第96話「第一次選抜・夜会①」
アルトが広間を出ていった後も、しばらく誰も動かなかった。
扉が閉じた音だけが、やけに大きく響く、広間には、候補者たちだけが残されている。
もちろん、侍従や侍女、護衛はいる。
だが、この場の主役は明らかに八人だった。
皇太子妃候補。
そして、今この瞬間から、互いの会話すら評価対象となった者たち。
最初に空気を破ったのは、やはりミレーユだった。
「……これ、本当に夜会なんですか?」
思わず漏れたような声だった。
「夜会にしては、料理より先に胃が痛くなりそうなんですけど」
その一言に、レティアがくすりと笑った。
「面白い表現ですね。ですが、分かります。私も今、食事の席というより商談の場にいる気分です」
「商談?」
「はい。全員が笑顔で席につき、何も売っていない顔をしながら、実際には全員が何かを値踏みしている」
レティアは柔らかく微笑んだ。
「とてもよくある光景です」
「ブロドンでは、よくあるんですか?」
ミレーユが少し引いたように聞く。
「ええ。慣れると楽しいですよ」
「慣れたくないです……」
ミレーユが小さく呟くと、テジナが喉の奥で笑った。
「あなた、正直ね」
「さっきも言いましたけど、隠すのは得意じゃないので」
「いいじゃない。分かりやすい相手は好きよ」
「それ、さっきも半分だけ褒めてましたよね」
「今回は七割くらい褒めてるわ」
「増えた……」
そのやり取りで、場の空気が少しだけ緩む。
だが、全員が油断したわけではない。
リベナは、その空気の変化を静かに眺めていた。
ミレーユは、場を和ませるつもりで発言しているわけではない。
ただ思ったことを言っている。
だが、その素直さが、結果として空気を動かしていた。
(本人に自覚はない。でも、だからこそ警戒されにくい)
リベナは心の中でそう判断する。
その後ろに控えるリリも、同じように候補者たちを見ていた。
ただし、リリが見ているのは表情だけではない。
誰が話している時に、誰の指先が動くか。
誰が笑った時に、誰が目だけ笑っていないか。
誰が誰の後ろを気にしているか。
候補者ではないからこそ、リリは自由に見ていた。
その時、エルシアが自然な足取りで一歩前へ出た。
「せっかくの夜会です。立ったまま互いを測り合っていても、疲れるだけでしょう」
そう言って、近くの侍従へ目を向ける。
「飲み物をいただけますか」
「かしこまりました」
侍従たちが動き始める。
その指示は命令ではなく、お願いの形だった。
だが、それだけで止まっていた空気が流れ始めた。
レティアの目がわずかに細くなる。
「お上手ですね」
エルシアはグラスを受け取りながら、静かに返す。
「何がでしょうか」
「今の一言で、場を進めたでしょう?」
「夜会ですから」
「ただの夜会なら、そうですね」
レティアは笑みを深くした。
「ですが、今は試験中です」
エルシアは微笑む。
「なら、なおさらです。止まった場では、何も見えませんから」
その言葉に、セレナが反応した。
「場を動かせば、反応が出る」
エルシアはセレナを見る。
「はい。動かなければ、誰が何を見ているかも分かりませんから」
「帝国側は、受け身でいるつもりはないのですね」
「受け身でいれば安全、という場ではありませんから」
二人の視線が静かにぶつかる。
どちらも声を荒げない。
だが、その会話には刃が隠れている。
セレナは構造をよみ
エルシアは場を整えながら、相手がどう動くかを見ている
似ているようで違う。
セレナは仕組みの骨を見る。
エルシアは、その仕組みを実際に動かす場を見る。
「帝国の中で育った方は、やはり空気の扱いに慣れているのですね」
セレナが言う。
「慣れているだけではありません」
エルシアは静かに答えた。
「帝国では、空気を読み違えれば、発言する前に立場を失うこともあります」
「怖い国ですね」
「ええ」
エルシアは否定しなかった。
「ですが、その怖さのおかげで保たれているものもあります」
その言葉に、エリがゆっくりと視線を向けた。
「怖さで保たれる根は、硬くなります」
静かな声だった。
だが、その一言で会話の流れが変わる。
エルシアはエリを見る。
「硬い根は、折れにくいのでは?」
「折れにくいです」
エリは頷いた。
「けれど、水を通しにくくなることがあります」
広間が静まる。
帝国の強さ。
その裏にある硬さ。
エリはそれを、責めるでもなく、ただ森を見るように言った。
ミレーユが困ったように眉を下げる。
「えっと……つまり、強すぎても良くないってことですか?」
エリは少しだけ考えた。
「強いことは悪くありません。ただ、強さだけでは育たないものがあります」
「育たないもの?」
「信頼です」
その言葉に、リベナが小さく笑った。
「随分とまっすぐ言いますね」
「曲げる必要がありますか?」
エリが静かに返す。
リベナの目が細くなる。
「いいえ。むしろ、曲げないから重いのですね」
リベナは一歩、会話へ入った。
「では、エリ様は帝国を信頼できると思いますか?」
その問いに、広間の空気が少しだけ張る。
軽い質問ではない。
エストル樹国の巫女に、帝国への信頼を問う。
その答えは、個人の感想で済まない可能性がある。
エリは、少しだけ窓の外へ視線を向けた。
「まだ、分かりません」
短い答えだった。
「ですが、信頼できるかどうかを見るために来ました」
「なるほど」
リベナは満足そうに頷いた。
「では、敵ではないと」
「敵ではありません」
エリは静かに答える。
「ですが、すべてを受け入れるために来たわけでもありません」
リベナの口元がわずかに上がる。
「良い答えですね」
「評価されていますか?」
「半分ほど」
それを聞いたミレーユが、また小さく呟く。
「本当に半分が流行ってる……」
ユリアが隣で小さく笑った。
だが、そのユリアに今度はテジナが目を向ける。
「あなたはあまり喋らないのね」
「必要があれば話します」
ユリアは穏やかに答えた。
「今は必要ないと?」
「皆様がよく話してくださっていますので」
「見ていた方が分かるってこと?」
「はい」
テジナは面白そうに目を細めた。
「北方辺境伯家だったわね。あなたの武器は何?」
問いが直球だった。隠す気が全くない。
それがテジナという少女のやり方だ
ユリアは少しも慌てなかった。
「持ちこたえることです」
「地味ね」
「地味ですよ」
ユリアは即座に認めた。
「ですが、国は派手な勝利だけでは続きませんから」
テジナの笑みが少し止まる。
ユリアは続ける。




