第97話「第一次選抜・夜会②」
「雪の中で一ヶ月耐える村。補給が遅れても崩れない防衛線。誰も褒めなくても、毎日同じように門を守る兵。そういうものがなければ、国は簡単に倒れます」
ミレーユが少しだけ背筋を伸ばした。
辺境の感覚。
それはミレーユにも分かる。
テジナは、ユリアをしばらく見てから笑った。
「やっぱり地味ね」
「そうですか」
「でも、嫌いじゃないわ」
「ありがとうございます」
「今のは八割くらい褒めてるわね」
「では、八割受け取ります」
ミレーユが思わず笑う。
「ユリア様まで……」
その空気を見ていたレティアが、ゆっくりとグラスを傾けた。
「帝国側の三人は、思ったより役割が分かれていますね」
「役割?」
ミレーユが聞く。
レティアは指を一本立てる。
「エルシア様は場を整える。ミレーユ様は空気を柔らかくする。ユリア様は崩れない支柱になる」
「私、そんな役割ですか?」
「違いますか?」
「自分ではよく分かりません」
「それが強みの場合もあります」
レティアは笑う。
「自覚していない価値ほど、安く見積もられやすいですから」
「それ、褒めてます?」
「今回は七割ほど」
「また微妙……」
そのやり取りを聞きながら、セレナは視線を動かしていた。
帝国側の三人。
想定よりも厄介だ。
個々の能力だけではない。
三人でいる時の安定感がある。
それは、各国候補者にはないものだった。
セレナは静かに口を開く。
「帝国側は、すでに小さな連合のようですね」
その言葉に、全員の視線が向く。
エルシアが問う。
「どういう意味でしょうか」
「役割が異なる者が、互いを潰さず並んでいる」
セレナは淡々と言った。
「中央、現場、維持。その三つが揃っている。偶然でしょうか」
エルシアはすぐには答えなかった。
ユリアも黙る。
ミレーユは少しだけ困った顔をした。
「私たち、そんなに考えて並んでるわけじゃないです」
「だから厄介なのです」
セレナはミレーユを見る。
「意識していない連携は、崩しにくい」
その一言で、帝国側の三人の空気が少しだけ変わった。
自分たちでは気づいていなかった強み。
それを、外から来たセレナが指摘した。
エルシアは心の中で、その言葉を受け止める。
(意識していない連携……)
それは強みであると同時に、弱点でもある。
無意識の関係は、崩された時に立て直しにくい。
エルシアは静かに息を吐いた。
「セレナ様は、よく見ておられますね」
「見るために来ましたので」
「では、私も見なければなりませんね」
「何をですか?」
「外から見た帝国を」
その返答に、セレナの目がわずかに動いた。
その時、リベナが静かに笑った。
「面白いですね。帝国の方が、外から見た帝国を知りたがる」
「知らなければ、殿下の隣には立てないでしょう」
エルシアは迷わず答えた。
広間の空気が、ほんのわずかに変わる。
それは大きな宣言ではない。
だが、エルシアが初めて、自分の立場を明確にした瞬間だった。
帝国の娘。
帝国の内側にいる者。
だからこそ、外から帝国を見ようとしている。
レティアが小さく呟く。
「価値が上がりましたね」
エルシアはそちらを見る。
「私のことでしょうか?」
「ええ」
レティアは笑う。
「自分に足りないものを分かっている人は、高くなります」
「値札をつけられているようで、少し落ち着きませんね」
「ご安心ください。今のところ、かなり良い値です」
「それは、ありがとうございます」
エルシアは礼を返す。
その反応に、レティアは楽しそうに目を細めた。
挑発に乗らない、冗談を受け流す。
しかし、距離は詰めすぎない。
(帝国中央の娘。確かに高い)
レティアはそう判断した。
その一方で、リリは広間の隅から別のものを見ていた。
候補者たちの会話は、一見自由に見える。
だが、侍従たちの立ち位置が不自然に整っている。
飲み物を持つ者、壁際で控える者、扉近くで待機する者。
全員が自然に見えるよう配置されている。
けれど、見ようと思えば分かる。
聞いている、記録している。
この夜会は、完全に観察されている。
リリは小さく笑った。
「本当に、隠す気がないんだから」
その声に、リベナがわずかに振り返る。
「何か分かった?」
「ええ」
リリは小声で答える。
「この広間、耳が多いです」
「でしょうね」
リベナは驚かない。
「なら、聞かせたいことを話すだけよ」
そう言って、リベナは一歩前へ出た。
「皆様」
静かな声だった。
だが、不思議と通る。
候補者たちが彼女を見る。
リベナは微笑んだ。
「せっかくですから、一つだけ聞いてもよろしいですか?」
「何を?」
テジナが問う。
