第100話「王妃の懐妊」
一瞬。
会議室の時間が止まった。
ギルタルの表情が固まる。
四公爵たちの視線が一斉にレイラへ向く。
エドガー・ラインハルトですら、わずかに目を見開いた。
アルトも、ほんの少しだけ動きを止めた。
「……父上」
アルトが静かに口を開く。
「今、ここで言うことですか」
レオンハルトは平然としている。
「今だから言う」
レイラは少し困ったように微笑んだ。
「陛下。もう少し言い方があったのでは?」
「回りくどく言う必要はないだろう」
「あります」
レイラが即座に返す。
そのやり取りで、止まっていた空気が少しだけ動き始めた。
だが、内容は軽くない。
王妃の妊娠。
それは帝国にとって祝福だ。
だが同時に、政治的には爆弾でもある。
新たな皇子、あるいは皇女が生まれる。
アルトが皇太子であることに揺らぎはない。
だが、血筋が増えるというだけで、周囲は勝手に動き出す。
派閥。
継承。
婚姻。
外戚。
帝国貴族。
各国の思惑。
すべてが、新たな火種を得る。
ゼドリックが慎重に問う。
「陛下、その情報はまだ……」
「限られた者しか知らん」
レオンハルトは答えた。
「だからこそ、この場で共有した」
ギルタルが低く言う。
「候補者選抜にも影響しますね」
「当然だ」
レオンハルトはアルトを見る。
「お前の隣に立つ者は、ただ皇太子妃として華やかにしていればよいわけではない。近いうちに、帝国の継承構造そのものがさらに複雑になる」
アルトは静かに頷いた。
「つまり、王妃になる者には、帝国の内側の火種も見られる必要がある」
「そうだ」
レオンハルトは短く答えた。
「外だけではない。内も見る必要がある」
レイラがアルトを見つめる。
「アルト。あなたが選ぶ方は、あなたを支えるだけではなく、いずれ生まれる子にとっても重要な存在になります」
その言葉は優しかった。
だが、重かった。
アルトは少しだけ目を伏せる。
王妃となる者。
それは、皇帝の隣に立つ者であると同時に、帝国皇族の一員となる者。
新たに生まれる命を、政治の道具としてではなく、帝国の未来として扱える者でなければならない。
レオンハルトは言った。
「だから急げとは言わん」
一拍。
「だが、見誤るな」
会議室が静まり返る。
アルトはゆっくりと顔を上げた。
「承知しています」
その声に、迷いはなかった。
レオンハルトは満足そうに頷く。
「ならいい」
ギルタルは一度深く息を吐き、そして静かに言った。
「では、第二次選抜の内容を予定通り進めますか」
「はい」
アルトは答える。
「次は、連合裁定です」
四公爵たちの視線が集まる。
「各国の利害を絡めた問題を提示します。候補者たちが、自国だけを見るのか、帝国だけを見るのか、それとも連合全体を見られるのかを試します」
レオンハルトは小さく笑った。
「ちょうどいい。外を見る試験だな」
「ええ」
アルトは静かに言った。
「そして、内を見る者も分かるはずです」
彼は机の上に並ぶ候補者たちの名を見下ろした。
リベナ。
テジナ。
セレナ。
レティア。
エリ。
エルシア。
ミレーユ。
ユリア。
誰も凡庸ではない。
だが、王妃となる者は一人だけ。
アルトは静かに告げた。
「次の試験で、かなり差が出るでしょう」
夜会の裏側で、帝国の中枢はすでに次の一手を決めていた。
王妃の妊娠。
各国候補者の思惑。
帝国の内と外。
そのすべてが絡み合う中、皇太子妃選抜は、さらに深い段階へ進もうとしていた。




