第95話「選ばれなかった者たちへ」
「大使として残る方には、侯爵級の魔力を与えます」
その瞬間、広間の空気が止まった。
侯爵級。
それは軽い言葉ではない。
帝国の貴族社会においても、侯爵級の魔力は上位に属する。
それを、他国の人間に与える。
誰もすぐには言葉を出せなかった。
ミレーユは思わずエルシアを見る。
エルシアは表情を崩していないが、目だけがわずかに鋭くなっている。
ユリアも静かに息を整えていた。
帝国側の候補者ですら、この提案の重さを理解していた。
アルトはさらに続ける。
「加えて、その大使が選んだ二名にも、伯爵級の魔力を与えることを認めます」
今度こそ、候補者たちの間に明確な動揺が走った。
伯爵級の魔力を二人。
つまり、一人の候補者が大使となれば、その国は侯爵級一人、伯爵級二人の魔力保持者を得ることになる。
魔物被害に苦しむ国にとって、それは計り知れない価値がある。
テジナが低く笑った。
「ずいぶん太っ腹ね」
「目的がありますから」
アルトは答える。
「各国での魔物被害を防ぐためです」
その言葉に、エリがわずかに目を伏せた。
魔物被害。
それは帝国だけの問題ではない。
どの国にも存在する。
辺境の村が襲われる。
輸送路が断たれる。
畑が荒らされる。
兵が足りず、人が死ぬ。
帝国は強い。
だが、各国すべての村を帝国兵だけで守ることはできない。
だから、現地に力を置く。
アルトの提案は、そういう意味を持っていた。
「侯爵級の魔力を持つ大使が一人。伯爵級の魔力を持つ補佐が二人。それぞれが自国の魔物被害に対応できれば、連合全体の安定は大きく増します」
セレナが静かに口を開いた。
「同時に、帝国の魔力の道が各国へ伸びることになりますね」
アルトはセレナを見る。
「その通りです」
アルトは隠さなかった。
セレナの目がわずかに細くなる。
「恩恵であり、監視でもある」
「そう受け取る国もいることでしょう」
「否定なさらないのですね」
「否定しても意味がありませんから」
アルトは淡々と答えた。
「力を与える以上、責任が生じます。責任が生じる以上、管理も必要になるのです」
レティアがくすりと笑った。
「市場に投資する代わりに、流れを把握するようなものですね」
「似ています」
「恐ろしい投資です」
「効果は高いと思います」
テジナが腕を組む。
「つまり、帝国は各国を守る。でも同時に、帝国の手も各国に届く」
「そうです」
アルトは認める。
「ただし、私はそれを支配だけで終わらせるつもりはありません。魔物被害が減れば、人が生きる。村が残る。道が繋がる。物が流れる。国同士の不満も減る」
エリが静かに言った。
「根を伸ばす代わりに、枯れかけた枝へ水を送る」
アルトはエリを見る。
「そうできるなら、その方がいい」
エリは何も言わず、静かに頭を下げた。
リベナが口を開く。
「それは、各国にとって断りにくい提案ですね」
「ええ」
アルトは頷いた。
「だからこそ、強制はしません」
「強制しなくても、欲しがる国は多いでしょうから」
「でしょうね、ずるいですね」
リベナの声には、少しだけ笑みが混じっていた。
アルトは静かに返す。
「政治とは、そういうものだと思っています」
リリが後ろで、ほんのわずかに口元を上げた。
この皇太子は、綺麗事だけを言わない。
与える。
守る。
同時に縛る。
その全てを隠さない。
だからこそ、余計に厄介だった。
アルトは全員を見渡した。
「選ばれる者は一人です」
広間が再び静まる。
「ですが、選ばれなかった者が無価値になるわけではありません」
その言葉に、何人かの候補者の表情がわずかに変わった。
「私は、この選抜を単なる勝敗で終わらせるつもりはありません。皆様がそれぞれの国を背負って来たように、私は帝国と連合を背負って、この選抜を行います」
言葉は静かだった、だが、重い皇太子妃を選ぶと同時に、各国との新しい関係を作る。
それが、この選抜の本当の形だった。
アルトは続けた。
「そして、すでに評価は始まっています」
その一言で、候補者たちの空気が変わる。
「帝都へ入る時。門での対応。荷の中身。視線。言葉。誰が何を見て、何を隠し、何を示そうとしたのか」
アルトは淡々と告げた。
「すべて報告を受けています」
テジナは楽しそうに笑った。
「やっぱりね」
レティアは肩をすくめる。
「帝国は本当に無駄がありませんね」
セレナは静かに頷いた。
「予想通りです」
エリは小さく呟いた。
「根が、よく張っています」
ミレーユは思わず小声で言った。
「最初から見られてたんだ……」
ユリアが静かに答える。
「帝国ですから」
エルシアは目を伏せた。
彼女は帝国貴族だ。
分かっていた。
分かっていたはずなのに、改めて言葉にされると重さが違う。
アルトは最後に言った。
「今夜は、互いを知る時間にしてください」
一拍置く。
「ただし、忘れないでください」
候補者たちの視線が、再びアルトに集まる。
「その時間も、選抜の一部です」
広間が静まり返った。
顔合わせ、交流、親睦。
そのすべてが、試験。
誰と話すか、何を聞くか、何を隠すか。
どこで笑い、どこで黙るか。
全部見られている。
アルトは軽く一礼した。
「では、また後ほど」
ギルタルが扉を開ける。
アルトは静かに広間を出ていった。
その背中が見えなくなっても、誰もしばらく動かなかった。
最初に息を吐いたのは、ミレーユだった。
「……ずっと見られてるってことじゃないですか」
レティアが笑う。
「ええ。ずっと値札を見られている気分です」
「私は噛み応えを見られている気分だわ」
テジナが楽しそうに言う。
セレナは静かに呟いた。
「構造ごと、見られている」
エリは窓の外を見た。
「根の伸び方を、見られています」
エルシアは静かに目を伏せた。
「そして私たちは、帝国そのものとして見られている」
リベナはその言葉を聞き、わずかに笑った。
「面白いですね」
その声には、挑むような響きがあった。
候補者たちは、初めて同じ場所に立った。
皇太子妃選抜は、正式に始まった。
だが、誰も気を抜けない。
なぜなら、この瞬間から。
会話も沈黙も、笑みさえも。
すべてが、選抜の一部になったのだから。




