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【SS追加!】私が倒れても、幼馴染が大事ですか  作者: 九葉(くずは)


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2/15

第2話

 手紙を出したその日の午後、アドリアンは約束どおり屋敷を訪ねてきた。


 面会は、トマスを通してはっきりと断った。


『父が領地より戻るまで、お目にかかることはできません』


 そう伝えると、彼はひどく不審そうな顔をしたものの、それ以上は何も聞かずに帰っていったという。


 私が一日休めば元どおりになって、いつものように笑顔で出迎える。そう疑いもしていなかったのだろう。


 翌日の夕方、父が王都邸へ戻った。


 婚約解消の話し合いを開いたのは、さらにその翌朝のことだ。


 応接室の長椅子で、父は私の手を取り、顔色を確かめてから長く息を吐いた。


「手紙を読んだときは肝が冷えたぞ。トマスとエマからも、あの夜のことは聞いた」


 低い声に、押し殺した怒りがにじんでいた。


「お前の決めたことに異存はない。病の婚約者を放り出して、使用人まで遠ざけていくような男に、娘はやれん」


「ありがとうございます、お父様」


 喉にはまだ熱っぽさが残り、声は掠れている。それでも、言葉は淀みなく出てくる。


「ただ、ファルク家とは角を立てずに終わらせたいのです。大事にして噂になるのは、私も望みません」


「分かっている。貴族院には『双方の合意による解消』として届け出る。違約金は求めず、いただいた結納の品もすべて返す。それなら向こうの体面も保てる」


 父はそこで、机の上の書類の束に指を置いた。


「ただし、婚約を前提に結んだ取り決めは、すべて元に戻させてもらう。そこは譲らん」


 呼び出しておいたアドリアンが応接室に通されたのは、父が書類を揃え終えたのとほとんど同時だった。


 私と父が並んで座っているのを見て、彼の眉がわずかに寄る。


「ハイツ男爵、急にお戻りになったのですね。エレオノーラ、もう起きて大丈夫なのかい? 君のことだから、いつものように一日で良くなったんだろうけれど」


「お掛けください、アドリアン殿」


 父の硬い声に、アドリアンは怪訝そうな顔で正面の椅子に腰を下ろした。


 父は挨拶を省き、書類を彼の前へ滑らせる。


「単刀直入に申し上げます。当家は、貴殿とエレオノーラとの婚約を、本日付で解消いたしたく存じます」


 アドリアンは言葉の意味が分からないというように瞬きをし、それから呆れたように笑った。


「婚約解消、ですか? まさか。ご冗談でしょう。あの夜の行き違いなら、僕からきちんと説明します」


 彼は身を乗り出し、私に向かって宥めるように両手を広げた。


「エレオノーラ、怒っているのかい? あの夜、途中で帰ったのは悪かったと思っているよ。でも言っただろう、リーゼが本当にひどい発作を起こしていたんだ。僕が駆けつけたとき、あの子は息ができずに倒れていて、医者もまだ来ていなかった。僕がいなければどうなっていたか。君だって、あの子の持病の重さは知っているはずだ」


 私は膝の上で指を組み、彼の目を見返す。


 リーゼの病気を持ち出せば、私がいつものように「それなら仕方ありませんね」と引き下がると思っている顔だった。


「アドリアン様。私は、リーゼ様のご病気を疑ってはいません」


 掠れた声でも、言葉ははっきりと響く。


「けれど、それは私を置いていっていい理由にはなりません。あの夜、私は熱で起き上がれず、水も飲めないとあなたに申し上げました」


「それは、君が少し大袈裟に言っているのだと……」


「大袈裟ではありません。私は枕元の呼び鈴さえ掴めず、床を這って拾い上げて、ようやく人を呼べたのです」


 アドリアンの喉仏が、小さく上下した。


「それに、あなたはお帰りの際、私はもう眠ったから朝まで部屋に入るなと、使用人に言い置いていかれましたね」


「それは、君を静かに休ませてあげようと……」


「おかげで、私が鈴を鳴らすまで、誰も来ませんでした」


 彼の口が、開いたまま止まった。


「リーゼ様のもとへ行くと決めたのなら、それでも構いませんでした。せめて誰か一人に、私を頼むと言ってくださればよかった。あなたは反対に、誰も来ないようにして出ていかれたのです」


「僕を責めるのかい? 僕は人の命を助けに行ったんだぞ!」


「責めてはいません。苦しんでいる私を置いていける方を、生涯の伴侶として信じることは、もうできないと申し上げているのです」


 一度だけ、息を整える。


「私は、誰かの二番目でいるために結婚するのではありません」


 アドリアンは口元を歪め、黙り込んだ。


 まだ何か言い募ろうとする彼を、父の低い声が制した。


「当夜のことは、我が家の使用人と往診の医師が詳しく書き留めております。貴族院に不誠実の申し立てをすることもできますが、双方が傷を負うだけでしょう。違約金は求めません。結納の品も本日中にお返しします。円満な解消として処理するのが、ファルク家にとっても賢明かと」


