第74話「集まり始める者たち」
帝都の朝は、いつもと変わらなかった。
人は行き交い、商人は声を上げ、馬車は石畳を鳴らして進む。
だが、その流れの中に――確実に“異質なもの”が混ざり始めていた。
黒塗りの馬車。
紋章を掲げた護衛。
無駄に静かで、無駄に整っている一団。
「……来たな」
帝都の門の衛兵が小さく呟く。
「どこのだ?」
「南方……タン王国の紋だ」
ゆっくりと門をくぐる馬車。
その窓は閉ざされ、中の様子は見えない。
だが誰もが分かっていた。
この帝国で今、最も注目されている――英雄と呼ばれる皇太子。
その婚約者選抜の候補が、ついに到着したのだと。
◆帝都・貴族区の屋敷
帝国の支配者たちが屋敷を構える一角。その中にあるタン王国大使館の重厚な門が、静かに開いた。
黒塗りの馬車がゆっくりと敷地へ入り、やがて音もなく止まる。
すでに使用人たちは列をなし、来訪者を迎える準備を整えていた。動きに無駄はなく、視線も最低限。
それが逆に――場に張りつめた緊張を生んでいる。
「……ここが帝都ですか」
馬車の中から、少女が静かに呟く。
扉が開いた。
先に降りた側近が周囲を確認し、小さく頷く。
「殿下、問題ありません」
「ありがとう」
その一言のあと、少女が姿を現した。
タン王国・第二王女リベナ。
整えられた黒髪、無駄のない所作。だがその目は、ただの王女のそれではなかった。
一歩、地に足をつける。
視線を上げ、屋敷を、空を、街の奥を――ゆっくりと見渡す。
「思っていたのと違って、静かね」
ぽつりと呟く。
側近がすぐに応じる。
「帝都ですから」
「違うわ」
即座に否定した。
「“静かにされている”のよ」
その言葉に、側近は一瞬だけ言葉を失う。
少女は小さく息を吐いた。
「息苦しい国ね」
だが、その口調に不満はない。
むしろ――わずかに楽しんでいるようにも見えた。
「……いいわ」
リベナはゆっくりと歩き出す。
「やりやすそう」
その言葉の意味を理解できる者はいない。
だが一つだけ確かなことがある。
彼女は、“選ばれる側”として来たわけではない。
(勝ちに来ている)
世界最強の国の皇太子妃。その座を奪いに来ている。
「殿下、お疲れでしょう。まずは中へ――」
側近が一歩前に出る。
だがリベナは動かなかった。
「……ねえ」
静かに口を開く。
「ここ、誰が見てると思う?」
側近はわずかに視線を巡らせる。
「帝国の者たちかと」
「それだけじゃないわ」
即座に否定する。
「門の兵、屋敷の使用人、それと――見えないところにいる連中」
屋敷の屋根、遠くの塔、視線の届かない位置。
王女の目は、そこまで正確に捉えていた。
「入った瞬間から監視されてる。しかも“隠す気がまったくないみたいね”」
側近が息を詰める。
「……堂々としていますね」
「ええ」
リベナはわずかに笑った。
「力がある国はね、隠す必要がないのよ」
それだけ言って、ゆっくりと歩き出す。
石畳を踏む足音は静かだが、その一歩一歩に迷いはない。
使用人たちが自然に道を開ける。
まるで、逆らうという選択肢が最初から存在しないかのように。
(これが帝国)
リベナは心の中で呟く。
圧ではない。恐怖でもない。
“当然”として従わせる空気。
だからこそ、崩しにくい。
「……面白いじゃない」
その時だった。
「ほんと、それ」
軽い声が横から割り込む。
リベナの足が止まる。視線だけを動かす。
そこには、いつの間にかもう一人の少女が立っていた。
壁にもたれるようにして、こちらを見ている。
「気づいてた?」
笑いながら言う。
リベナはわずかに眉を動かした。
「気づいてなかったら、今のは言わないわ」
「だよね」
少女はあっさり頷いた。




