第5話 改札の猟犬
霧を切り裂いて飛び出してきた「改札の猟犬」に対し、六甲玲奈は驚くほど冷静だった。
鉄平のカウントダウンがゼロになった瞬間、彼女の刀はすでに最も効率的な軌道を描いて振り下ろされていた。
ズバァッ!
青い雷光が暗闇を奔り、猟犬の胴体を真っ二つに両断する。魔物は声も上げられずに霧散した。
息つく暇もなく、背後の霧からさらに二匹の猟犬が同時に跳躍する。
「左からの一匹はスルー。右の一匹を三歩下がって斬れ!」
鉄平の指示がインカムから飛ぶ。
玲奈は躊躇なく左の魔物を無視し、右の魔物へ向かって刀を構え直した。左から跳んだ猟犬は、不思議なことに玲奈のすぐ横をすり抜け、錆びついたレールに爪を引っ掛けて転倒した。まるで最初から彼女がそこにいないと分かっていたかのようなすれ違いだった。
玲奈は右の猟犬の眉間を正確に貫き、すかさず転倒した左の猟犬の核を叩き割った。
わずか十秒足らずの間に、三匹の魔物が消滅した。玲奈の呼吸は全く乱れていない。
配信のコメント欄が、猛烈な勢いで回転し始めた。
「おいおいおい! 今の避けたやつ、なんだ!?」
「まるで見えてるみたいにすれ違ったぞ」
「っていうか、敵の出現タイミングが秒単位で合致してたんだが」
「偶然だろ? 偶然に決まってる」
「いや、でもあのFランクのナビ、声がやけに落ち着いてて不気味なんだが」
鉄平はコメント欄の反応を一瞥し、フッと鼻を鳴らした。
「偶然ではありません。ここはかつての阪和線と大阪環状線を結ぶ連絡通路の合流地点。大崩壊以降も、魔力の流動はかつての「配線規則」に従っています。つまり、魔物の出現パターンは、当時のダイヤと全く同じスジを描いているんです」
鉄平はスマホを操作し、さらに奥のエリアへと視線を向けた。
「次は、かつての急行列車が使用していた通過線跡地に入ります。ここには中ボス級の「警報の監視者」が待ち構えている。……玲奈、そのまま直進しろ。敵が攻撃体勢に入ったら、俺が「制限速度」をかける」
「了解よ、マスター!」
玲奈は刀を構え、力強く走り出した。
コメント欄には、鉄平の専門的な解説に対する疑問と驚きが錯綜していた。その中に、明らかに毛色の違う専門知識を持ったリスナーのコメントが混ざり始める。
「待て……今の「配線規則」って,もしかして魔導架線工学の専門用語か?」
「天王寺駅の地下配線は、大崩壊時の地殻変動で歪んでるはず。それをリアルタイムで計算してるのか!?」
「おい,このナビの男、ただのクビになった事務職じゃねえぞ!」
そんな中、通路の奥から巨大な赤い光が迫ってきた。
「ウゥゥゥン……」
不気味な警報音が鳴り響き、周囲の魔力濃度が跳ね上がる。
「警報の監視者」がその巨体を現した。全身に錆びた遮断機と信号機を纏った、見るからに頑強な金属質の魔物だ。
監視者は玲奈を視認した瞬間、その巨大な三色の信号眼を真っ赤に発光させた。周囲の空間が赤く染まり、玲奈の動きを封じる金縛りの魔力が放射される。
「マスター!」
「焦るな。対象の魔力運行を検知。スキル「遅延制御」、作動」
鉄平がスマホの画面をスワイプすると、彼の周囲から青い光の粒子が立ち上り、レールの跡に沿って監視者へと伸びていった。
キィィィンというブレーキのような音が地下に響く。
その瞬間、赤色の発光による金縛りの魔力波が、まるで泥水の中を進むように極端に減速した。
「なっ、何これ!? 赤信号のブレスが、ほとんど止まって見えるわ!」
玲奈が驚きの声を上げる。
「この区間はかつて、制限速度が時速二十五キロメートルに設定されていた急カーブだ。大地の記憶(龍脈)がそれを覚えている。そこに俺の魔力を同調させれば、敵の攻撃速度をその制限速度以下に「運休(遅延)」させることができる」
