第82話 「獣の感覚」
「この選抜で見たいのは、最初から完璧な者ではありません。状況を見て、考えを変えられる者です」
その言葉に、ギルタルはわずかに目を伏せた。
アルトの言葉はいつも静かだ。
だが、求めているものは決して軽くない。
皇太子妃候補たちは、ただ美しく振る舞えばいいわけではない。
誇りを持ちながらも、必要なら折れる。
力を持ちながらも、場を読む。
それができなければ、皇太子の隣には立てない。
「それと」
アルトは顔を上げた。
「魔力を見せた時の反応は」
「良好です」
ギルタルは答える。
「最初は、私が爵位を持ってないのに魔力を使ったことに驚いていました。ですがすぐに、私が殿下より魔力を借りているのがわかった見たいです」
「完全に理解したわけではありません。ただ、殿下から繋げられたものを通して使っている、と感覚的には捉えたかと」
アルトは少しだけ目を細める。
「獣王国らしいですね」
「本能で力を見る国ですから」
「そうだな」
アルトは頷いた。
「それに気づけるなら、少なくとも鈍くはない」
ギルタルは一拍置き、言葉を続ける。
「テジナ殿下は、私を皇太子殿下の“右手”だと完全に理解したと思います」
「間違ってはないだろ」
アルトはあっさりと言った。
「ギルは、私の右手です。そして、ただの代行者ではありません」
ギルタルは黙って続きを待つ。
アルトは机の上の地図に視線を落としたまま、淡々と続けた。
「私がその場にいなくても、帝国の意思が届く。帝国の法が届く。そして必要なら、私の魔力も届く」
その声は静かだった。
だが、ギルタルは背筋にわずかな冷たさを覚えた。
アルトは自分を信頼している。
それは間違いない。
だが同時に、彼は“人”としてだけ見ているわけではない。
帝国という巨大な仕組みの中で、必要な場所に配置された機能として見ている。
「つまり、私を見せること自体が目的だったのですね」
「そうともいう」
アルトは隠さず頷いた。
「テジナ殿下は、力を理解する国の王女だ。門兵だけでは足りない。あなたを見せる必要があった」
「私の魔力も含めて、ですか」
「ええ」
アルトはそこで初めて顔を上げた。
「ギル。あなたが魔力を使った時点で、彼女は気づいたはずです。帝国は皇帝と皇太子だけが強い国ではないと」
ギルタルの目がわずかに動く。
アルトは続けた。
「魔力を持つのは皇帝と皇太子だけですが、魔力の道を繋げれば、必要な者に必要な力を使わせられる」
一拍。
「つまり帝国の力は、皇帝と皇太子だけにないことをその目で見てもらいたかった訳です」
それは、他国にとって悪夢のような事実だろう
皇帝や皇太子を避ければいいわけではない。
「帝国の法が届く場所には、皇帝陛下、そして皇太子殿下の魔力も届く」
ギルタルは静かに続けた。
「テジナ殿下は、それを理解したと思います」
アルトは視線を地図から外さない。
「なら、十分です」
短い返答だった。
「獣王国は力を重んじる国です。だからこそ、こちらも力の形を見せる必要があった。ですが、ただ圧倒するだけでは意味がない」
「力が、法と役割の中で使われることを見せるため、ですね」
「はい」
アルトは頷いた。
「帝国の強さは、魔力そのものではありません。魔力をどう管理し、どこに配置し、どの場面で使うか。その仕組みです」
ギルタルは黙って聞いていた。
皇帝と皇太子だけが持つ魔力。
その絶対的な力を、“魔道”によって他者へ繋ぎ、使用を許す。
それは単なる貸与ではない。
帝国の意思を遠くへ伸ばすための制度だった。
「テジナ殿下は、あなたを見て私を見た」
アルトは静かに言う。
「それでいい」
「殿下ご自身を見せずに、ですか」
「ええ」
アルトは顔を上げた。
「私が出れば、話はそこで終わります。ですが、ギルが出れば、彼女は考える。なぜ王太子補佐長が魔力を扱えるのか。どこまで権限を持っているのか。帝国はどれほど細かく力を配置しているのか」
一拍。
「考える余地を残す方が、相手は深く理解します」
ギルタルは、わずかに息を吐いた。
「……相変わらず、殿下のやり方は回りくどいですね」
「必要なら簡単にします」
「門前で?」
「はい」
アルトは当然のように答えた。
「彼女が止まらなければ、そうしていたと思います」
その言葉に、執務室の空気が少しだけ冷えたようにギルタルは感じた。
冗談ではない。
ギルタルはその意味を理解していた。
テジナが引かなければ、帝国は本当に彼女を潰したということを少なくとも、彼女の選抜参加資格はその場で消えていた。
「承知しました。テジナ殿下は継続観察とします」
「お願いします」
アルトは次の書類へ指を置いた。
「次は、シドル大公国ですね」
「はい」
ギルタルの声が少し引き締まる。




