05
しばらくして。
死神が腕の力を緩めると、彼女は涙でグシャグシャになった顔をそろりと上げた。その涙を指で拭ってやる。
「今すぐここを出て今夜中に王都を離れよう。荷物は最小限に───持っていけるのは手鞄1つ分だけだ」
「荷物はないです。神殿に入ったときも身ひとつでしたし」
10年も神殿にいたというのに、持って行くもの持って行きたいものもないとは。彼女は本当に搾取され続ける側だったらしい。
死神が言葉を継げないでいると。
彼女は死神の顔をジーッと見つめていた。
「なんだよ?」
「あの、聖騎士に死神さんの血縁の方がいらっしゃいませんか? 何度かお見かけして容姿も似てるし年頃も同じくらいだからもしかしたら御兄弟かなと思ってたんですけど」
「あー⋯⋯、それ俺の双子の兄貴だわ」
「やっぱり。会っていかなくていいんですか?」
10年前の成人の儀で〝聖騎士〟を賜った兄、そして〝暗殺者〟を賜った死神。
生きる世界が全く異なってしまってから、1度も会っていないが───
「兄貴はきっと大丈夫だ。それより親のほうが心配だな。任務で死んだら親のところに見舞金がいくけど、裏切ったってバレたら───」
この国では、連座という罪を犯した本人だけでなく、その家族などに刑罰を及ぼすという考えはないとされている。しかしそれは建前であり、死神のような暗殺という特殊な任務に就いている場合はどうなるかわからない、人質という手段を取られる可能性だってある。
彼女の顔から血の気が引いていく。死神と一緒に生きたいと願えば、彼の両親に取り返しのつかない不幸を与えることになってしまうかもしれない。
彼女は小さく溜め息をつくと、死神の腕の外に出た。
恋した人に抱きしめてもらった。それで充分幸せだ。これ以上望めば罰が当たる。
「あの、私───」
「諦らめんな馬鹿。何か方法はある」
何を言うか予想ができる彼女の言葉を遮り、死神はもう1度彼女を抱き寄せた。しかし思い付く手段はない。
どうしたものかとこちらも溜め息をつくと。
「一か八かなら⋯⋯大聖女様のところに行ってみませんか?」
「はぁ? そんな危険なこと───」
「大聖女様ならきっと私たちの味方になってくれる」
彼女の真っ直ぐな視線に負けて死神は頭をポリポリと掻き、今日もう何度目になるかの溜め息をついた。
確かに全く答えが出ない。それなら多少危険かもしれないが、行動に出るのもひとつの手だ。
「わかった、お前に任せる」
彼女はひとつ頷くと死神の腕から抜け出し、うつ伏せになるとズリズリと匍匐前進を始めた。
「おいおい、何やってんだよ?」
「大聖女様のところへ行くんです」
彼女はそのままボロボロのベッドの下へ潜っていき、その次の瞬間、彼女は壁の中に姿を消した。
死神は慌ててベッドの下を覗く。そこには人1人が通れるくらいの穴がぽっかりと開いていた。
「隠し通路か」
「最初は狭いんですけど、少し進むと立てるくらいになります」
奥から彼女の声がする。
狭い通路で戦闘になった場合、逃げ場所がなければ死は免れないが───しかし何を選んでも死ぬ可能性があるならもう行くしかないだろう。
死神は腹を括ってベッドの下に潜り込んだ。
「〝光よ〟」
彼女が呟けば、真っ暗な空間に淡い光が灯る。
成人している男が通るにはかなり狭い横通路を這って進み、しばらくすると彼女が言ったとおり少し屈んでなら立てるくらいの空間になった。横幅は1人分、すれ違うのは難しそうだ。
彼女は迷いない足でその狭い通路を先に進む。
「懲罰房はいくつもあるんですけど、あそこが1番古くて使われてなかったそうなんです。だけど3年前に〝本物の聖女様〟が現れて、私の部屋をどうするかって話になったとき。大聖女様が私にはあの懲罰房がお似合いだって。〝役立たずの小娘はネズミのごとく這いずり回ればいい〟と」
