第80話 「シドル大公国の公女」
王太子補佐長。
アルトの右手と呼ばれる男。
先ほどアジス獣王国の王女テジナを門前で抑えたばかりの彼が、今度は静かにセレナを見ていた。
セレナは一礼する。
「お初にお目にかかります。シドル大公国第一公女、セレナ・シドルです」
「王太子補佐長、ギルタル・アルノーです」
短い挨拶。
だが、二人の視線はその後も離れなかった。
ギルタルが問う。
「先ほど、この門は測るためのものだと仰いましたね」
「はい」
「なぜ、そう思われましたか」
セレナは門の方へ視線を戻す。
「検査の手順が、単に危険物を排除するためだけのものではないからです」
「続けてください」
「検査をする兵の配置が均等ではありません。候補者が反応しやすい位置に、あえて視線を置いています。荷を確認する順番も、効率だけなら別の方法がある。ですが、今の手順では来訪者の苛立ちや油断が出やすい」
門兵たちの背筋がわずかに伸びる。
セレナは淡々と続けた。
「つまり、この門では荷物だけでなく、人間の反応も見ている」
ギルタルは表情を変えない。
「面白い見方です」
「違いますか」
「いいえ」
ギルタルは短く答える。
「おおむね正しい」
その言葉に、門兵たちが一瞬だけ緊張する。
セレナはわずかに目を細めた。
「おおむね、ですか」
「完全ではありません」
ギルタルは言う。
「帝国の門は、測るためだけでもありません。守るためでもある。そして、見せるためでもあります」
「見せるため」
「はい」
ギルタルの視線が、静かに帝都の奥へ向く。
「ここから先は帝国である、と」
セレナは少しだけ黙った。
そして、納得したように頷く。
「なるほど。境界ではなく、宣言ですか」
「理解が早いですね」
「見れば分かります」
セレナは何気なく答えた。
その返答に、ギルタルはほんのわずかに目を細める。
(これは……)
彼は内心で評価を改めた。
テジナとは違う。
テジナは力を持ち込み、帝国に真正面からぶつかった。
だがセレナは違う。
触れずに測る。
壊さずに理解しようとする。
厄介さの種類がまったく違う。
「検査は問題ありません」
門兵長が報告した。
「通行を許可します」
「ありがとうございます」
セレナは丁寧に礼をする。
ギルタルは一歩横に退いた。
「帝都での滞在先は、シドル大使館になります。案内をつけましょう」
「不要です」
セレナはすぐに答えた。
門兵たちが少し驚く。
ギルタルもわずかに眉を動かした。
「道は分かるのですか」
「はい」
セレナは静かに頷く。
「帝都の地図は事前に確認しました。門から大使館までの経路は三つ。最短経路、混雑回避経路、監視が多いと思われる経路」
ギルタルの目が、さらに細くなる。
「どれを選びますか」
「監視が多い経路を」
即答だった。
「理由を伺っても?」
「帝国が何を見ているか、見るためです」
短い沈黙。
ギルタルは少しだけ口元を動かした。
笑ったようにも見えた。
「よろしいでしょう。ただし、帝都内での行動は記録されます」
「承知しています」
「それでも?」
「見られることを前提に動けば、問題ありません」
セレナは言った。
「むしろ、見られていない場所での評価ほど不確かなものはありません」
ギルタルは、今度こそわずかに笑った。
「シドル大公国らしい考え方です」
「褒め言葉として受け取ります」
「そのつもりです」
二人は短く視線を交わした。
そしてセレナは、馬車へ戻る前に一度だけ皇城の方を見た。
白い塔が遠くに見える。
帝都の中心。
連合の中心。
そして、皇太子アルトがいる場所。
「……構造の中心」
セレナが小さく呟いた。
ギルタルは聞こえていたが、何も言わなかった。
セレナは馬車に乗り込む。
シドル大公国の使節団は、静かに門を抜けた。
派手な歓声もない。
獣の咆哮もない。
ただ、整った音だけが石畳に響いていく。
だが、門兵長はその背を見送りながら、思わず息を吐いた。
「……あれも候補者ですか」
ギルタルは静かに答える。
「ええ」
「先ほどの獣王国の王女とは、まるで違いますね」
「違います」
ギルタルは頷く。
「ですが、危険度で言えば同じです」
門兵長は驚いて顔を上げた。
「同じ、ですか」
「テジナ殿下は、力で門を揺らした」
ギルタルは、遠ざかる馬車を見ながら言う。
「セレナ殿下は、門の意味を見抜いた」
一拍。
「どちらも、普通の候補者ではありません」
その言葉を残し、ギルタルは皇城へ戻るために馬へ向かった。
だがその途中、彼はふと足を止める。
そして、門の上にいる見張りへ視線を向けた。
「報告を上げろ」
「はっ。どのように」
ギルタルは少しだけ考えた。
「シドル大公国第一公女セレナ。観察力、構造理解ともに高水準。帝都到着時点で、選抜の性質を一部把握」
短く告げる。
「皇太子殿下に、至急」
見張りはすぐに頭を下げた。
「承知しました」
ギルタルは馬に乗る。
帝都の空気は、また静かに戻り始めていた。
だが、彼には分かっている。
この静けさは、嵐の前の静けさではない。
すでに嵐の中にいるのだ。
ただ、まだ誰も大きく動いていないだけ。
テジナ。
リベナ。
リリ。
そしてセレナ。
各国が送り込んできた候補者たちは、誰一人として飾りではない。
それぞれが、違う武器を持っている。
力。
観察。
隠密。
構造理解。
皇太子妃選抜は、まだ正式に始まっていない。
だが帝国は、すでに見ている。
そして候補者たちもまた、帝国を見始めていた。
ギルタルは皇城の方へ馬を進めながら、小さく呟いた。
「殿下」
その声は誰にも聞こえない。
「面白くなってきましたよ」




