第81話「報告」
ギルタル・アルノーが皇城へ戻った頃には、帝都の空は夕方に近づき始めていた。
西へ傾いた陽光が白い城壁を淡く染めている、城内を行き交う文官や侍女たちはいつも通り静かに動いていたが、その空気には、どこか落ち着きのないものが混じっていた。
皇太子妃選抜。
まだ正式には始まっていない。
だが、各国の候補者が帝都へ入り始めた時点で、すでに帝国の内側は動き始めていた。
皇城に着いたギルタルは廊下を進み、皇太子執務室の前で足を止めた。
扉の前に立つ衛兵が、すぐに姿勢を正す。
「殿下は中にいるか?」
「ギルタル様、殿下は中にいらっしゃいます」
ギルタルは短く頷き、扉を叩いた。
「入れ」
中から聞こえた声は、まだ少年のものだった。
だが、その声に幼さはない。
衛兵は扉を開け、ギルタルは静かに中へと入る。
執務室の奥。
大きな執務机の奥に皇太子アルトが座っていた。
机の上には、各国から届いた書類、候補者名簿、帝都の地図、監視報告が整然と並べられている。乱雑ではない。むしろ、どこに何があるのか一目で分かるほど整っていた。
アルトは書類から目を離さずに言う。
「結構、早くに戻ったなギル」
「はい」
ギルタルは静かに一礼した。
「門での件について、報告いたします」
アルトはようやく顔を上げた。
「アジス獣王国第一王女、テジナ殿下が入都時、身分確認と荷の検査を拒否されました」
「理由は」
「獣王国第一王女としての立場と、従えていた獣の扱いに対する不満かと」:
アルトは少しだけ目を細めた。
「門兵は」
「退きませんでした」
「なら、問題はない」
即答だった。
ギルタルはわずかに頷く。
「門兵長は適切に対応してました。ただし、他国候補者も帝都入りしている状況でしたので、独断で処理せず、皇城へ報告を上げたと思います」
「正しい判断だったと思いますよ」
アルトは断定するように言った。
その声に、怒りも驚きもない。
まるで、最初から起こり得ることの一つとして考えていたようだった。
「それだから、あなたを行かせたんだよ、ギル」
アルトはそう言って、視線を机の上の地図へ戻した。
帝都の門、各国大使館、皇城の迎賓館。候補者たちが通るであろう道には、すでに細かな印がつけられている。
ギルタルは一瞬だけ沈黙し、それから静かに言った。
「私であれば、テジナ殿下を止められると思ったと?」
「止めるだけなら、門兵でもできたと思います」
アルトは淡々と答える。
「ただ、門兵が止めれば、獣王国は“帝国兵に止められた”と受け取る。あなたが止めれば、“皇太子の意思に止められた”と受け取る」
ギルタルの目がわずかに動いた。
「……なるほど」
「受け取る意味が違うということです」
アルトは書類を一枚めくる。
「門前で揉めた時点で、彼女は帝国を測っていた。なら、こちらも測らせればいい。帝国の兵がどこまで動くか。皇城がどれほど早く反応するか。そして、皇城はどんな指示をどの程度の時間で出すか」
「はい。彼女は力で試した。なら、こちらは仕組みで返すべきです」
「結果として、テジナ殿下は引きました」
「でしょうね」
アルトは驚かない。
「彼女は獣王国の第一王女です。誇りはあるでしょうが、愚かではない。門前で暴れて失格になるほど短絡的なら、獣王が候補として送るはずがありません」
ギルタルは少しだけ目を伏せた。
「確かに、引く判断は早かったです」
「なら残せます」
アルトは短く言った。
ギルタルが顔を上げる。
「評価なさるのですか」
「現時点では」
アルトは候補者名簿の一枚を引き寄せる。
そこには、アジス獣王国第一王女テジナの名が記されていた。
「力を持つ者が力を示すのは当然のことだ、しかし重要なのは、止まるべきところで止まれるかどうか」
アルトは淡々と続ける。
「止まれない者は、いずれ国を巻き込む」
「テジナ殿下は、止まれた」
「ええ」
アルトは小さく頷いた。
「なら、見る価値はある」
「ただし、評価を上げたわけではありません。門前での衝突は、彼女にとって減点にも加点にもなる」
「両方、ですか」
「ええ」
アルトは書類に視線を落としたまま続けた。
「力で押し通ろうとした点は減点です。ですが、止まれると分かった点は加点です。自分の力を誇示する者は多いですが、引き際を理解できる者は少ない」
ギルタルは静かに頷いた。
「テジナ殿下は、こちらの力を理解した瞬間に判断を変えました」
「それでいい」
アルトは短く言う。




