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第30.5話 指令室の狂騒曲

 第二の首都となった大阪、中之島の一角にそびえ立つ重厚な石造りのビル。その地下深くには、西日本全域の魔導鉄路を統括する心臓部、探索者ギルド総本部「ARCHESアーチス中央指令室」が存在する。

 天井まで届く巨大な円弧状のマルチモニターには、近畿圏を中心に張り巡らされた魔導レールの稼働状況が、無数の青い光のラインとなって映し出されていた。かつて大崩壊によって一度は闇に沈んだ西日本のインフラが、いまや奇跡的な精度で息づいている。

 だが、その張り詰めた静寂は、突如として鳴り響いたけたたましい警告音によって破られた。


「アラート! 山陰エリア、木次線セクションにおいて大規模な龍脈の変動を感知! 魔力濃度の急激な低下を確認しました!」

「なんだと!? 木次線といえば危険度SSSの超高濃度魔境ダンジョンのはずだぞ。龍脈が動くわけがない!」


 コンソールに向かう若き指令員たちの間に、一気に動揺が広がった。

 大崩壊以降、島根と広島を繋ぐ中国山地の奥深くに敷かれた木次線は、完全に放棄された死の路線だった。並行する道路は消滅し、立ち入ることすら不可能なはずのその領域で、今まさに何かが起きている。


「待ってください! 木次線全区間のステータスが更新されます。赤から……青へ! 安全化シールドの展開を確認! レイラインが再起動しています!」

「馬鹿な……! 誰があそこに入ったんだ? ギルドは攻略部隊を派遣していないはずだ!」


 その混乱を切り裂くように、鋭い革靴の音が指令室の金属床を叩いた。

 現れたのは、高級な仕立ての防人スーツを身にまとった男――査定部課長、黒崎拓馬だった。ねっとりとした脂汗を額に浮かべ、血走った目でマルチモニターを凝視している。


「おい、どういうことだ! 木次線の安全化だと!? あそこは数ヶ月以内に廃線手続きを取り、山陰を見捨てる方向で話が進んでいたはずだ! どこのどいつが勝手なことをしている!」

「か、課長! 発信元は……本日、極秘裏に現地調査を委託されていた臨時アドバイザーの八雲鉄平と、六甲玲奈の二名です!」

「八雲……!? あのFランクのスジ屋崩れだと!?」


 黒崎は剥き出しの敵意を隠そうともせず、コンソールを拳で叩いた。

 八雲鉄平。魔導出力測定で最低のFランクを叩き出し、戦闘スキルを一切持たないという理由で、黒崎自身が「ダイヤ調整課の面汚し」として廃駅の調査任務へ追放した男だ。


「そんなはずがあるか! 八雲は戦闘能力ゼロの無能だ! Sランクの六甲を盾にして、どこかの安全エリアに隠れているに決まっている! だいたい、木次線はシャドウ・ラインの停電結界によって魔導通信もARCHESの同期システムも完全にジャミングされていたはずだ。システムが死んでいるのに、どうやってダイヤを組んで列車を動かしたというんだ!」

「それが……木次線の変電所から送られてきた運行データによれば、キハ百二十形が一両、秒単位の狂いもなくスイッチバックと勾配をクリアし、終着の備後落合駅へ到達しています。しかも、ARCHESの同期エラーを回避するため、物理的な「手書きのスジ」で運行した形跡があります」

「手書きだと……?」


 黒崎の顔がみるみるうちに土気色へと変わっていく。

 現代の魔導列車は、国の基幹システムであるARCHESと常時同期し、大地のレイラインから魔力を吸い上げることで運行している。システムが落ちれば、列車はただの鉄くずになる。それを、手書きの運行図表だけで動かすなど、黎明期の神話か、さもなければ狂人の妄想だ。


「その通りだよ、黒崎君」


 背後から響いた重厚な声に、指令室の全員が背筋を伸ばした。

 ゆっくりと歩み出てきたのは、ギルド西日本の総本部長、明石宗一郎だった。かつて「伝説の新快速運転士」として近畿圏の結界を一人で守り抜いた老傑は、その鋭い眼光をマルチモニターに向け、口元に薄い笑みを浮かべていた。


「本部長……! しかし、手書きのダイヤで魔導列車を運行するなど、物理的に不可能です! レイラインの脈動は常に変化しており、システムによるミリ秒単位の演算支援がなければ、エンジンが暴走して脱線します!」

「普通ならそうだな。だが、八雲君の脳内には、西日本すべての配線図と、大地の龍脈の「時刻表」が最初から刻まれているんだ。彼は、大地の魔力の波を直接五感で捉え、レールの振動だけで最適解を導き出すことができる。システムが使えないなら、自分の手で紙にスジを引けばいい。彼はただ、スジ屋としての当たり前の仕事をしただけさ」

