第67話 諸国連合
会議室は、朝だというのに重苦しかった。
机の上には、分厚い草案が一冊置かれている。誰もまだ触れていない。触れた瞬間から、引き返せなくなる気がしたからだ。
皇太子アルトが静かに立ち上がった。
「では、条約を読み上げます」
書記がうなずき、紙を開く。
「第1条。連合の最高責任者として議長を置く。議長は帝国皇帝により任命する」
その瞬間、タン王国の使者が顔を上げた。
「……最初から、帝国が頭か」
アルトは表情を変えない。
「責任の所在をはっきりさせるためです」
書記は続ける。
「第2条。議長はすべての重要事項に対して最終承認権を持つ」
ブロドン共和国の代表が小さく笑った。
「重要事項ってのは、どこまでだ」
「条約改正、制裁、軍事行動、通貨政策です」
アルトの答えは短い。
短いが、十分すぎた。
タン王国の使者は苦い顔をした。
「それじゃ、結局は帝国が全部決めるのと同じじゃないか」
「違います」
アルトはすぐに返す。
「決めるための責任を、誰が負うかを明確にしているだけです」
誰もそれ以上は言わなかった。
書記の声がまた響く。
「第3条。連合の共通通貨は帝国硬貨へと移行する」
会議室の空気が、はっきり変わった。
今度はブロドン共和国の代表が、目を細める。
「……共通通貨か。悪くない」
そして、その下の一文を見る。
「第4条。通貨の発行権は帝国のみに属する」
「おい」
思わず声が漏れる。
「それ、つまり他国は自分で金を刷れないってことだろ」
アルトは静かに頷いた。
「はい」
「最初からそう言え」
「書いてあります」
あまりに素っ気ない返事に、ブロドンの代表は逆に言葉を失った。
悪くないと思った通貨制度が、実際には帝国の首輪になる。気づいたときにはもう遅い形だ。
書記は止まらない。
「第5条。通貨交換レートは連合が管理する」
シドル大公国の使者が、紙を指で押さえた。
「連合が、ね」
「実務は連合事務局が行います」
「実務ってのは、つまり帝国だろう」
「そうなるでしょう」
アルトは否定しない。
その正直さが、かえって怖い。
続けて書記が読む。
「第6条。関税基準は統一する。港湾はすべて連合の管理下に置き、貿易の安全と監視を行う」
ブロドンの代表が、今度は本気で眉をひそめた。
「港まで取る気か」
「安全と監視のためです」
「それを帝国がやる、と」
「はい」
短く、簡潔に、残酷なほど自然に答える。
タン王国の使者が低く呟いた。
「……全部、経済を握るつもりか」
誰も否定しなかった。
書記がページをめくる。
「第7条。理事は承認なしで行動できる」
今度は、部屋の空気がはっきり緊張した。
シドル大公国の使者が顔を上げる。
「承認なし、か」
「緊急時に限ります」
アルトは先に言う。
だが、その先を読まれたくないような静けさがあった。
「第8条。理事は以下を即時実行できる。経済封鎖、交易停止、軍事行動など」
獣王国の使者が、鼻で息を吐いた。
「……軍事行動まで入ってるのか」
「連合の安全のためです」
「安全、ね」
重い声だった。
誰もが思っている。止める方法は、どこにあるのかと。
書記は容赦なく次を読む。
「第9条。理事は行動後に理事会に報告する義務を要する」
ブロドンの代表が、思わず言った。
「報告するだけかよ」
アルトは淡々と答える。
「先に動かなければ間に合わないことがあります」
「だから先に動く。後で報告する」
その言い方は、あまりにも当然だった。
当然だからこそ、怖い。
書記はもう一度紙をめくる。
「第10条。加盟国は兵を提供する義務を負う。兵の提供は国の規模により変動する。指揮権は連合が持つものとし、最終指揮権は連合理事が有する」
獣王国の使者が、そこで初めて真正面からアルトを見た。
「兵を出せ、と」
「はい」
「戦えば勝てない相手に、勝てない戦をさせる気は?」
「ありません」
アルトの答えは即座だった。
「だから、連合で動くんです」
獣王国の使者は、しばらく黙ってから言った。
「戦いを避けるために、戦力を集めるわけか」
「その通りです」
アルトはうなずく。
次が最後の山だった。
「第11条。連合は違反国に対して制裁を行う。経済封鎖、交易停止、軍事行動など」
タン王国の使者が、とうとう我慢できずに口を開く。
「その“違反”は誰が決めるんだ」
「議長と理事会です」
「つまり帝国だろう」
「帝国が最終責任を負います」
アルトは言い切った。
「第12条。対象国は連合管理下に置かれる。その後、各国の決定のもと管理される」
会議室が静まり返る。
ブロドンの代表が苦笑した。
「管理、ね」
「要するに、負けた国は連合に飲み込まれるってことか」
アルトは否定しなかった。
「制裁後の混乱を放置すれば、次の戦争になります」
「だから、再建します」
その言い方は綺麗だった。
