第6話 環状線防衛戦
天王寺駅地下二階の環状線ホーム跡地をさらに進むにつれ、配信の同時視聴者数は七万人を超え、コメント欄のスクロール速度はさらに加速していた。
「マスター、次はどっち? こっちの青い看板の通路ね!」
玲奈が刀を肩に担ぎ、意気揚々と右側の薄暗い階段へ向かおうとする。
「待て、玲奈。そっちは谷町線の連絡通路だ。案内板の文字が青いのは大崩壊前の地下鉄のカラーリングの名残だが、今はその先が崩落して魔力泥濘の沼地になっている。行くなら左の、御堂筋線方面の通路だ」
「えっ? あ、案内板には「谷町線」って書いてあるけれど、左が正解なの? む、むずかしいわね……。関西の地下街は、東日本よりもはるかに複雑怪奇だわ」
玲奈はばつが悪そうに頬を膨らませ、反対側の通路へと引き返した。
「出た! 玲奈ちゃんのポンコツ方向音痴!」
「案内板読めてるのに逆に行こうとするの草」
「関西の地下街はダンジョン化する前から魔境だからな」
「梅田地下街に比べれば天王寺なんて小規模な方だぞ」
「それを完璧にナビしてる鉄平さん、何者だよマジで」
スレ民たちの反応は、玲奈のポンコツぶりに和みつつも、鉄平の圧倒的な知識量に対する称賛へとシフトし始めていた。
鉄平はスマホの「始発の改札口」のマップを見つめながら、インカムに静かに語りかける。
「梅田の地下街は、大崩壊前は「梅田ダンジョン」と半ば冗談で呼ばれていたが、今は本物の危険度S級ダンジョンだからな。あそこに直感だけで入れば、Sランク探索者だろうと一日で干からびる。それに比べれば、天王寺の配線はまだ整理されている方だ」
「そ、そうなのかしら……。私にはどっちも同じに見えるわ。壁と、錆びついた線路と、魔物の群れだけよ」
「お前はただ、俺の言う指示を信じて走ればいい。……御堂筋線連絡通路、前方から「改札の猟犬」が三匹。右側の壁に沿って走り、二歩目で跳べ。レールの隙間に隠れている魔導トラップを飛び越えるためだ」
「了解よ、マスター!」
玲奈は身を翻し、地下鉄の連絡通路へと飛び込んだ。
彼女の動きには、一切の迷いがなかった。鉄平が「右」と言えば右へ、「跳べ」と言えば跳ぶ。その信頼の高さは、配信を見ているスレ民たちにもはっきりと伝わっていた。
「なんだこの信頼感……」
「玲奈ちゃん、さっきまであんなにツンツンしてたのに、今じゃ完全にマスターの犬じゃん(羨ましい)」
「バディとしての相性が良すぎる」
「戦闘能力特化のポンコツ美少女と、戦闘能力ゼロの神ナビの組み合わせ、てぇてぇ……」
「っていうか、さっきのトラップの位置、地面のひび割れにしか見えないのに、なんで鉄平には分かったんだ?」
コメント欄に、再び専門的な考察が書き込まれる。
「大崩壊前の天王寺駅の配線図と、地下鉄の配管図を重ね合わせて、魔力の「漏出ポイント」を逆算してるんだよ。この鉄平って男、ただの鉄オタじゃない。かつてのJR西日本で、本当に運行管理の基幹システムを触ってたプロ中のプロだ」
「そんな有能な人材をクビにするなんて、大阪総本部の幹部は頭がイカれてるのか?」
「ダイヤ調整課は元々地味な部署だからな。戦闘力しか見ない無能な役員が追い出したんだろう」
スレ民たちの間で、ギルドに対する批判と、鉄平に対する再評価の波が急速に広がっていた。
しかし、鉄平の心境は至ってシンプルだった。