「そんな馬鹿な……そんな怪物が、我がギルドのFランクにいるはずが……!」


 黒崎の膝が小刻みに震え始めた。

 もし八雲鉄平の功績が本物であり、放置されていたローカル線を復旧させ、山陰の結界を繋ぎ直したとなれば、彼を「無能」として追放した査定部の判断は致命的な失策となる。それどころか、ローカル線を切り捨てて保身を図ろうとしていた上層部の立場すら危うくなる。


「信じられないなら、これを見るといい」


 指令室の自動ドアが開き、一人の男が入ってきた。

 肩幅の広い体躯に、特急サンダーバードを模した青と白のスタイリッシュな魔導アーマー。ギルド公認のエリート探索者チーム「ブルー・ライナーズ」のリーダー、速水蓮だった。

 彼の表情には、普段の傲岸不遜な影は一切なく、ただ純粋な衝撃と、隠しきれない興奮が宿っていた。


「速水君? 君は京都線のデッドセクション以降、休養中のはずでは……」

「じっとしていられるわけがないでしょう。山陰の結界が再起動したと聞いて、飛び起きてきました」


 速水は黒崎の脇を通り抜け、コンソールに歩み寄ると、自分の情報端末を接続した。画面に表示されたのは、木次線の変電所経由で回収された、ぐしゃぐしゃのメモ用紙の画像だった。

 そこには、細い鉛筆の線で引かれた、無数の斜め線――ダイヤグラム(運行図表)が描かれていた。


「これを見てください。これが、八雲鉄平が木次線で引いた「手書きのスジ」です」


 速水は画像を指で拡大し、熱を帯びた声で語り始めた。


「木次線は急勾配と急カーブが連続し、さらに三段式のスイッチバックが存在する。大地の龍脈は、その高低差によって三段階の砂時計のように魔力が反転し、渦を巻いているんです。僕たちブルー・ライナーズの最新鋭アーマーと、ARCHESのサポートがあっても、この魔力の渦に突入すれば数秒で制御を失い、谷底へ落とされる。だが、彼はこのダイヤで、大気中の魔力密度の周期的な隙間を見事に突いている。列車の速度をあえて時速四十キロに落とし、慣性で突入させ、魔力反転の瞬間にエンジンの出力をゼロにする……。この、ミリ秒単位の「運休」と「遅延」の組み合わせによって、魔力の暴走を完全にいなしているんです」


 指令室のスタッフたちが、速水の解説を聞いて息を呑んだ。


「さらに見てください、この備後落合駅の手前。シャドウ・ラインの変電魔導士による停電結界に対し、彼は「手書きの紙」でエンジンの同期を物理的に上書きしている。システムが拒絶するなら、大地の脈動そのものを列車の心臓に直接流し込む。……狂っていますよ。これは人間が頭の中で組めるレベルのダイヤじゃない」


 速水は端末を閉じ、深くため息をついた。その瞳には、鉄平に対する圧倒的な畏敬の念が揺らめいていた。


「僕はかつて、あいつを「裏方の鉄オタ」と見下していた。だが、間違っていたのは僕の方だ。僕たちがどれだけ強力な武器を持ち、華々しく戦おうとも、あいつがレールを繋ぎ、スジを通さなければ、僕たちは走ることすらできない。八雲鉄平は……ただのスジ屋じゃない。すべての鉄路を支配する、本物の「神」だ」


 エリート探索者の口から放たれたその言葉は、指令室全体に重い沈黙をもたらした。

 誰もが、かつて自分たちが嘲笑った「最弱のFランク」が、西日本の、いや日本全体の運命を握る存在になりつつあることを確信していた。


「素晴らしい分析だ、速水君」


 本部長の明石が、静かに手を叩いた。


「木次線が繋がったことで、山陰エリアの龍脈は活性化し、近畿圏を脅かしていた赤い澱みは急速に退いている。これより、八雲アドバイザーの社会的地位とセキュリティランクを暫定的に引き上げる。彼への妨害や、不当な査定は一切認めない。……いいね、黒崎君?」

「は、はい……! もちろんです、本部長……!」


 黒崎は青ざめた顔で頭を下げたが、その瞳の奥には、プライドをズタズタにされた屈辱と、焦燥が濁っていた。


「さて、八雲君たちは備後落合で地元の避難民たちと祝杯を挙げているようだが……」


 明石はモニターに映る木次線の青いラインを見つめ、静かに呟いた。


「彼らの前には、さらなる難所が待ち受けている。シャドウ・ラインの四天王「信号無視シグナル・レッド」が、すでに動き出しているという情報もある。速水君、ブルー・ライナーズの再整備を急いでくれ。彼らのダイヤを支えるのが、我々の義務だ」

「了解しています。いつでも走れるようにしておきますよ」


 速水は不敵に笑み、指令室を後にした。

 木次線の復旧という奇跡は、大阪のギルド上層部を揺るがし、鉄平の存在を「無視できない救世主」へと押し上げていた。変革の歯車は、凄まじい速度で回り始めている。


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