リベナは全員を見渡した。
「もし自国と帝国の利害がぶつかった時、皆様はどちらを優先しますか?」
広間の空気が、今度こそはっきりと変わった。
軽い夜会の会話ではない。
これは、皇太子妃候補としての本質を問う質問だった。
答え方を間違えれば、自国への裏切りに聞こえる。
かといって、自国だけを選べば、帝国の皇妃には向かないと見られる。
沈黙が落ちた。
最初に笑ったのは、テジナだった。
「面白い質問ね」
「答えますか?」
「私は簡単よ」
テジナは堂々と言った。
「強い方につく」
ミレーユが目を丸くする。
「え、そんなはっきりと?」
「勘違いしないで」
テジナは続けた。
「ただ力がある方じゃない。守る力がある方よ。民を守れない国に、忠誠なんて払う価値はないわ」
その言葉に、場の空気が少し変わる。
乱暴だが、筋は通っている。
次にレティアが微笑んだ。
「私は、損が少ない方を選びたいですね」
「商人らしいわね」
テジナが言う。
「ええ。ただし、短期の損ではありません。長く見て、最も多くの人が破綻しない方です」
レティアはさらりと言った。
「国も商売も、破綻すれば終わりですから」
セレナが続く。
「私は、対立の構造を先に見ます」
「どちらを選ぶかではなく?」
「はい。利害がぶつかる時点で、仕組みに歪みがある場合が多い。どちらかを選ぶ前に、なぜぶつかったのかを見ます」
エリは静かに言った。
「私は、枯れない方を選びます」
「枯れない方?」
ミレーユが聞く。
「どちらかだけが栄え、どちらかが枯れるなら、それは長く続きません。森も国も、片方だけでは生きられません」
ユリアが静かに頷いた。
「長く持つ方を選ぶ、という意味では近いですね」
リベナの視線が帝国側へ向く。
「では、帝国の方々は?」
ミレーユは少し困ったように考え込んだ。
「私は……その時、困ってる人が多い方を見ます」
「国ではなく?」
「はい。国って大きすぎて、私にはまだ全部は分かりません。でも、目の前で困ってる人を見捨てるのは嫌です」
その答えに、何人かが黙った。
未熟にも聞こえる。
だが、嘘ではない。
ユリアは静かに答えた。
「私は、十年後も崩れない方を選びます」
「今ではなく?」
「今だけを見れば、間違えることがあります」
ユリアは落ち着いた声で続けた。
「その判断で人が生き残れるのか。領地が保つのか。兵が疲弊しすぎないか。冬を越せるのか。私は、そこを見ます」
最後に、リベナの視線がエルシアへ向いた。
「エルシア様は?」
広間の視線が集まる。
エルシアは少しだけ沈黙した。
ここで簡単に帝国と答えれば、帝国貴族としては正しい。
だが、それでは皇太子妃候補として浅い。
自国と答えれば、外の候補者と同じになる。
彼女は静かに口を開いた。
「私は、殿下が何を守ろうとしているかを見ます」
リベナの目が細くなる。
「皇太子殿下を基準にするのですか?」
「いいえ」
エルシアは首を横に振った。
「殿下個人ではありません。殿下が背負うものです」
そして続ける。
「帝国か、自国か。その二つだけで選ぶなら、いずれ必ず壊れます。皇太子妃が見るべきなのは、殿下が守ろうとしている秩序が、どこまで人を生かすかではないでしょうか」
広間が静かになった。
エルシアはさらに言う。
「帝国が正しいとは限りません。各国が間違っているとも限りません。だからこそ、隣に立つ者は、ただ従うのではなく、必要なら殿下に異を唱える覚悟も必要だと思います」
その言葉に、ミレーユが驚いたようにエルシアを見る。
ユリアも、わずかに目を伏せた。
レティアは笑みを深くし、セレナは静かに視線を止める。
テジナは楽しそうに笑った。
「へえ。帝国の公爵令嬢が、皇太子に異を唱えるって言うのね」
「必要であれば」
エルシアは静かに答えた。
「そのために隣に立つのでしょうから」
リベナは少しの間黙った。
そして、ゆっくりと笑う。
「いい答えですね」
「評価ですか?」
「ええ」
リベナは穏やかに言った。
「今のは、全部です」
その言葉に、ミレーユが小さく息を吐いた。
「初めて全部出た……」
その瞬間、広間の端にいた侍従が、静かに目を伏せた。
まるで何も聞いていないかのように。
だが、その指はわずかに動いている。
記録されている。
候補者たちの言葉。
反応。
沈黙。
笑み。
この夜会で交わされたものは、すべて皇城へ届く。
第一次選抜。
それは、剣を交える戦いではない。
だが、確かに戦いだった。
誰が誰を測るのか。
誰が誰に測られるのか。
その夜、候補者たちは初めて理解した。
皇太子妃選抜において、ただ話すことさえ、武器になるのだと。