「酷い言われようだ」
「はい。でも言われた通り這いずり回ったらあの穴を見つけて───」
行き止まりになった。
彼女が光を消すと、2人の足元、壁の向こう側から微かに明かりが漏れている。そこを押せばカコンと壁が外れた。再び這って外に出てみれば。
澄んだ空気、広く美しい装飾が施された部屋。その中央、天蓋付きのベッドに横たわるのは。
「大聖女様」
若いときは才色兼備と謳われていたというが、今は90年分の皺をその身体に刻み、痩せ細った姿の老婆───大聖女がうっすらとその目を開けた。その目はどこかぼんやりしていて、生命力に乏しい。死期が近いと噂されているが、それは本当のことなのかもしれない。
「リリィか⋯⋯こんな夜更けに男を連れてくるとは。それもとびきり物騒な男だ」
彼女と一緒に死神も大聖女に近付こうとしていたが、そう言われてその場でピタリと止まった。両手を上げて害意がないことをアピールする。
「この部屋の結界は害悪もたらすものを通さない。それをすり抜けて来るのだから、お主が悪者でないのはわかっておる。しかし一応、得物は預からせてもらうよ」
大聖女がベッドから1歩も動くことなく指だけを動かせば、死神がその身に仕込んでいた暗器───短剣や小型の弓矢、苦無等々が大聖女のベッド脇へと回収された。
「暗部の犬か」
「大聖女様」
「いいよ、気にすんな」
蔑むような言い方をする大聖女と、それを諌める彼女、さらにそれを窘める死神と。
「大聖女サマに助けを求めるんだろ。俺が悪く言われることくらい、どうってことない」
死神の言葉に彼女は戸惑いながらもひとつ頷く。大聖女の傍らに寄ると膝をついた。
「大聖女様。私の暗殺指令が出たそうです。でも私はまだ死にたくない。だから逃げようと思います───彼と一緒に」
「⋯⋯そうか」
大聖女は手を伸ばすと彼女の手を握りしめた。
「守ってやれなくて、すまなかった」
絞り出したかのような声からは、嘘など微塵も感じられない。
彼女も大聖女の手を握り返す。
「いいえ、大聖女様に守っていただいていたから、私は飢えずにここまで生きてこれました。毎晩こうやってお部屋に忍び込んで───大聖女様しか食べられないような高級なお肉とか限定のお菓子とかもいただけましたし」
「そなたの食い意地には驚くばかりだった」
なるほど、彼女が虐げられていたわりにはガリガリに痩せ細ってないのは、そういうことか。
「大聖女様とする恋バナとかガールズトークとか楽しかったですし」
「うむ、妾も楽しかったぞ」
だんだんと大聖女の目に生気が宿ってくる。
90歳がする恋バナとかガールズトークとは一体。
2人は楽しそう───いや、ムフフと笑うと顔を寄せ合い。
「まさか大聖女様があんな激しいレディコミだとかBL本をお持ちだなんて⋯⋯でもすごく参考になりました」
「ふっふっふ⋯⋯前世腐女子貴腐人をナメるでないぞ。しかしまだそなたに貸せてない秘蔵本もあったというのに。残念だのぉ」
「えぇっ、そんな───ほとぼり冷めたら借りに来てもいいですか!?」
「それまで妾の命がもてばの話だな。それからそなたが気に入っておった耽美画報の新刊も来週発売だったから楽しみにしておったのに。次から誰に買いに行ってもらえばよいのかのぉ」
「あ゙ぁ〜私も楽しみにしてましたぁ」
死神の知らない単語が何個か混じったが、何故だろう、それが良からぬ言葉ということを魂が理解する。
ある意味不穏な話が続き、死神がこっそり頭を抱えていると。
「して───お主か。リリィが〝記憶を受け継ぐ魂〟となった原因は」
「はぁ?」
いきなり話を振られて、死神は怪訝そうに顔を上げた。
痩せ細って弱々しい身体とは違い、大聖女の眼光は鋭い。少しの嘘偽りも許さない、そして死神の内面全てを見定めるかのようなそれに、背中がゾクリと凍った。
