第117話 皇太子の目
「幼少期記録だけが消えている」
護衛の報告が終わった後も、会議室には重い沈黙が残っていた。
五歳以前の記録。
それだけを選ぶように盗み出した。
偶然ではない。
誰もがそう理解していた。
アルトは静かに目を閉じる。
そして小さく息を吐いた。
「なるほど」
その声は落ち着いていた。
だが、ギルタルは気付いた。
アルトの中で何かが繋がったことに。
「殿下?」
アルトは目を開く。
紫の瞳は冷静だった。
「犯人は、私を知ろうとしています」
候補者たちが顔を上げる。
リベナが静かに問う。
「殿下自身を?」
「はい」
アルトは頷いた。
「ですが、一つおかしい」
セレナが反応する。
「おかしい?」
「資料保管室に残されていた魔力紋です」
ギルタルも頷いた。
現場から検出されたのは侯爵級の魔力紋。
だからこそ帝国内部の犯行も疑われていた。
だが。
アルトは静かに言った。
「その侯爵は無実です」
会議室がざわつく。
エルシアが目を細める。
「なぜ断言できるのですか?」
アルトは答える。
「その侯爵本人は昨夜から一度も屋敷を出ていません」
ギルタルの目が鋭くなる。
「確認済みですか」
「はい」
アルトは頷いた。
「それに」
一拍。
「その侯爵には、昔作った特殊な魔道具があります」
候補者たちの視線が集まる。
ゼドリック・モンテリオ公爵領で開発された試作品。
今は使われていない。
だが存在は記録に残っている。
アルトは続けた。
「魔力紋を一時的に再現する魔道具です」
会議室が静まり返った。
セレナが最初に理解した。
「つまり……」
アルトは頷く。
「犯人は侯爵本人ではありません」
「侯爵の魔力紋を偽装した」
リベナの目が細くなる。
「侯爵へ罪を着せるためですか」
「その可能性が高いですね」
レティアが腕を組む。
「帝国内部の犯行に見せかけたかった」
「はい」
アルトは答える。
「少なくとも最初の目的は、それでしょう」
テジナが鼻を鳴らした。
「回りくどいわね」
「正面から来ればいいのに」
ミレーユが苦笑する。
「それができないから隠れるんだと思います……」
テジナは少し考えた。
「それもそうね」
会議室の空気が少しだけ緩む。
だがアルトは表情を変えなかった。
「ギルタル」
「はい」
「その魔道具の保管記録を」
「すでに確認しています」
ギルタルは即答した。
さすが王太子補佐長だった。
「十年前に封印保管」
「五年前に所在確認」
「三年前までは記録あり」
「しかし二年前以降の確認記録がありません」
レティアが眉を上げる。
「なくなっていた?」
「その可能性があります」
ギルタルは答えた。
アルトは静かに頷いた。
「つまり」
「犯人は偶然動いたのではない」
「かなり前から準備していた」
候補者たちの表情が変わる。
長期間。
計画的。
帝国内部の情報を知っている。
それは厄介だった。
その時。
アルトはゆっくり立ち上がった。
「ギルタル」
「はい」
「犯人を探します」
ギルタルが問う。
「近衛騎士団を動かしますか」
「必要ありません」
アルトは静かに答えた。
「私が見ます」
会議室が静まり返る。
リベナ。
セレナ。
エルシア。
誰も口を挟まない。
それが何を意味するのか分からなくても。
今の言葉が特別なものだと理解できた。
アルトは目を閉じる。
体内に存在する魔力核。
皇帝と皇太子だけが受け継ぐ力。
帝国全土へ張り巡らされた魔力網。
侯爵。
伯爵。
子爵。
男爵。
騎士。
すべての魔力の所在が繋がっている。
アルトの意識が帝都全域へ広がった。
貴族街。
商業区。
港湾区。
兵舎。
下層街。
そして――
帝都南区。
古い廃倉庫。
そこで違和感を見つける。
侯爵の魔力紋。
だが本物ではない。
魔道具から発せられている。
アルトはゆっくり目を開いた。
「見つけました」
ギルタルが一歩前へ出る。
「場所は」
「帝都南区」
アルトは静かに答えた。
「廃倉庫地下」
ギルタルの目が鋭くなる。
「近衛騎士団を向かわせます」
「生け捕りで」
「承知しました」
ギルタルは即座に動いた。
会議室の空気が変わる。
候補者たちも理解していた。
ついに犯人へ辿り着いた。
だが。
これは終わりではない。
始まりだ。
リベナが静かに呟く。
「誰がそこまでして殿下を調べようとしているのでしょうね」
誰も答えない。
だがアルトには予感があった。
これは単なる盗難ではない。
もっと大きな何かへ繋がっている。
そしてその先には――
連合のどこかの国がいる。
アルトは窓の外を見る。
帝都の夜は静かだった。
だが、その静けさの裏で。
帝国を揺るがす陰謀が動いている。




