第68話「選択の夜」
夜は、どの国にも平等に訪れる。
だが、その重さは決して平等ではなかった。
帝都の空は静かだった。
風も弱く、まるで何かを待つように、街全体が息を潜めている。
その中で――各国は、それぞれの答えに辿り着こうとしていた。
◆
エストル樹国の一室。
灯りは最小限。
外から差し込む月光と、わずかな燭台の光だけが空間を満たしていた。
エリは、窓の外の木々を見つめている。
風が揺らす葉の音が、かすかに響いていた。
背後には、数人の長老たち。
誰も急かさない。
だが、誰もが待っている。
やがて、一人の長老が口を開いた。
「巫女よ。あの条約……どう見る」
エリは、すぐには答えなかった。
指先をそっと窓枠に置く。
そのまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……流れを変えるもの」
「流れ?」
「ええ」
振り返る。
その瞳は、静かで、どこか遠くを見ていた。
「これまで、国はそれぞれに動いていた。争いも、交易も、すべてが分かれていた」
長老たちは黙って聞く。
「でも、あれは違う」
エリは小さく息を吐いた。
「全部を一つにまとめる“流れ”を作ろうとしている」
「帝国が中心となって、か」
「……ええ」
否定しない。
一人の長老が、低く言った。
「危険ですね」
「危険ね」
エリは同じ言葉を繰り返す。
「でも」
少しだけ、口元が緩んだ。
「面白い」
長老たちの空気が、わずかに変わる。
「面白い、だと?」
「だって」
エリは窓の外に視線を戻した。
「止められないもの」
その一言に、誰も反論できなかった。
風が、また葉を揺らす。
「ならば、どうする」
長老の問いは、静かだった。
エリは少しだけ考え――
そして、はっきりと言った。
「行くわ」
「……参加するのか」
「ええ」
短い答え。
だが、その中には迷いがなかった。
「ただし」
その一言で、空気が締まる。
「流されない」
長老たちは、黙って頷いた。
それで十分だった。
◆
同時刻――帝国。
小さな会議室。
そこには、皇帝とアルト、そして四公爵がいた。
誰も座っていない。
机の上には、各国からの報告が並んでいる。
アルトが一枚の紙を手に取る。
「タン王国――参加の意向。ただし条件交渉を前提」
「予想通りだな」
アルノーが言う。
次の紙。
「ブロドン共和国――参加。積極的」
ラインハルトが小さく笑う。
「市場は正直ですね」
さらに。
「シドル大公国――参加。ただし逐条調整を要求」
モンテリオが頷く。
「技術を守る気でしょう」
最後に。
「アジス獣王国――参加。ただし軍事的独立性を強く主張」
デストが低く言った。
「牙は抜かせない、か」
アルトは紙を置いた。
「想定通りです」
誰も驚かない。
むしろ、予定通りだった。
皇帝が初めて口を開く。
「で?」
短い一言。
だが、それで十分だった。
アルトは迷わず答える。
「全て受けます」
四公爵の視線が一斉に向く。
「……受ける、だと?」
アルノーが眉をひそめる。
「条件交渉も含めて、ですか」
「はい」
アルトは静かに頷いた。
「その代わり」
その一言で、空気が変わる。
「条約の“骨格”は変えません」
誰も口を挟まない。
「細部は譲る。だが、通貨、港、制裁、この三つは絶対に動かさない」
ラインハルトが笑った。
「つまり、見える部分だけ譲ると」
「はい」
モンテリオが静かに言う。
「各国は“交渉した”と思う」
「その通りです」
デストが腕を組む。
「そして気づいた時には、もう抜けられない」
アルトは否定しなかった。
皇帝が、わずかに笑った。
「いいだろう」
それだけで、全てが決まる。
◆
翌朝。
再び、同じ会議室。
だが、空気は昨日とは違っていた。
誰もが、すでに答えを持っている。
逃げるか、乗るか。
そして――ほとんどが、後者を選んでいる。
アルトが立つ。
「では、各国の意向を確認します」
静かな声だった。
だが、その一言で、世界が動く。
最初に口を開いたのは――
ハイトス・タン王だった。
「……参加する」
短い。
だが、重い言葉だった。
続けて言う。
「ただし、条件がある」
アルトは頷く。
「承ります」
次に、バイトル・ブリストル統領。
「我々も参加だ」
迷いはない。
「市場は逃さない」
その一言に、誰もが彼らの立場を理解した。
メキシマス・シドル大公は、ゆっくりと言った。
「参加する。ただし、条文は詰めさせてもらう」
「もちろんです」
アルトは即答する。
そして――
メラノ・アジス獣王。
「乗る」
それだけだった。
だが、その後に続ける。
「だが、牙は折らん」
アルトはわずかに頷く。
「承知しています」
最後に。
エリが、静かに口を開いた。
「……参加するわ」
その声は、他の誰よりも静かだった。
だが、不思議と一番響いた。
「流れは、もう止まらないもの」
誰も否定しない。
アルトは、全員を見渡した。
そして、言う。
「では――条約の最終調整に入ります」
その瞬間。
会議は、「提案」から「決定」へと変わった。
逃げ場は、もうない。
世界は、選ばれたのではない。
選ばされたのだ。
静かに。
確実に。
――新しい秩序が、形を持ち始めていた。




