第11話 帝都への道
出発の日は晴れていた。
北州局の前には馬車が停まっている。護衛の騎兵が数騎。荷も少ない。
アンセスは馬車を見上げた。
「馬車か」
「不満か」
レイヴンが聞く。
「いや」
アンセスは首を振った。
「騎馬移動だと思っていた」
「俺もそう思ってた」
レイヴンは肩を竦める。
「お嬢様が反対した」
「その呼び方はやめてください」
ライネが即座に返した。
「移送中の扱いも記録に残るんです。後で問題になる方が面倒でしょう」
「つまり俺が怒られる」
「当然です」
ライネは真顔だった。
馬車が動き出す。北州局の建物が少しずつ遠ざかっていく。
窓の外には春の草原が広がっていた。風に揺れる草の向こうで畑が増え始め、水路が伸び、小さな村が見える。北州局の周辺では見慣れた景色だったが、南へ進むにつれて人の姿も多くなっていった。
「それにしても、ずいぶん話せるようになったな」
レイヴンが言う。
「そうか」
「そうだ。最初は単語しか通じなかっただろ」
アンセスは窓の外へ視線を向けたまま答えた。
「必要だった」
それだけだった。
だが、レイヴンは少し笑う。
「そういうところだな」
「最近は補佐官達とも普通に話していますよ」
ライネが言った。
「皆驚いていました。覚えるのが速すぎるって」
アンセスは小さく頷く。
最初の数日は何も分からなかった。話もできず、質問もできず、周囲で何が起きているのかさえ理解できなかった。
今は違う。
完全ではないが会話はできる。少なくとも、自分が何を知らないのかは分かるようになっていた。
街道は南へ続いていた。
畑の間を真っ直ぐな水路が走り、その先では大きな水車が回っている。川の流れだけで動いているらしい。アンセスはしばらくそれを見つめた。
「珍しいか」
レイヴンが聞く。
「いや」
アンセスは首を振る。
「似たものはある」
「ただ、動力が違う」
「動力?」
ライネが首を傾げた。
「こちらは水だけだ」
「水車ですから」
ライネは当然のように答える。
「それ以外に何を使うんです?」
「マナだ」
一瞬だけ沈黙が落ちた。
レイヴンが苦笑する。
「ああ、そういう話か」
「便利そうですね」
「便利だ」
アンセスは頷いた。
「ただし維持にも金がかかる」
水車は遠ざかり、街道は緩やかな丘を越える。その先にも村があった。さらにその先にも。
畑が続いている。
人がいる。
荷車が行き交う。
マナは無い。
それなのに、この国は動いていた。
アンセスは腕を組む。
不便な国だと思っていた。
だが、それだけではないらしい。
「そういえば」
ライネが思い出したように言う。
「一つ聞いてもいいですか」
「何だ」
「伯爵というのは、どんな立場なんですか」
アンセスは少し考えた。
「領地を治める」
そこで一度言葉を切る。
「税を集める。有事には兵を率いる。家臣達もいる」
ライネが目を瞬かせた。
「全部ですか」
「全部だ」
「忙しそうですね」
「実際に動くのは家臣達だ」
アンセスは首を振る。
「俺は判断する」
レイヴンが頷いた。
「その辺は分かるな」
「何がだ」
「判断する側ってことだ」
アンセスは少し考える。
確かに北州局でも、最終的な判断は主任官が行っていた。
「だが、そこから先が違う」
レイヴンは笑った。
「俺は役人だ」
「辞令一枚で飛ばされる」
「領地も無い」
「家臣も無い」
「俸禄だけだ」
ライネも頷く。
「私も同じです」
「所属が違うだけですね」
アンセスは眉を上げた。
「違う?」
「私は皇室事務局です」
「レイヴンさんは辺境調査局」
「コヒスさんは宮廷史館」
ライネは向かい側を見た。
コヒスは相変わらず本を読んでいる。
「所属は全部違います」
「それでも一緒に仕事をするんです」
アンセスは少し考え込んだ。
奇妙な仕組みだった。
自分の世界では違う。
家臣は家臣だった。
主君が変われば従う相手も変わる。
だが、この国では違うらしい。
人ではなく組織に属している。
「伯爵と王国、ですか」
その時だった。
それまで黙っていたコヒスが顔を上げる。
ライネが少し驚いた顔をした。
「何か知っているんですか」
「名前だけなら」
コヒスは静かに頷く。
「古代史の文献に出てきます」
アンセスが視線を向けた。
「知っているのか」
「数千年前の記録です。帝国成立以前、あるいは帝国の外に存在したとされる国家群ですね」
「実在したのか」
「分かりません」
コヒスは率直に答えた。
「実在したという説もあります。ただ、神話や伝承の類だと考える研究者も多い。史館でも結論は出ていません」
アンセスは黙る。
自分にとって当たり前の制度が、この国では古代伝承として扱われている。
妙な気分だった。
「つまり」
レイヴンが言う。
「お前は歴史書から出てきたような存在らしい」
「そうなりますね」
コヒスは真面目に頷いた。
ライネが少し笑う。
「確かに珍しいですね」
アンセスは何とも言えない顔になった。
夕方になる頃、一行は宿場町へ入った。
街道沿いの町だった。石造りの建物が並び、人の往来も多い。広場では商人達が荷を整理し、宿の前には旅人達が集まっている。
馬車が宿の前で止まる。外ではオリヴァー達も馬を降りていた。
「今日はここまでだ」
レイヴンが大きく伸びをする。
「まだ初日ですよ」
ライネが言った。
「だからだ」
レイヴンは笑う。
「旅は最初が一番疲れる」
一同は宿へ向かった。
アンセスだけが少し足を止める。
広場を見回した。
商人。
旅人。
宿場。
行き交う荷。
北州局の外にも、当然のように人々の暮らしがある。
この国は思っていたより大きいのかもしれない。
帝都までは、まだ遠かった。




