掛けてくれたし、困り事があったら心配そうに駆けつけてくれた。
つい思い出に浸りそうになると、それらを振り払うように聖花は首を横に振る。
(しっかりしろ私。いちいち感傷に浸ってちゃ、前に進めない)
何かある度に、あの頃の記憶を呼び起こして比較してしまう自分に聖花は嫌気が差した。
ここでは弱気になってはいけない、と自身に言い聞かせる。
彼女はまだまだ成長の過程なのだ。
「‥‥‥本でも読もう」
不意に、思いついたかのように聖花は口にする。
牢獄にいた頃は何もなかったが、今は違う。
何かを待ち続けるだけのつまらなさは彼女が一番知っている。
備え付けの呼び鈴をチリンッチリンッと鳴らした。
程なくして、先程とはまた別のメイドが入ってくる。
しばらく無言で見詰め合う。
「‥‥‥何かご用でしょうか?」
メイドが疲れたような様子をして、先に口を開いた。
面倒だから早くしてくれ、と言わんばかりだ。
「この屋敷には書庫があるのでしょうか?
分からないから、そこまで案内してほしいのだけれど」
「‥‥ありますが、今の貴女には少し難しいかと思いますよ」
聖花が純粋に気になったので尋ねた。
すると、気付かれないかと思っているのか、メイドは含みのある言い方で彼女を罵倒した。
間違いなく、聖花を下に見ている態度だ。
ここで、メイドたちに舐められると何かが終わる気がしたので、聖花はささやかながら反撃に出ることにした。
カナデやアーノルドに比べると、この手の者は彼女にとって小物にしか見えなかった。
「私は案内して欲しいとだけお願いしたのだけど、聞こえなかったの?」
「はぁ」
聖花の思わぬ言葉に少し反応したものの、相変わらずの態度を返される。
どうせ何も出来ない、と思っているようだ。
聖花が自分なりに笑顔を浮かべて続ける。
アーノルドにしたように皮肉さを精一杯込めて。
「成る程。なかなか素晴らしい姿勢ですね?
伯爵様の養女たる私に無礼を働くとは。
これは、家紋の名誉に傷をつける行為と同義です。
従って‥‥‥このことは伯爵様に報告しておきますね?」
聖花はメイドを射抜くようなつもりで見た。
瞬間、メイドが目を見開いたまま動きを止めた。
どうやら威嚇が成功したようだ。
先程まで馬鹿にした態度を取っていたメイドが、聖花にはチワワのようにプルプルと震えているように見える。
彼女の気の所為だろうか。
「……っ……し、しょ、書庫に直ちにご案内いたしますっ……!」
一気に顔色が青ざめたメイドは、縋り付くような切ない声を上げる。
ですので報告だけは、とでも言いたげだ。
その様は、まさに捨てられた子犬そのものだった。
聖花は再び微笑んだ。
さっきとは違う笑顔でにっこりと。
メイドも思わず安堵の笑みを浮かべているけれども、聖花はそのメイドに情けを掛けるつもりは満更ない。
しっかりとヴィンセントに事細かく報告するつもりである。
なぜならば、一度拾い上げたら、二人目三人目が同じことを繰り返す可能性が高くなるからだ。
少しニュアンスは違うが、奏の場合もそうだったから。
次回、教師の方と対面です!!




