第60話 皇太子と巫女
次話は明日19時投稿予定です。
晩餐会まで――四日。
帝国皇城。
皇城の奥にある庭園。
高い石壁に囲まれた静かな場所だった。
整えられた芝。
小さな池。
そして中央には一本の大きな木が立っている。
帝都の中では珍しいほど、静かな場所だった。
その庭園に、一人の少女が立っていた。
白い巫女衣。
長い銀髪。
エストル樹国の巫女。
エリ。
彼女は庭園の中央にある木を見上げていた。
その時。
背後から静かな足音が聞こえる。
振り返る。
そこに立っていたのは――
皇太子アルトだった。
アルトはエリを見る。
そして軽く頭を下げた。
「巫女エリ」
「突然呼び出してすみません」
エリは小さく首を振る。
「いえ」
「私も、お話ししてみたいと思っていました」
アルトは少し驚いたように言う。
「そうですか」
二人の間に少し沈黙が落ちる。
庭園には風の音だけが流れていた。
やがてエリが口を開く。
「昨日、初めてお会いした時」
「少し驚きました」
アルトは静かに聞く。
「なぜですか?」
エリはゆっくりと答える。
「世界樹が……反応したからです」
アルトの表情は変わらない。
だが、その目だけがわずかに細くなる。
エリは続けた。
「皇太子殿下」
「あなたは普通の人間ではありませんね」
その言葉に動揺はない。
ただ静かな確認のようだった。
アルトは少し考える。
そして言った。
「それは……どういう意味ですか?」
エリは庭の木に手を触れる。
そして静かに言う。
「世界樹は、この世界の魔力の流れを感じています」
「大地、海、空」
「すべての魔力はどこかで繋がっている」
アルトは黙って聞いていた。
エリは振り返る。
そしてアルトを見る。
「ですが」
「あなたの周りの魔力は……少し違う」
アルトは聞く。
「違う?」
エリは頷いた。
少し言葉を探す。
「……中心のようでした」
静かな言葉だった。
アルトは少しだけ空を見る。
帝都の空。
そして小さく言う。
「中心、ですか」
エリは真剣な目で続ける。
「世界樹は長い間、この世界を見てきました」
「多くの王」
「多くの英雄」
「多くの戦争」
そして少し間を置く。
「ですが」
「昨日のような反応は初めてです」
アルトは少しだけ笑った。
「それは困りましたね」
エリは首を傾げる。
「困る?」
アルトは静かに言う。
「私はただの皇太子です」
「そんな大層なものではありません」
エリはその言葉を聞いて、少しだけ笑った。
「そう言う方ほど」
「そうではないことが多いですね」
アルトは何も言わない。
沈黙が流れる。
やがてエリが言う。
「ですが安心しました」
アルトは聞く。
「何がですか?」
エリは答える。
「あなたが世界を壊す人ではなさそうだからです」
アルトは少し驚いた顔をした。
「壊す?」
エリは頷く。
「強すぎる力は、時々世界を壊します」
「ですが」
「あなたは違う」
エリはアルトをまっすぐ見る。
「あなたは……」
少しだけ微笑んだ。
「世界を動かす人ですね」
アルトはその言葉を聞いて、少し考えた。
そして静かに言う。
「それはまだ分かりません」
エリは言う。
「いいえ」
「もう動いています」
エリは帝都の空を見る。
「海洋国」
「魔王国」
「そして今、大陸の国々が帝都に集まっている」
「これだけでも十分です」
アルトは何も言わなかった。
やがてエリは言う。
「晩餐会」
「楽しみにしています」
アルトは小さく頷いた。
だが――
そのまま視線を庭の木へ向ける。
そして静かに言った。
「一つ、聞いてもよろしいですか」
エリは首をわずかに傾ける。
「何でしょう」
アルトは庭の木を見ながら言う。
「樹国と世界樹についてです」
エリの表情が少しだけ真剣になる。
アルトは続けた。
「世界樹が巫女を選び、国を導く」
「それはどのようなものなのですか?」
「世界樹は……本当に意思を持っているのでしょうか」
エリは少しだけ空を見上げた。
そして静かに答える。
「意思、という言い方が正しいかは分かりません」
「ですが」
彼女はゆっくりと言葉を続ける。
「世界樹は、この世界そのものと繋がっています」
「大地の魔力」
「森の命」
「そして世界の流れ」
「それらを感じている存在です」
アルトは黙って聞いていた。
エリは続ける。
「樹国では、その世界樹の声を最も強く受け取れる者が巫女になります」
「だから」
「私は王でもあり、巫女でもあるのです」
アルトは少し考えた。
そして静かに言う。
「つまり」
「樹国は、世界樹と共に国を治めている」
エリは頷いた。
「はい」
そして少しだけ微笑む。
「だからこそ」
「世界樹が興味を持つ存在は、とても珍しいのです」
彼女の視線がアルトへ向く。
静かな庭園。
風が吹き、木の葉が揺れる。
彼女の視線がアルトへ向く。
静かな庭園。
その時――
風が庭を静かに吹き抜けた。
木の葉が揺れる。
さわり、と柔らかな音が広がる。
エリはふと、庭の木へ視線を向けた。
ほんのわずかだが。
枝が、風とは違う揺れ方をした気がした。
エリの瞳がわずかに細くなる。
(……今のは)
彼女は何も言わない。
ただ静かにその木を見つめる。
アルトは気付いていない様子だった。
だが――
エリには分かっていた。
世界樹と繋がる感覚。
それが、ほんの一瞬だけ強くなった。
まるで。
遠く離れた樹国の世界樹が――
ここを見ているかのように。
エリは小さく息を吐く。
そしてアルトへ視線を戻した。
(やはり……)
心の中で呟く。
(この方は)
その続きを、口には出さない。
ただ小さく微笑んだ。
晩餐会まで――
あと四日。