 アドリアンの顔から、血の気が引いていった。


 彼にも、計算はできるのだ。


 この件が表に出れば、社交界で「熱を出した婚約者を放り出して、よその令嬢のもとへ走った男」と噂される。金も体面も失わずに済むのなら、ここで争うのは得策ではない。


 それに、彼の目にはまだ驕りが残っていた。少し頭を冷やせば、エレオノーラのほうが後悔して戻ってくる。そう高を括っている目だった。


「ファルク子爵はご領地においでだと伺いました。王都でのことは、貴殿に任されていると」


「ええ。王都の家のことは、僕が預かっています」


「では、貴殿の署名で結構です」


 父は書類の束の、三枚目の端を指で叩く。


「なお、ここに記してあります。三年前に当家がファルク子爵領の堤の修繕に用立てた資金は、ご婚姻をもって返済に代えるというお約束でした。婚約が解消される以上、元の証文どおり、来年の春から返済をお願いすることになります。必ず、お目通しを」


「分かりました。そこまで頑なにおっしゃるのでしたら、もう申し上げることはありません」


 アドリアンは不服そうに唇を引き結び、乱暴な手つきでペンを走らせた。


 三枚目は、めくりもしなかった。


 続いて私も、自分の名を書く。手は震えなかった。


 最後に、左手の薬指から指輪を外す。


 二年間はめていた細工の指輪を、机の上にそっと置いた。


「これまで、ありがとうございました。どうぞお元気で」


 アドリアンは指輪をポケットにねじ込むと、父に浅く一礼し、一度も私を見ずに応接室を出ていった。


 扉が閉まると、部屋の空気がふっと軽くなった。


「よく言った、エレオノーラ」


 父の手が肩に置かれる。その重みに、張り詰めていたものが少しずつほどけていった。


「だが、無理をしたな。顔色がひどく青い。医者とも相談したが、王都の埃っぽい空気を離れて、しばらく静養したほうがいい」


「静養、ですか」


「風渡り丘陵に保養院がある。空気の澄んだ高台で、薬湯の調合に長けた薬師もいるそうだ。費用はすべて私が持つ。お前は、体を元に戻すことだけを考えなさい」


 父の厚意を受けることに、迷いはなかった。


 今の私に要るのは、意地を張って一人で立つことではない。損なわれた体を、きちんと治すことだ。


 それから一週間、王都邸の自室で過ごした。


 エマの作る消化のいいスープを口にし、庭を眺めながら、少しずつ歩く距離を伸ばす。強い熱は引いたものの、深く息を吸うと喉がちりちりと痛み、少し長く歩けば足元がふらついた。病み上がりの体は、思っていたよりずっと弱っている。


 出発の前の晩、荷物の隅に、あの夜の真鍮の呼び鈴を布にくるんで入れた。


 秋風が庭の木々を黄色く染め始めた頃、私は父の手配した箱馬車に乗り込んだ。


 見送りのトマスに手を振り、付き添いのエマと二人で王都の門を出る。


 石畳はやがて土の街道に変わり、窓の外も、灰色の街並みから牧草地と青い山並みへ移っていく。胸に溜まっていた重たいものが、少しずつ風に溶けていくようだった。


 二日半の旅の末に、馬車は丘陵の斜面に建つ白壁の建物の前で止まった。


 風渡り保養院。


 馬車を降りると、ひやりと澄んだ空気が頬を撫でた。王都より季節が半歩早いのか、周りの木々はもう赤く色づいている。


 深く息を吸い込んだ途端、乾いた喉が刺激されて、小さく咳き込んでしまった。


「深く吸うな」


 低く、抑揚の少ない声が頭上から降ってきた。


「その喉に、ここの空気はまだ冷たい」


 顔を上げると、玄関脇の離れの前に、一人の青年が立っていた。小さな煙突から細い煙が上がっている。調剤所らしい。


 飾り気のない灰色の作業着に、麻の前掛け。背が高く、肩幅も広い。顔立ちは整っているのに、眉間に深い皺が刻まれているせいで、ひどく険しく見えた。


「本日からご滞在の、エレオノーラ・ハイツ様ですね。薬師のクラウス・ゼルナーです」


 短く名乗ると、彼は私の返事を待たずに歩み寄ってきた。私の顔色と、浅い呼吸と、乾いた唇を順に見る。


「紹介状は拝見した。長旅で疲れただろう。荷は管理人に任せて、まずこちらへ。声は出さなくていい」


 促されるまま調剤所に入ると、乾いた草木の渋い香りが部屋いっぱいに立ち込めていた。


 クラウスは薬缶の湯を陶器の碗に注ぎ、棚から取った赤黒い干し草を指先で揉み崩して落とした。立ちのぼる湯気に、温かい香りが混じる。


「飲まなくていい。顔を近づけて、湯気を鼻からゆっくり吸え。喉の乾燥が和らぐ」


 言われたとおりに湯気を吸うと、ちりちりと痛んでいた喉の奥が、少しずつ湿り気を帯びて緩んでいった。


 世間話も、愛想笑いもない。


 目の前の不調だけを正確に拾い上げて、要る手当てだけを差し出してくる。その無骨な指先から、私は湯気越しに目を離せなかった。

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― 新着の感想 ―
>「本日からご滞在の、エレオノーラ・ハイツ様ですね。薬師のクラウス・ゼルナーです」 ここだけ敬語なのでキャラがぶれてる気がする。 敬語に慣れてない描写加えるか、いっそここも敬語使わないキャラっぽい。
男キャラの設定が酷すぎるのでは… 婚約者が性格クソの支配者タイプでわざと水を飲ませなかったまでは分かるけど、他家の使用人に嘘をついてまで病人の部屋に行かせないようにするのはさすがに意味不明。それだけ…
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