第99話「爆弾発言」
「エストル樹国、世界樹の巫女、エリ様」
その名が出た瞬間、会議室の空気が少し重くなる。
巫女本人。
それはやはり、他の候補者とは意味が違った。
「発言数は多くありません。ですが、一つ一つが重いです」
ギルタルは言った。
「帝国の根、風の流れ、強さと信頼。すべてを国という生き物のように捉えています」
レオンハルトが報告書を見る。
「世界樹の意思か、本人の意思か」
「判断できません」
ギルタルは即答した。
アルトも頷く。
「そこが問題です。彼女の言葉が個人の感想なのか、エストル樹国の意思なのか、あるいは世界樹の意思なのか。こちらには簡単に切り分けられません」
「なら、軽く扱えんな」
レオンハルトが言う。
「はい」
アルトは答えた。
「ただし、彼女は帝国に敵意を持っているわけではありません。むしろ、帝国が周囲を枯らさずに存在できるかを見ています」
レイラが静かに言った。
「厳しいけれど、優しい視点ですね」
アルトは少しだけ沈黙した後、頷いた。
「ええ。あの方は、帝国を倒すためではなく、帝国と共に生きられるかを見ています」
ギルタルは報告書を置き、帝国側三人へ移った。
「帝国側候補者、まずはミレーユ・カーマイン嬢」
ミレーユの名前が出ると、レグナ・デストが少し口元を緩めた。
「率直な娘だな」
「はい」
ギルタルもわずかに笑う。
「夜会の空気を最初に動かしたのは、ミレーユ嬢でした。本人は意識していませんが、場の緊張を緩める役割を果たしています」
レイラが微笑む。
「本人が素直だからこそ、周囲も少しだけ素顔を出すのでしょうね」
アルトは頷く。
「現場向きです。机上での政治よりも、人が目の前で困っている場面で力を発揮すると思います」
「王妃向きではない?」
レオンハルトが問う。
アルトはすぐには答えなかった。
「今の段階では、足りないものが多いです。ですが、彼女の視点は必要です」
「民を見る目か」
「はい」
アルトは言った。
「帝国の政策は、大きくなるほど現場から遠ざかります。ミレーユ嬢のような視点は、失ってはいけないものです」
次にギルタルはユリアの報告書へ目を落とす。
「ノルトハイン辺境伯家長女、ユリア・ノルトハイン嬢」
「維持と安定だな」
レオンハルトが言う。
「はい」
ギルタルは答える。
「発言は多くありません。ですが、返答は常に長期維持を意識しています。十年後も崩れない方を選ぶ、という発言がありました」
ヴィクトルが頷く。
「北方らしい」
アルトも同意した。
「ユリア嬢は、派手に場を動かすタイプではありません。ですが、崩れかけた場を支える力があります」
レイラが少しだけ首を傾げる。
「ただ、王妃としては少し控えめかしら」
「そこが課題です」
アルトは言った。
「支える力はあります。ですが、必要な時に前へ出られるかは、まだ見えていません」
そして最後に、ギルタルは一枚の報告書を置いた。
「ラインハルト公爵家長女、エルシア・ラインハルト嬢」
会議室の空気がわずかに変わった。
エドガー・ラインハルトは表情を変えない。
だが、娘の評価が始まる以上、完全に無関心ではいられない。
ギルタルは淡々と読み上げる。
「夜会中、候補者同士の会話が止まった場面で、飲み物を頼む形で自然に場を動かしました。以後、候補者同士の会話が衝突しすぎないよう、複数回流れを調整しています」
レオンハルトが短く言う。
「場を整えたか」
「はい」
ギルタルは頷く。
「目立ちすぎず、しかし場を止めない。発言も必要な時に絞っています」
アルトは静かに続けた。
「一番評価すべきは、リベナ殿下の問いへの答えです」
レイラが報告書に目を落とす。
「自国と帝国の利害がぶつかった時、どちらを優先するか」
「はい」
アルトは頷いた。
「エルシア嬢は、帝国とも自国とも答えなかった。私が何を守ろうとしているかを見る、と答えました」
エドガーの目がわずかに動く。
アルトは続ける。
「そして、必要であれば私に異を唱える覚悟が必要だとも言いました」
会議室に沈黙が落ちた。
皇太子の前ではない。
だが、これは重い言葉だ。
帝国貴族の娘が、皇太子に異を唱える覚悟を口にした。
レオンハルトがゆっくりと笑う。
「面白い」
エドガーは静かに頭を下げた。
「娘が不敬を」
「不敬ではない」
レオンハルトは即座に言った。
「王妃がただ従うだけなら、置物でよい」
レイラが隣で苦笑する。
「陛下、それは少し言い方が悪いですよ」
「事実だ」
レオンハルトは平然と返す。
そしてアルトを見る。
「お前はどう見る」
アルトは報告書から目を離し、静かに答えた。
「エルシア嬢は、現時点では最も王妃に近い能力を持っています」
その言葉に、室内の空気がわずかに動いた。
だがアルトは続ける。
「ただし、まだ足りません」
エドガーの眉がわずかに動く。
「何が足りないと?」
「外から見た帝国です」
アルトは答えた。
「彼女は帝国をよく知っています。制度も、礼法も、貴族社会も理解している。ですが、それは内側の理解です」
一拍。
「各国が帝国をどう恐れているのか。帝国の強さが外からどう見えるのか。それをまだ十分には知りません」
レイラが静かに頷いた。
「ですが、知ろうとしている」
「はい」
アルトは少しだけ表情を緩めた。
「そこが重要です」
レオンハルトは満足そうに息を吐いた。
「なるほどな」
会議室に、しばらく沈黙が落ちた。
候補者たちは全員、凡庸ではない。
誰を選んでも、ただの婚約では終わらない。
どの選択にも、帝国と各国の未来が絡む。
その沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。
「ところで」
あまりにも自然な声だった。
だからこそ、全員が少し遅れて反応した。
レオンハルトはレイラの方を見て、そして何でもないことのように言った。
「レイラが身ごもった」




