第3話 紙の向こう側
部屋の扉が閉まった。
木が軋む音が妙に大きく聞こえる。
セヴィは廊下へ出ると深く息を吐いた。
「……なんなんだ、これは」
夕方の光が石壁を赤く染めていた。見慣れた辺境調査局北州局の詰所。いつもと変わらない景色のはずなのに、今だけは別の場所みたいに感じる。
壁へ背を預け、頭の中を整理した。
まず、あの男は帝国人じゃない。
言葉が通じない。発音も違う。地方訛りなんて話じゃなかった。
だが、文字は通じた。
それだけでも十分おかしい。
さっきのやり取りを思い返す。
◇ ◇ ◇
紙を受け取った男は少し考え込むと胸へ手を置いた。
「アンセス」
ゆっくり発音し、紙へ書く。
『アンセス』
再び胸を叩く。
「レセルシュ」
『レセルシュ』
名前らしい。
セヴィは頷き、次を書く。
『何処より来た』
男はすぐには動かなかった。
何度か書き直し、止まり、考え込む。別の言葉を無理やり置き換えているみたいだった。
やがて残ったのは短い単語だった。
『コルプティス』
少し間を置く。
『王国』
セヴィの手が止まった。
王国。
言葉そのものは知っている。古い記録にも残っている。
だが、今の時代に使う言葉じゃない。
国家は帝国しかない。
少なくとも、セヴィはそう教わってきた。
男は不安そうに紙を見ていた。
セヴィは視線を落とし、さらに書く。
『身分』
返事は早かった。
『伯爵』
続けて単語が並ぶ。
『敗』
『崖』
『落』
『死と思』
怪我人へ長文を書かせる訳にもいかない。
セヴィは並んだ単語を頭の中で繋げた。
貴族。
戦い。
崖。
落下。
死んだと思った。
そして境界標の近くで発見。
最後に紙へ書く。
『休め』
男は少しだけ頷いた。
◇ ◇ ◇
思考を戻す。
半年ほど前から異変は増え続けていた。
風が割れる。家畜が消える。知らない獣が見つかる。夜中に人の声が聞こえる。
そして今度は、知らない国の兵士が境界標の近くへ現れた。
「笑えんな……」
足音が近づく。
副官だった。
「何か分かりましたか?」
セヴィは窓の外を見る。
境界標の向こうでは外縁地帯へ続く草原が夕風に揺れていた。
「報告書を書き直せ」
「は?」
「未確認武装集団保護案件じゃない」
副官が眉を寄せる。
「なら?」
セヴィは閉じた扉を見る。
あの男は今も寝台の上にいる。
知らない言葉を話し、知らない場所の名を口にし、帝国に存在しない政治単位を当然みたいに書いた。
「……異変案件だ。上へ上げる」
副官の顔が強張った。
辺境調査局で、その言葉は軽くない。
風が吹き、窓枠が小さく鳴る。
あの線の上で異変は起き続けている。
なら。
今回だけ例外なはずがない。
まだ証拠はない。
だが、帝国は境界標の向こうを何も知らない。
セヴィは外を見たまま呟いた。
「……何を拾ったんだ、俺たちは」




