第103話「利害の衝突」
誰もすぐには口を開かなかった。
地図の上には、各国の利害が複雑に絡み合っている。
森を通れば早い。
山道を通れば安全を確保しやすい。
港を使えば大量輸送が可能になる。
ブロドンの資金を使えば整備は進む。
だが、そのすべてには代償がある。
沈黙を破ったのは、テジナだった。
「まず、守れない道に価値はないわ」
テジナは地図の山岳地帯を指した。
「魔物被害を防ぐための輸送路なら、最優先は安全でしょう。なら、アジスの山岳路を使うべきよ。獣王国の兵なら、山道でも魔物に対応できる」
レティアがすぐに返す。
「ですが、通行料が高すぎれば物資は流れません」
「安全には金がかかるわ」
「もちろんです」
レティアは微笑んだ。
「ただし、安全の値段が高すぎれば、救える村が減ります」
テジナの目が細くなる。
「商人らしい言い方ね」
「ええ。ですが、これは命の値段の話でもあります」
その言葉に、場の空気が少しだけ変わった。
レティアは続ける。
「私は、通行料を固定ではなく段階制にすべきだと思います。緊急物資、医療品、武器、商業品。それぞれで負担を変える。救援物資には低い通行料を、利益目的の商業品には通常以上の通行料をかける」
「つまり、儲ける商人から多く取る?」
テジナが言う。
「はい」
レティアはあっさり頷いた。
「命を救う荷と、利益を生む荷を同じ扱いにする方が不自然です」
セレナが静かに口を開いた。
「その場合、誰が荷の分類を決めるのですか」
レティアの笑みがわずかに止まる。
セレナは資料を指で叩いた。
「救援物資と商業品の境界を曖昧にすれば、必ず抜け道が生まれます。商人は救援物資を装うでしょうし、通過国は分類を理由に通行を遅らせる可能性があります」
「嫌なところを見ますね」
「必要なところです」
セレナは淡々と返した。
「だから、まず管理機関が必要です。帝国だけでも、各国だけでもなく、連合全体で輸送路を管理する機関です」
リベナが小さく笑った。
「連合輸送管理局、とでも?」
「名称は何でも構いません」
セレナは答える。
「重要なのは、通行料、警備責任、事故責任、魔物発生時の指揮権を最初に定めることです」
エリが静かに言った。
「森についても、同じです」
全員の視線がエリへ向く。
エリはエストル樹国の森に引かれた線を見つめていた。
「森を通るなら、巫女の確認を必須にしてください。世界樹に連なる森は、ただの土地ではありません。どこを通ってよいか、どこを傷つけてはならないか、人の目だけでは分からない場所があります」
テジナが肩をすくめる。
「それじゃ遅くなるわ」
「はい」
エリは認めた。
「ですが、森を壊せばもっと遅くなります。水が変わり、獣が逃げ、魔物の流れが変われば、道どころではなくなります」
ミレーユが小さく頷いた。
「それは、分かります」
テジナがミレーユを見る。
ミレーユは少し緊張しながらも続けた。
「辺境でも、道を広げたせいで魔物の通り道が変わったことがあります。便利にしたつもりなのに、別の村が襲われるようになったりして……」
「現場の話ですね」
ユリアが静かに言う。
「はい。だから、道だけ見ても駄目だと思います」
ミレーユは地図の赤い印を指した。
「ここに補給拠点が必要です。ここは村が近いから、避難所も兼ねられるようにする。こっちは山道だから、怪我人を運ぶ馬車じゃなくて、獣王国の輸送獣を使った方が早いと思います」
テジナの口元が少し上がる。
「分かってるじゃない」
「褒めてます?」
「七割くらい」
「また七割……」
ミレーユが小さく呟くと、少しだけ空気が緩んだ。
だが、すぐにユリアが資料を見ながら口を開いた。
「補給拠点を作るなら、維持費が問題になります」
「維持費?」
ミレーユが聞く。
「はい。建てるだけなら一度で済みます。ですが、人員、食料、薬、修繕、警備、冬季の備蓄。毎年費用がかかります」
ユリアは静かに続けた。
「最初の一年だけ機能しても意味がありません。最低でも十年維持できる制度にしなければ、いずれ道は荒れ、拠点は空になり、また魔物被害が増えます」
レティアが興味深そうに笑った。
「十年単位の費用計算ですか。嫌いではありません」
「短期利益で長期維持を壊す案は、結果的に損ですから」
「同感です」
レティアは頷いた。
「では、維持費の一部は通行料から出すべきですね。ただし、救援物資への負担は低くする。商業品への通行料を高くし、その一部を維持基金へ回す」
セレナがすぐに補足する。
「その基金の管理も連合管理機関が行うべきです。各国が個別に管理すれば、使途をめぐって疑念が生まれます」
リベナが口を開いた。
「疑念は、必ず生まれます」
静かな声だった。
「タン王国が港の優先使用権を求めれば、他国は港湾利益の独占を疑う。アジスが警備権を求めれば、軍事的影響力を疑う。ブロドンが資金を出せば、市場支配を疑う。エストルが森の確認を求めれば、輸送を止める口実だと疑う」
リベナはゆっくりと地図を見る。
「だから、表向きの条件だけでは足りません。各国が何を恐れているかも、同時に扱う必要があります」
アルトは黙って聞いていた。
ギルタルも記録を続けている。
リベナは続ける。
「港の優先使用権は、恒久ではなく緊急時限定にするべきです。通常時は利用量に応じた割当制。緊急時だけ、魔物被害地域への輸送を優先する」
「つまり、タン王国の独占は避ける?」
セレナが問う。
「ええ」
リベナは頷いた。
「独占に見えた瞬間、他国は警戒します。タン王国に利益は必要ですが、あまりに大きすぎれば反発が起こる」
テジナが笑う。
「自国の利益を削るの?」
「削るのではありません。長く得るために、取りすぎないだけです」
レティアが楽しそうに目を細めた。
「商人の国のような考え方ですね」
「必要なら学びます」
リベナは静かに返した。
その会話を聞きながら、エルシアは一言も発していなかった。
候補者たちの案は、それぞれ正しい。
だが、どれも単独では足りない。
安全だけでは金が足りない。
金だけでは人が潰れる。
制度だけでは現場が動かない。
現場だけでは長期維持ができない。
自然だけを守れば救援が遅れる。
利益だけを取れば反発を生む。




