第91話「世界樹の巫女②」
周囲の空気が少しだけ硬くなった。
植物とはいえ、他国からの持ち込み品だ。
病や虫、毒の混入もあり得る。
だが、それ以上に。
世界樹の苗。
エストル樹国にとって、それはただの植物ではない。
国の象徴であり、信仰の中心であり、民の心そのものだった。
門兵長は慎重に言った。
「確認します」
「どうぞ」
エリは静かに答えた。
「ただし、根を傷つけないようにお願いします」
「可能な限り注意します」
検査は丁寧に進められた。
薬草の種類。
箱の中身。
古い記録の表紙、苗木の根元、一つずつ確認される。
エリはその間、一度も急かさなかった。
ただ、時折風の向きを見るように顔を上げる。
門兵長が問う。
「何か気になることでも?」
エリは少しだけ考えた。
「帝都は、風の通し方まで計算されているのですね」
門兵長は黙る。
エリは静かに続ける。
「建物が高いのに、門前に空気が淀まない。人も馬も多いのに、匂いが残りにくい。道の幅と建物の間隔が、よく考えられています」
若い兵が目を丸くする。
「そんなことまで分かるのですか」
「森では、風が止まる場所から腐っていきます」
エリは穏やかに言った。
「国も同じかもしれません」
その一言に、門兵長の目が細くなった。
柔らかな声。
静かな態度。
だが、この少女もまた、帝国を見ている、森を見るように。
国という巨大な生き物を見るように。
やがて検査が終わった。
「問題ありません」
兵が報告する。
門兵長は頷いた。
「通行を許可します」
「ありがとうございます」
エリは丁寧に頭を下げた。
そして門をくぐる前に、一度だけ帝都の奥を見た。
高い建物。整った道。遠くに見える皇城。
エストル樹国の森とは、まったく違う景色。
それでも、彼女は全く怯えなかった。
「ここは、森ではありませんね」
側近が答える。
「当然でございます」
「でも、根はあります」
エリは静かに言った。
「人にも、国にも、道にも、法にも。見えないところに根がある。帝国は、その根が深い」
側近は黙った。
エリの瞳が皇城を捉える。
「深い根は、簡単には倒れません」
一拍。
「けれど、深すぎる根は、他の草木の場所を奪うこともあります」
その声は穏やかだった。
だが、言葉は鋭い。
エストル樹国もまた、ただ友好のために巫女を送ったわけではない。
帝国という巨大な大樹の隣で、自国が枯れないために。
そのために、彼女は来ていた。
「行きましょう」
エリは馬車へ戻る。
「この国が、どこまで根を伸ばしているのか。見ておきたい者です」
エストル樹国の馬車が、静かに帝都へ入っていく。
派手さはない。力も見せない。金の匂いもない。
だが、その静けさは軽くなかった。
門兵長は、二つの使節団を見送った後、思わず空を見上げた。
「……今日は疲れるな」
若い兵が苦笑する。
「まだ朝です」
「だから疲れるんだ」
門兵長は低く言った。
「朝からこれでは、選抜が始まったらどうなる」
若い兵は答えられなかった。
門兵長は気を取り直し、記録係へ命じた。
「報告を上げろ」
「エストル樹国候補についてですね」
「ああ」
門兵長は少し考えてから言った。
「エストル樹国候補、エリ。世界樹の巫女本人。帝都入城時、規則には従順。持ち込み品は薬草、古記録、世界樹の苗木。問題なし」
一拍置く。
「門の補修跡、風の流れから帝国の性質を推測。観察力あり。警戒対象」
記録係は手早く書き留める。
若い兵がぽつりと言った。
「結局、みんな警戒対象ですね」
門兵長は鼻で笑った。
「皇太子妃候補だぞ。普通の娘が来るわけがない」
そして、帝都の奥を見た。
この報告も、すぐに皇城へ届く。