目を逸らしたいのに、それが出来ない。反射的に腰の短剣に手を這わそうとして、全部大聖女が回収していたことを思い出し、内心舌打ちしていると。
ニヤリ、大聖女が可笑しそうに口元を歪めた。
「ほうほう⋯⋯お主もなかなか面白い〝魂〟をしておる。あの方に大層気に入られているようだ」
「あの方?」
「この世界の〝作家〟を名乗る方」
「───創造神のことか?」
この国が唯一の〝神〟として崇める、この世界を創ったという創造神。
死神は信心深いほうではないが、大聖女の〝作家〟という言い方には引っかかるものがある。
しかし今それを議論している場合ではないだろう。
「創造神だか作家だか知らねえが───俺はそんな大層なお方に好かれるようなモンじゃねえよ」
死神が吐き捨てるように言えば、大聖女はそんなことはないとクククと笑った。
「お主には色々な加護が付いておるぞ。だから今まで生きてこられた」
これまでの人生を振り返る。確かに死にそうになったことは1度や2度ではないが。
「加護付いてんだったら、危険な目に遭う前に護ってくれるもんじゃねえの?」
「確かにそうだのう。ま、そういうところもあの方らしいというか」
大聖女は今度は声に出してアハハと笑った。
その隣ではリリィが苦笑いしている。まるで彼女も大聖女のいう〝あの方〟を知っているかのよう。
「お前ら⋯⋯一体何者だ?」
薄気味悪くなってそう問えば、大聖女と彼女は顔を見合わせて。
「〝転生者〟とでも言うのかの?」
「でもそれを言ったら輪廻の中にいる全員が転生者ですよ。〝前世の記憶持ち〟って言ったほうが近くないですか?」
「なるほど───だ、そうだ」
結局死神が期待するような答えはではなかったが、これ以上聞いてもそれ以上の答えは出てこないだろう。
死神は溜め息をついて頭を掻いた。
「わかったよ───いや、あんまわかってねえんだけどまぁいいや。それで俺たちが助かる知恵は貸してくれるんだろうな」
ここへ来たのはそのためだ。
大聖女はひとつ頷く。
「いいだろう。リリィには世話になったからの、助けてやる───と言いたいところだがの。妾が直接リリィを助けることは出来ん。リリィはお主が助けろ。それはお主にしか出来ないことだ」
「俺───?」
どういう意味だ? そう聞く前に手招きをされ、恐る恐る大聖女に近付く。手が届く距離になると、ガシッと頭を掴まれた。
「おわぁ!?」
「ほうほう⋯⋯なるほど。暗部とは魔力紋で契約しておるの。ならばやることは1つ───お主の魔力、全部妾に差し出せ」
「なっ!?」
「大聖女様!」
魔力には魔力紋と呼ばれる、指紋のように一生変わらない、同じ紋を持つ人は存在しない個人特有の生体情報がある。確かに魔力が無くなれば、暗部の魔力紋による探知には引っかからないし、追跡はされ難くなるだろう。
しかし魔力と生命力は体内で複雑に絡み合っている。魔力が枯渇すれば最悪は死、そうでなくても廃人や寝たきりなど、元の健康な身体には戻れないという。
「お主なら大丈夫だ、妾を信じよ」
「でも大聖女様───」
「いいぜ⋯⋯俺の魔力なんかでよければ全部やるよ」
「死神さん!?」
もう不安を隠せない彼女の顔をちらりと見て、死神は再び大聖女に視線を戻す。握られている頭から汗がタラリと垂れた。
「お前が〝大聖女サマなら味方になってくれる〟って言ったんだろ⋯⋯だったら信じてみようじゃねえか」
そうは言ったが死神だって死にたくないし、廃人や寝たきりだってゴメンこうむりたい。しかしこのまま何もしないでは、暗部の追手から逃れる方法もない。
頭を大聖女に掴まれたまま、死神は手探りで彼女の腰を抱き寄せる。彼女もまた彼の背中に腕を回した。
「さぁ、準備はいいかの」
「いつでもいいぜクソババァ」
「クックック⋯⋯威勢の良いガキだの。いいかい、気合いと根性で正気を保て。気を失えば死ぬ───死ぬ気で目を開けていろ」
