第84話「帝国の候補者たち」
帝国貴族の馬車が皇城へ入り始めたのは、夕陽が皇城の白い城壁を赤く染める頃だった。
各国の候補者たちが次々と帝都へ入ったその日、帝国側の候補者もまた、静かに動き始めていた。
だが、彼女たちは各国の王女や公女とは違う。
帝国へ“来た”のではない。
最初から、帝国の中にいた。
今回、帝国側から皇太子妃選抜に参加する候補者は三人。
ラインハルト公爵家長女、エルシア・ラインハルト。十五歳。
カーマイン辺境伯家次女、ミレーユ・カーマイン。十四歳。
ノルトハイン辺境伯家長女、ユリア・ノルトハイン。十六歳。
帝国の血筋、帝国の教育、帝国の常識、それを背負って、三人は皇城へ向かっていた。
◆ラインハルト公爵家
最初に皇城へ向かったのは、ラインハルト公爵家の馬車だった。
黒を基調とした馬車は派手ではない。だが、細部まで手入れが行き届いており、車輪の軋み一つ聞こえない。
家紋は大きく掲げられてはいない。ただ馬車の扉の中央に、刻まれている。
それだけで十分だった。
ラインハルト公爵家。
帝国の経済と市場の柱。
連合発足後、通貨交換、港湾取引、関税調整においても大きな影響力を持つ家である。
その馬車の中で、エルシア・ラインハルトは静かに資料を読んでいた。
淡い金髪。整った姿勢。
伏せられた瞳には、焦りも浮つきもない。
十五歳とは思えぬ落ち着きがあった。
向かいに座るラインハルト公爵が、ゆっくりと口を開く。
「読んだか」
「はい」
エルシアは資料から目を上げずに答えた。
「タン王国第二王女リベナ殿下。帝都到着直後から監視の存在を察知。アジス獣王国第一王女テジナ殿下は門前で検査を拒否し、王太子補佐長ギルタル様と接触。その後に引いた。シドル大公国第一公女セレナ殿下は、門の検査手順から選抜の性質を一部把握」
「どう見る」
エルシアは資料を閉じた。
「全員、飾りではありませんね」
短い答えだった。
ラインハルト公爵は目を細める。
「怖いか」
「いいえ」
エルシアは静かに首を横に振った。
「当然のことです。皇太子殿下の隣に立つ者を選ぶのですから、各国が凡庸な者を送るはずがありませんから」
その声には、怯えも慢心もない。
ただ、事実を整理する冷静さだけがあった。
「勝て」
公爵は短く言った。
父としてではなく、家の長としての言葉だった。
エルシアは初めて父を見る。
「選ばれることが、勝利でしょうか」
公爵の表情がわずかに動く。
「違うのか」
「はい」
エルシアは静かに答えた。
「選ばれた後、帝国に必要とされ続けること。それが勝利です」
馬車の中に沈黙が落ちた。
やがて、公爵は満足そうに笑った。
「帝国貴族として、恥じぬ振る舞いをしろ」
「承知しております」
エルシアは深く頭を下げた。
馬車は皇城へ向かって、静かに進んでいく。
揺らぎはない。
迷いもない。
彼女は、最初から帝国の中枢を知る者として来ていた。