だが、綺麗すぎて、逆に皆が本質を見た。
最後の二つが、さらに重い。
「第13条。連合への加盟は原則自由とする。ただし、一度離反した場合、帝国の承認を必要とする」
タン王国の使者が目を細める。
「自由、ね。抜けた国は戻るのに帝国の許可がいるのか」
「はい」
「それを自由と呼ぶのか?」
「はい」
アルトはぶれない。
「最後です」
書記が、ゆっくり読む。
「第14条。離脱は可能とする。条約違反等の理由で離脱した場合には、原則武力行使を行う」
誰もすぐに言葉を発せなかった。
あまりにも、はっきりしていたからだ。
獣王国の使者が、低く笑う。
「つまり、抜けたら殴るってことだな」
「条約違反なら、そうなります」
「正直だな」
「正直である方が、後々揉めません」
その瞬間、エリが小さく息を吐いた。
「……全部、つながっているのね」
誰も彼女を見た。
だが、その一言だけは、全員に届いた。
通貨。港。兵。制裁。離脱。再加盟。
一つひとつは別々に見えて、全部が帝国へ向かって収束している。
ブロドンの代表が、紙を閉じる。
「うまく作ったな」
「ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
アルトは少しだけ目を細めた。
それが、わずかな笑みに見えた。
タン王国の使者が、重い声で言う。
「これは……同盟じゃないな」
「諸国連合です」
「名前の話じゃない」
アルトは何も言わない。
シドル大公国の使者が、静かに続けた。
「条項は全部つながっている。通貨を握り、港を握り、兵を握り、制裁を握る。離脱も実質できない。……よく考えたものだ」
獣王国の使者が腕を組む。
「勝てない相手に、戦っても意味がない。だが、これは“選べる支配”だ」
誰も否定できない。
エリだけが、静かに言った。
「世界が、少し形を変えたわ」
アルトは紙束を閉じる。
「参加するか、しないか」
ただ、それだけを問う声だった。
だが誰も、その問いを軽く受け取れない。
会議は終わらない。
まだ署名はしない。
だが、全員が理解していた。
この条約は、断れるようで断れない。
参加すれば従うことになり、拒めば取り残される。
その夜、各国の部屋では同じ言葉が繰り返された。
「……どうする」
答えも、だいたい同じだった。
「乗るしかない」
会議室は、朝だというのに重苦しかった。
机の上には、分厚い草案が一冊置かれている。誰もまだ触れていない。触れた瞬間から、引き返せなくなる気がしたからだ。
皇太子アルトが静かに立ち上がった。
「では、条約を読み上げます」
書記がうなずき、紙を開く。
「第1条。連合の最高責任者として議長を置く。議長は帝国皇帝により任命する」
その瞬間、タン王国の使者が顔を上げた。
「……最初から、帝国が頭か」
アルトは表情を変えない。
「責任の所在をはっきりさせるためです」
書記は続ける。
「第2条。議長はすべての重要事項に対して最終承認権を持つ」
ブロドン共和国の代表が小さく笑った。
「重要事項ってのは、どこまでだ」
「条約改正、制裁、軍事行動、通貨政策です」
アルトの答えは短い。
短いが、十分すぎた。
タン王国の使者は苦い顔をした。
「それじゃ、結局は帝国が全部決めるのと同じじゃないか」
「違います」
アルトはすぐに返す。
「決めるための責任を、誰が負うかを明確にしているだけです」
誰もそれ以上は言わなかった。
書記の声がまた響く。
「第3条。連合の共通通貨は帝国硬貨へと移行する」
会議室の空気が、はっきり変わった。
今度はブロドン共和国の代表が、目を細める。
「……共通通貨か。悪くない」
そして、その下の一文を見る。
「第4条。通貨の発行権は帝国のみに属する」
「おい」
思わず声が漏れる。
「それ、つまり他国は自分で金を刷れないってことだろ」
アルトは静かに頷いた。
「はい」
「最初からそう言え」
「書いてあります」
あまりに素っ気ない返事に、ブロドンの代表は逆に言葉を失った。
悪くないと思った通貨制度が、実際には帝国の首輪になる。気づいたときにはもう遅い形だ。
書記は止まらない。
「第5条。通貨交換レートは連合が管理する」
シドル大公国の使者が、紙を指で押さえた。
「連合が、ね」
「実務は連合事務局が行います」
「実務ってのは、つまり帝国だろう」
「そうなるでしょう」
アルトは否定しない。
その正直さが、かえって怖い。
続けて書記が読む。
「第6条。関税基準は統一する。港湾はすべて連合の管理下に置き、貿易の安全と監視を行う」
ブロドンの代表が、今度は本気で眉をひそめた。
「港まで取る気か」
「安全と監視のためです」
「それを帝国がやる、と」
「はい」
短く、簡潔に、残酷なほど自然に答える。
タン王国の使者が低く呟いた。
「……全部、経済を握るつもりか」
誰も否定しなかった。
書記がページをめくる。
