第101話「第二次選抜・連合裁定①」
夜会の裏側で、帝国の中枢は次の一手を決めていた。
そして翌朝。
迎賓館の一室に、候補者たちは再び集められていた。
昨日の広間とは違う。
そこは華やかな夜会のための空間ではなかった。
長い机。
壁一面に広げられた地図。
机の上に置かれた複数の資料。
帝国、タン王国、アジス獣王国、シドル大公国、ブロドン共和国、エストル樹国。
それぞれの領土が色分けされ、主要な道、港、森、山岳地帯、魔物被害の多発地域が細かく記されている。
候補者たちは、その地図を見た瞬間に理解した。
今日の選抜は、昨日のような会話だけでは済まないことを
アルト・シクタルンは、すでに机の奥に立っていた。
その隣には、王太子補佐長ギルタル・アルノー。
二人の前には、一枚の大きな地図が広げられている。
アルトは候補者たちを見渡し、静かに口を開いた。
「本日より、第二次選抜を開始します」
候補者たちの空気が引き締まる。
リベナは静かに目を細める。
テジナは楽しそうに口元を上げる。
セレナはすでに地図全体を見ていた。
レティアは、街道と港の位置に視線を走らせている。
エリは、エストル樹国の森が描かれた場所をじっと見つめていた。
帝国側の三人。
エルシア、ミレーユ、ユリアも、それぞれ違う表情で地図を見ている。
アルトは言った。
「第二次選抜は、連合裁定です」
その言葉に、全員の意識がアルトへ向いた。
「皆様には、連合内で実際に起こり得る問題について、裁定案を出していただきます」
ミレーユが小さく呟く。
「裁定案……」
ユリアは静かに地図を見る。
エルシアはすでに資料へ視線を落としていた。
アルトは続ける。
「今回の問題は、魔物被害を防ぐための物資輸送路整備です」
ギルタルが一歩前へ出て、地図上の数か所を指し示した。
「現在、連合内では複数の地域で魔物被害が増加しています。特に国境周辺、山岳地帯、森林地帯、港へ向かう街道で被害が目立っています」
地図の上には、赤い印がいくつも置かれていた。
魔物被害の多発地域。
村が襲われた場所。
輸送隊が消えた地点。
兵の派遣が遅れた場所。
その数は少なくない。
アルトは静かに言う。
「帝国は、連合全体の安定のため、武器、食料、魔道具、兵を素早く送れる輸送路を整えたいと考えています」
その言葉だけなら、反対する者はいない。
魔物被害を減らす。
村を守る。
物資を早く届ける。
それはどの国にとっても利益になる。
だが、候補者たちは分かっていた。
問題はそこではない。
セレナが静かに地図を見て言った。
「最短ルートが、エストル樹国の森を通っていますね」
「はい」
アルトは頷いた。
「この輸送路を最短で整えるなら、エストル樹国の森の一部を通る必要があります」
エリの視線が、静かに地図へ落ちる。
エストル樹国の森。
世界樹に連なる聖域の一部。
そこに線が引かれていた。
道を広げれば、輸送は早くなる。
だが、森は傷つく。
エリはすぐには口を開かなかった。
ただ、森の印を見つめている。
テジナが腕を組む。
「森を避けるなら?」
ギルタルが別の線を指した。
「その場合、アジス獣王国の山岳輸送路を使う必要があります」
「獣道ね」
テジナはすぐに理解した。
「獣王国の山岳路は速いわ。普通の馬車には向かないけど、獣と専用の車ならかなり早く運べる」
「その通りです」
ギルタルが答える。
「ただし、アジス獣王国は高い通行料と、自国兵による警備権を求めています」
テジナは笑った。
「当然ね。危険な山道を守るのは、獣王国の兵よ。ただで通せなんて言われたら、そっちの方が非常識だわ」
レティアが柔らかく笑う。
「ですが、高すぎる通行料は流通を鈍らせます」
テジナの視線がレティアへ向く。
「商人の国らしい意見ね」
「ええ。流れが止まれば、誰も得をしませんから」
レティアは穏やかに答えた。
そのレティアへ、ギルタルが視線を向ける。
「ブロドン共和国は、輸送路整備に資金と商隊を出す用意があります」
「でしょうね」
レティアは微笑んだ。
「ただし、条件がありますね?」
「はい」
ギルタルは資料をめくる。
「ブロドン共和国は、関税の一部優遇と、市場取引権の拡大を求めています」
その瞬間、エルシアの視線がわずかに鋭くなる。
帝国経済に関わる話だ。
ブロドン共和国が市場権を広げれば、流通は活性化する。
だが、帝国商人の反発は避けられない。
レティアは楽しそうに言った。
「資金を出すなら、見返りは必要です」
エドガー・ラインハルトの娘であるエルシアは、静かに返す。
「見返りが大きすぎれば、帝国市場の均衡が崩れます」
「均衡は大切ですね」
レティアは笑顔を崩さない。
「ですが、止まった市場に価値はありません」
「暴れた市場も、人を潰します」
エルシアもまた、静かに返した。
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
アルトはそれを止めなかった。
むしろ、見る。
誰が、何に反応するか。
レティアが市場を見るなら、エルシアは市場を制度として見る。
同じ金の話でも、視点が違う。
その違いこそが、この試験の意味だった。
リベナが地図の南側を指した。
「タン王国の港も関わっていますね」
ギルタルが頷く。
「はい。港を使えば、物資輸送はさらに早くなります。ただし、タン王国は港の優先使用権を求めています」
リベナは表情を変えない。
「当然、港湾利益も集中する」
「はい」
「そして帝国は、それを警戒する」
「否定はしません」
ギルタルが答える。
リベナは小さく笑った。
「表向きは魔物被害対策。でも実際は、どの国が輸送路の主導権を握るかの話ですね」
アルトは静かに言う。
「そうです」
隠さない。
候補者たちの空気が変わった。
やはり、これは単なる善意の話ではない。
魔物被害を防ぐ。
その目的は本物だ。
だが、それと同時に、利権が動く。
港。
街道。
森。
山岳路。
市場。
警備権。
関税。
すべてが絡んでいる。
セレナが資料を一枚手に取った。
「管理権が曖昧です」
ギルタルが視線を向ける。
セレナは淡々と続けた。
「輸送路をどの国が管理するのか。通行料の基準は誰が決めるのか。魔物発生時、現場指揮権は誰にあるのか。輸送中に事故が起きた場合、責任は商隊、警備兵、通過国、あるいは帝国のどこにあるのか」
彼女は資料を置いた。
「このままでは、運用前から揉めます」
ゼドリックがこの場にいたなら、おそらく満足そうに頷いただろう。
セレナは問題の骨組みを見ている。
人や感情の前に、仕組みの穴を見つける。
アルトは小さく頷いた。
「良い指摘です」
セレナは頭を下げる。
「ありがとうございます」