鉄平は淡々と説明した。
「はあああ!? 龍脈の記憶を利用した速度制限だと!?」
「そんなのアカデミーの魔導博士レベルの理論だろ!」
「それをFランクが実戦で使ってるのかよ!」
「おいおいおい、このナビマジで何者なんだ!?」
配信スレの鉄オタたちが狂喜乱舞し始める。
「玲奈、遅延時間はあと七秒だ。その間に右側の側線を通り,監視者の真後ろに回り込め。背中の制御盤が弱点だ。一撃で仕留めろ」
「オッケー! 運行開始ね!」
玲奈は赤い光の波を軽々と避けながら、側線のレール跡を疾走した。
彼女の動きは、まるで定時運行の特急列車のようによどみがなかった。
監視者の背後に回り込んだ玲奈は、刀を両手で握り締め、青い雷光を極限まで凝縮させた。
「はあああっ!」
鋭い裂叫とともに、刀が振り下ろされる。
監視者の背中にある制御盤が両断され、大爆発を起こした。赤い光が消え去り、巨大な魔物は黒い塵となって地下の闇へと消えていった。
宙を舞う黒い魔力のチリが消えかけた床に、コロンと赤く輝く「警報魔石」が転がった。玲奈はそれを拾い上げると、額の汗を拭いながら誇らしげにカメラへと見せた。
「見てください、マスターのナビのおかげで、ノーダメージで中ボスを撃破できました!」
配信画面は、もはやスクロールが追いつかないほどの勢いで弾幕が流れていた。
「おいおいおいおい!」
「まじでノーダメじゃん……」
「ディレイ・コントロールってなんだよ、神スキルか?」
「俺たちの遭難姫が、迷子にならずに最短ルートでボスをボコってて草」
「スジ屋ってこんなに有能なのか?」
「あのFランク、実は隠れチートだろ!」
鉄平は画面の絶賛にも表情を変えず、ただ懐からペットボトルを取り出して一口含んだ。
「これで環状線ホームの安全率は八十パーセントまで回復した。だが、魔力を大きく動かしたから、少し待避線(安全地帯)で十分の停車(休憩)を入れる」
そう言って鉄平が指し示したのは、かつての駅売店の残骸だった。二人はその影に腰を下ろす。
「はあ、動いたらまたお腹が空いてきちゃいました」
玲奈がぺこりとお腹をさすりながら、上目遣いで鉄平を見た。
「さっきのたこ焼き、すっごく美味しかったので、もっと他の大阪の美味しいものも食べてみたいです!」
鉄平は軽く笑った。
「そうだな。この天王寺駅の近くには、天狗のマークで有名な老舗の串カツ屋がある。油の切れたサクサクの細かい衣に包まれた牛ロースの串カツや、とろとろに煮込まれた名物の「どて焼き」が絶品んだ。特にどて焼きは、白味噌の甘みと牛すじ肉の脂の旨みが絶妙に溶け合って、七味唐辛子を少し振って食べると白飯が何杯でもいける。もちろん、串カツは秘伝の特製ソースに一度だけドブ漬けして食べるのがルールだが、衣がソースを吸ってジュワッと口の中で広がる瞬間は最高だ」
「う、牛すじの甘味噌煮込み……! ソースにドブ漬けするサクサクの串カツ……!」
玲奈は頭の中でその光景を想像したのか、ごくりと喉を鳴らし、瞳をきらきらと輝かせた。
「マスター、早くこのダンジョンを攻略して、そのお店に行きましょう! 私、どんな魔物でも一撃で切り裂いてみせますから!」
「おいおい、焦って速度超過するなよ。安全運転が第一だ」
鉄平の言葉に、配信コメント欄も「また飯テロかよ!」「どて焼き食いたくなってきた」「玲奈ちゃんが完全に胃袋を掴まれてるの可愛い」「Fランクなのに飯テロスキルまでS級か」と、お祭り騒ぎになっていた。
画面には「安全化完了」のシステムログが流れ、配信の同時視聴者数は一気に五万人を突破していた。