「第7条。理事は承認なしで行動できる」
今度は、部屋の空気がはっきり緊張した。
シドル大公国の使者が顔を上げる。
「承認なし、か」
「緊急時に限ります」
アルトは先に言う。
だが、その先を読まれたくないような静けさがあった。
「第8条。理事は以下を即時実行できる。経済封鎖、交易停止、軍事行動など」
獣王国の使者が、鼻で息を吐いた。
「……軍事行動まで入ってるのか」
「連合の安全のためです」
「安全、ね」
重い声だった。
誰もが思っている。止める方法は、どこにあるのかと。
書記は容赦なく次を読む。
「第9条。理事は行動後に理事会に報告する義務を要する」
ブロドンの代表が、思わず言った。
「報告するだけかよ」
アルトは淡々と答える。
「先に動かなければ間に合わないことがあります」
「だから先に動く。後で報告する」
その言い方は、あまりにも当然だった。
当然だからこそ、怖い。
書記はもう一度紙をめくる。
「第10条。加盟国は兵を提供する義務を負う。兵の提供は国の規模により変動する。指揮権は連合が持つものとし、最終指揮権は連合理事が有する」
獣王国の使者が、そこで初めて真正面からアルトを見た。
「兵を出せ、と」
「はい」
「戦えば勝てない相手に、勝てない戦をさせる気は?」
「ありません」
アルトの答えは即座だった。
「だから、連合で動くんです」
獣王国の使者は、しばらく黙ってから言った。
「戦いを避けるために、戦力を集めるわけか」
「その通りです」
アルトはうなずく。
次が最後の山だった。
「第11条。連合は違反国に対して制裁を行う。経済封鎖、交易停止、軍事行動など」
タン王国の使者が、とうとう我慢できずに口を開く。
「その“違反”は誰が決めるんだ」
「議長と理事会です」
「つまり帝国だろう」
「帝国が最終責任を負います」
アルトは言い切った。
「第12条。対象国は連合管理下に置かれる。その後、各国の決定のもと管理される」
会議室が静まり返る。
ブロドンの代表が苦笑した。
「管理、ね」
「要するに、負けた国は連合に飲み込まれるってことか」
アルトは否定しなかった。
「制裁後の混乱を放置すれば、次の戦争になります」
「だから、再建します」
その言い方は綺麗だった。
だが、綺麗すぎて、逆に皆が本質を見た。
最後の二つが、さらに重い。
「第13条。連合への加盟は原則自由とする。ただし、一度離反した場合、帝国の承認を必要とする」
タン王国の使者が目を細める。
「自由、ね。抜けた国は戻るのに帝国の許可がいるのか」
「はい」
「それを自由と呼ぶのか?」
「はい」
アルトはぶれない。
「最後です」
書記が、ゆっくり読む。
「第14条。離脱は可能とする。条約違反等の理由で離脱した場合には、原則武力行使を行う」
誰もすぐに言葉を発せなかった。
あまりにも、はっきりしていたからだ。
獣王国の使者が、低く笑う。
「つまり、抜けたら殴るってことだな」
「条約違反なら、そうなります」
「正直だな」
「正直である方が、後々揉めません」
その瞬間、エリが小さく息を吐いた。
「……全部、つながっているのね」
誰も彼女を見た。
だが、その一言だけは、全員に届いた。
通貨。港。兵。制裁。離脱。再加盟。
一つひとつは別々に見えて、全部が帝国へ向かって収束している。
ブロドンの代表が、紙を閉じる。
「うまく作ったな」
「ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
アルトは少しだけ目を細めた。
それが、わずかな笑みに見えた。
タン王国の使者が、重い声で言う。
「これは……同盟じゃないな」
「諸国連合です」
「名前の話じゃない」
アルトは何も言わない。
シドル大公国の使者が、静かに続けた。
「条項は全部つながっている。通貨を握り、港を握り、兵を握り、制裁を握る。離脱も実質できない。……よく考えたものだ」
獣王国の使者が腕を組む。
「勝てない相手に、戦っても意味がない。だが、これは“選べる支配”だ」
誰も否定できない。
エリだけが、静かに言った。
「世界が、少し形を変えたわ」
アルトは紙束を閉じる。
「参加するか、しないか」
ただ、それだけを問う声だった。
だが誰も、その問いを軽く受け取れない。
会議は終わらない。
まだ署名はしない。
だが、全員が理解していた。
この条約は、断れるようで断れない。
参加すれば従うことになり、拒めば取り残される。
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その夜、各国の部屋では同じ言葉が繰り返された。
「……どうする」
答えも、だいたい同じだった。
「乗るしかない」
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