第85話「辺境の候補者」
◆カーマイン辺境伯家
次に皇城へ向かったのは、カーマイン辺境伯家の馬車だった。
ラインハルト家の馬車とは対照的に、こちらはどことなく武骨だった。
車体は頑丈で、護衛の装備も飾り気が全くない。長旅にも荒れた道にも耐えられる造りで、宮廷の華やかさよりも実用性を重んじている。
カーマイン辺境伯領は、帝国南西の外縁に位置する。
魔獣被害や小競り合いが多く、領地の運営には机上の知識だけでは全く足りない。
兵の疲労の調査、食料の配分、崩れた道の早急な復旧、国境近くの村の不安を安定
そういうものを、日常として扱う家だった。
その馬車の窓から、ミレーユ・カーマインは皇城を見上げていた。
十四歳。
三人の中では最年少。
赤褐色の髪を短めに整え、瞳には活発さがある。
だが今は、いつもの明るさよりも、緊張が勝っていた。
隣に座るミレーユの兄ライケルが、からかうように言う。
「珍しいな、お前が黙っているなんて」
「緊張くらいするわよ」
ミレーユは少しむっとして返した。
「皇太子妃選抜よ? しかも、各国の王女や公女まで来てる。普通に怖いでしょ」
「お前なら“面白そう”と言うと思ったがな」
「面白そうとは思っているよ」
ミレーユは即答した。
「でも、怖くないのとは別」
兄は笑った。
「なら帰るか」
「帰らない」
それも即答だった。
「辺境伯家の娘が皇城の前で逃げ帰ったなんて言われたら、お父様に一生からかわれるもの」
「からかわれるだけで済めばいいな。父上なら訓練場に連れて行く」
「それは嫌」
ミレーユは本気で顔をしかめた。
それから、窓の外へ視線を戻す。
「でも、分かってる。私はエルシア様みたいに完璧な礼法はできない。各国の王女みたいな外交経験も少ない。シドルの公女みたいに仕組みを読むのも得意じゃない」
兄は黙って聞いていた。
ミレーユは自分の膝の上で、そっと拳を握る。
「だから、別のところで勝つ」
「何で勝つつもりだ?」
「現場を見る力で勝つ」
短い答えだった。
「辺境では、紙の上の正しさだけじゃ人のことは守れない。道が崩れたらどうするか、食料が足りなければ誰から先に回すか、兵が疲れていたらどこを下げるか。そういうのは、私は知ってる」
兄の目が少しだけ優しくなる。
「なら、それを見せてこい」
「うん」
ミレーユは短く頷いた。
その返事は少しだけ震えていたが、逃げる気配はなかった。
ライケルはそれを見て、満足そうに笑う。
「なら心配ないな」
「心配してたの?」
「少しだけな」
「ひどい」
「辺境伯家の次女が、帝都の空気に飲まれて固まっていたら困るだろう」
ミレーユはむっとした顔をしたが、すぐに小さく笑った。
「大丈夫。飲まれたりはしない」
そう言って、窓の外に視線を戻す。
皇城が近づいていた。
白い城壁。
整えられた庭。
無駄なく動く衛兵たち。
そのすべてが、辺境で見てきた景色とは違っていた。
だが、だからこそミレーユは思う。
ここにはここなりの“現場”があるみたいね。
華やかな宮廷にも、見えない疲労や歪みはあるはずだ。
それを見抜けるなら、自分にも戦える場所はある。
馬車が皇城の門をくぐる。
ミレーユは小さく息を吐いた。
「よし」
その声は、もう先ほどに比べて強かった。
◆ノルトハイン辺境伯家
最後に皇城へ到着したのは、ノルトハイン辺境伯家の馬車だった。
北方辺境を治める家らしく、馬車の造りは重厚で、寒冷地の長旅に耐えるための補強が施されている。
護衛たちの動きは静かで、乱れがない。
カーマイン家が荒々しい実務の家なら、ノルトハイン家は耐える実務の家だった。
雪、飢え、物資の遅れ、北方防衛線の緊張。
そこで必要なのは、派手な突破力ではなく、崩れない管理力だった。
ノルトハイン辺境伯家長女、ユリア・ノルトハイン(十六歳)。
三人の中で最も年上であり、最も落ち着いていた。
銀に近い薄灰色の髪を後ろでまとめ、表情は穏やか。
だが、その瞳の奥には冷たい判断力が宿っている。
馬車の中で、ユリアは母から渡された手紙をもう一度読んでいた。
――帝国の中心へ行くのです。媚びる必要はありません。ですが、侮ってはなりません。
ユリアは手紙を折りたたむ。
向かいに座る老臣が、低い声で問う。
「お嬢様、皇太子殿下をどう見ておられますか」
「まだ見ていない方を判断するのは早いわ」
「では、噂では」
ユリアは少し考えた。
「噂通りなら、恐ろしい方でしょうね」
老臣は黙る。
ユリアは続ける。
「十五歳で連合を作り、各国を従わせ、今度は皇太子妃を選抜で選ぶ。普通の皇子なら、王家か公爵家の娘と婚約して終わりでしょう」
「それをなさらなかった」
「ええ」
ユリアは窓の外を見る。
「つまり、皇太子殿下は血筋だけで選ぶ気がない。なら、帝国貴族の娘であることは有利であっても、絶対ではない」
老臣は感心したように頷く。
「それでも、お嬢様には強みがございます」
「北方の統治経験?」
「はい」
ユリアは静かに息を吐いた。
「皇太子殿下の隣に立つ者に必要なのが、美しさだけなら私は向いていないわ」
「そのようなことは」
「いいの。自覚はある」
ユリアは薄く笑った。
「でも、帝国が長く続くために必要なものなら、少しは知っている」
「何でございますか」
「持ちこたえる力よ」
その言葉と同時に、馬車は皇城へ入った。
ユリアは窓の外を見つめたまま、静かに目を細める。
「崩れないことも、力だから」