死なないために死ぬ気になるのかよ、そう突っ込む前に、大聖女の目がクワっと見開いた───ぶわり、魔力が渦を巻く。
「あ⋯⋯? あ、あっ! あ゙ぁ───────!!」
脳みそやら臓物やらを引きずり出されるような得体のしれない感覚に、みっともないとかカッコ悪いとか考える余裕もなく、死神は我慢できずに叫んだ。
「死神さん!?」
「ぅ゙ゎああ゙ぁ──────っ!!」
「ほっほっほ───すごい、すごいぞお主。こんなに濃くて上質な魔力を持っておったとはな。さすが〝作家〟に気に入られておるだけのことはある」
死神から吸い出された魔力は大聖女の魔力に変換され、徐々に大聖女の身体に若く健康的で力強い魔力がみなぎってくる。
しかし今の死神にそれを見る余裕はない、このまま意識を手放してしまったらどんなに楽かと、目を閉じようとした、そのとき。
「ダメっ、死神さん! 私を見て!!」
彼女が死神の両頬を手で挟み、グイッと顔を引き寄せる。死神の目に彼女の悲痛な顔が映った。
「命ある限り私を護ってくれるんでしょ!? こんなところで死んじゃダメです!!」
ボロボロと涙を流す彼女の瞳には、目が虚ろで口から泡を吹く自分の情けない顔が映っている。
彼女と一緒にいたいから、魔力を全部くれてやるって言った、こんなところで死ぬわけにはいかないと、死神はギリリと歯を食いしばる。
「あ゙っ、あっ! あぁあ゙あ゙ぁあ──────っ!!」
死神が吠える。
大聖女は死神の最後の一滴まで魔力を吸い取ると、彼の頭を離す。
力を失った死神の全体重が抱えていた彼女にかかり、2人はドサリと床に崩れ落ちた。
「はあっ、はぁっ、はぁ───」
「死神さん大丈夫ですか!?」
大丈夫なワケない。頭はかち割れそうにガンガン痛み、身体中の関節が潤滑油を失った機械のようにギシギシと軋む。しかし死やら廃人やら寝たきりは免れたらしい。
床に四つん這いになりながら、死神はなんとか首を縦に振る。
その背中を彼女がオロオロとさすっていると。
「死なんだか⋯⋯結構結構」
しわがれた声ではない、腹の底からピンと気を張られるような声。
寝たきりだったはずの大聖女がベッドから立ち上がり、手をグーパーして自身に廻る魔力を確かめている。
そして見るからに若々しく───いや、実際に若くなっている。その顔に無数に深く刻まれていた皺はなくなり、痩せ細っていた身体にはハリがある。
白い薄布のゆったりとしたナイトドレスと相まって、さながら月の女神といったところか。さすが若い頃は〝美貌の大聖女〟と言われていたことはある。
「大聖女様、お姿が⋯⋯」
「妾の全盛期とまではいかんが───四〜五十代の頃と同じくらいかの」
茫然と呟く彼女に、大聖女は満足そうにニヤリと笑う。
「見た目もそれくらいになってやがるぜクソババぁ」
脂汗をかきながら吐き捨てるように死神が言えば、若返った大聖女はそうかそうかと声を出して笑った。
「お主の見た目は変わっていないぞ⋯⋯良かったな。妾の予想ではシワシワの爺さんにでもなるかと思っておったんだがの」
「そんなことなる可能性なんて聞いてねえぞ」
「まぁそうはならんで良かったではないか」
死神は彼女の助けを借りながら、身体を起こす。
大聖女に少しでも一矢報いようと魔力を練ろうとして───練るものが何も無かった。本当に空っぽだ。
「クソッ」
尻もちをつき、荒い息をなんとか落ち着かせようとしていると。
「さて、これでお主の魔力は無くなった。魔力に関しては赤子以下だの───次は死んでもらうぞ」
大聖女はニヤリと片頬で嗤った。
お読みいただきありがとうございました。
完結までもう半分過ぎてます。
前作が長かったので、もう終わるのか!?って感じです。
明日の投稿もよろしくお願いします。