(ギルドでの評価なんてどうでもいい。俺はただ、大地のレールが正しく繋がれ、列車が定時で走るべき場所に走る。その美しさを取り戻したいだけだ)
鉄平にとって、線路は日本の血管だった。血管が詰まれば、国が死ぬ。それを防ぐのが、スジ屋としてのプライドだった。
「玲奈、次の角を曲がると、かつての御堂筋線ホームの跡地に出る。そこがこのエリアの終着点だ。そこにいるエリアボスを倒せば、天王寺駅地下の安全化は完了する」
「いよいよラストね。私の剣で、一瞬で片付けてあげるわ!」
玲奈は刀の柄を握り直し、青い瞳に強い闘志を宿した。
だが、その青い瞳の奥に、鉄平はかすかな揺らぎを見逃さなかった。玲奈の手元がわずかに震え、呼吸がこれまでより数パーセント浅くなっている。Sランクとはいえ、かつて東日本ギルドの壊滅を目撃し、自身も命からがら逃げてきたのだ。大きな戦いを前にすれば、当時の記憶がトラウマとなって蘇るのも無理はなかった。
「……一旦止まれ、玲奈。信号はまだ赤だ」
「え? 切にここから一気に突入した方が不意を突けるんじゃ……」
「焦るな。ボス戦の前には、定時運行のための時間調整が必要だ。それに、そんなに体を強張らせていたら、いざという時にブレーキが利かなくなる」
鉄平はそう言うと、持っていたリュックから小さな水筒と、紙に包まれた一口サイズのおにぎりを取り出した。
「ほら、戦う前にこれを一つ口に入れておけ。俺特製のご当地駅弁風おむすびだ」
「おむすび……? でも、こんな緊迫した状況で……」
「いいから食べろ。飯を疎かにするやつは、いいスジが引けない。これは、かつて関西の駅弁で愛された味を再現したものだ。出汁で炊き込んだご飯に、細かく刻んだタコの甘露煮と、味の染みた山椒の葉を混ぜ込んである」
玲奈は躊躇しつつも、おむすびを一口かじった。
その瞬間、出汁の奥深い旨みと、甘辛く煮詰められたタコの凝縮された風味が口いっぱいに広がった。さらに後味としてピリリと引き締まる山椒の爽やかな香りが、鼻腔を抜けて疲れた神経を心地よく刺激する。
「冷めているのに、お米の一つ一つがふっくらしていて……山椒のピリッとした辛みが、お出汁の甘さを引き立てていて、すごく美味しいです……!」
一口ごとに玲奈の頬に赤みが戻り、肩の力がすっと抜けていく。
配信コメント欄も一斉に反応した。
「うわああボスの前で極上の飯テロ始まった!」
「タコ飯おむすび美味そうすぎるだろ!」
「山椒がいい仕事してるやつだ、間違いない」
「玲奈ちゃんの緊張をほぐすための時間調整だったのか……鉄平さん優しすぎる」
「Fランクの介護能力高すぎだろ、プロポーズしたい」
「そこは玲奈ちゃんのだから割り込むな」
鉄平はコメントを見ずに玲奈のバイタルデータをスマホで確認した。心拍数、血中魔力濃度、ともに完璧な緑信号を示している。
「よし。心拍数安定、魔力圧同期完了だ。信号、青。……運行を開始する」
「ええ! 体も心も、すごく軽くなったわ。行ってきます、マスター!」
玲奈は日本刀を抜き放ち、力強く踏み出した。
「ああ。だが、ボスの「|踏切の怪人《クロッシング_デーモン》」はこれまでの雑魚とは違う。範囲攻撃の金縛り(警報音)を持っている。俺のナビのタイミングに、完璧に合わせて動いてくれ」
「ええ、もちろんよ。あなたの指示通りに動くわ、マスター」
二人は、魔力の霧が最も濃く渦巻く、巨大なプラットホーム跡地へと足を踏み入れた。




