第14話 ファスト家
ライネに案内され、一行は屋敷の中へ入った。
玄関を抜けると広いホールが広がっていた。高い天井。磨かれた床。壁には風景画や古地図が飾られている。
だが、アンセスの目を引いたのは別のものだった。
本だ。
壁際には書架が並び、応接室らしい部屋の奥にも大きな本棚が見える。歴史書なのか記録集なのか、背表紙の並びだけでも相当な量だった。
屋敷というより、学者の家に近い。
少なくともアンセスにはそう見えた。
その時、奥から足音が聞こえた。
「帰ったか」
低い声だった。
五十代半ばほどの男が廊下の向こうから歩いてくる。
質素な服装だった。
高価な装飾品も身につけていない。
それでも自然と人の視線を集める雰囲気があった。
ライネが足を止める。
「父上」
レイヴンとコヒスが軽く一礼した。
アンセスもそれに倣う。
男は苦笑した。
「そんなに堅くならなくていい」
「ここは内務庁ではないからな」
ライネが紹介する。
「父のホワイト・ファストです」
「内務庁長官を務めています」
ホワイトはゆっくり頷いた。
「初めまして、アンセス殿」
聞き取りやすいよう意識しているのだろう。
一語一語がはっきりしていた。
「話は聞いている」
「遠いところをよく来てくれた」
アンセスは慌てて頭を下げた。
「アンセスです」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
ホワイトは穏やかに頷く。
「そう堅くならなくていい」
アンセスは少し意外に思った。
もっと威圧的な人物を想像していたからだ。
その時、別の声が聞こえた。
「客人を廊下で捕まえたままですか」
女性だった。
ライネによく似た顔立ち。
柔らかな笑みを浮かべている。
「母上」
ライネが振り返る。
「ロジェリーナ・ファストです」
「皇室事務局副局長を務めています」
アンセスは改めて頭を下げた。
「初めまして。アンセスです」
ロジェリーナは小さく笑う。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」
「今日は仕事ではありませんから」
そう言うとホワイトへ視線を向ける。
「あなたもです」
「帰宅したばかりの方を質問攻めにしないでください」
「まだ何も聞いていない」
「これから聞くつもりだったでしょう」
ホワイトは少しだけ視線を逸らした。
図星らしい。
ライネが小さくため息をつく。
その様子にレイヴンが笑った。
「安心しました」
「何がだ」
ホワイトが聞く。
「いつも通りだったので」
「それは褒めているのか」
「たぶん」
コヒスが小さく口元を緩める。
アンセスはそのやり取りを見ながら少し肩の力を抜いた。
少なくとも、この家の人間は思っていたほど近寄り難くはないらしい。
◇ ◇ ◇
夕食は家族用の食堂で行われた。
大広間ではない。
だが長机の上には料理が並んでいた。
焼いた肉。
魚料理。
野菜の煮込み。
温かなスープ。
北州の宿で出された食事よりも種類が多い。
「遠慮しなくていい」
ホワイトが言う。
「今日は歓迎会だ」
「歓迎会?」
アンセスが聞き返した。
「ああ」
ホワイトは頷く。
「娘から何度も話を聞いている」
ライネの動きが止まった。
「父上」
「事実だろう」
「北州から届く手紙には大抵お前の近況が書いてある」
「仕事の報告です」
「そうだな」
ホワイトは真顔で頷く。
「半分くらいは」
ライネが黙った。
レイヴンが吹き出す。
「やっぱりか」
「レイヴンさん」
「失礼」
レイヴンはそう言ったが、口元にはまだ笑みが残っていた。
ロジェリーナが微笑む。
「無事に戻って来てくれればそれで十分です」
「北州は遠いですから」
ライネは少しだけ視線を落とした。
「心配をおかけしました」
「本当にそう思っているなら、もう少し手紙を書きなさい」
即座に返される。
今度はオリヴァーまで笑いを堪えていた。
食事は穏やかに進んだ。
帝都の話。
北州の話。
旅の途中で見た町の話。
異変についても少し触れられたが、報告書に書かれている以上のことは聞かれなかった。
アンセスは不思議に思う。
本来ならもっと多くの質問が飛んでくると思っていた。
だがホワイトもロジェリーナも急ごうとはしない。
まるで本当に客をもてなしているようだった。
やがて食事が終わり、茶が運ばれてくる。
そこでホワイトが静かに口を開いた。
「さて」
食卓の空気が少しだけ変わる。
「本題は明日にしよう」
アンセスが顔を上げた。
「明日?」
「ああ」
ホワイトは頷く。
「旅の疲れもあるだろう」
「こちらも準備が必要だ」
アンセスは少し考える。
準備。
その言葉が気になった。
ホワイトは茶器を置く。
「一つだけ伝えておく」
全員の視線が向く。
「陛下がお会いになりたいそうだ」
食堂が静かになった。
アンセスは言葉を失う。
皇帝。
この国の最高統治者。
その名を聞くのは初めてではない。
だが、実際に会うことになるとは思っていなかった。
「正式な召見は数日後になる」
ホワイトが続ける。
「その前に、私達も少し話を聞かせてもらいたい」
アンセスはゆっくり頷いた。
「分かった」
ホワイトも頷き返す。
「なら今日は休みたまえ」
「話は明日だ」
窓の外では帝都の灯りが揺れていた。
北州から始まった旅は終わった。
だが、本当の意味での始まりは、まだこれからだった。




