第30.6話 奥出雲の復興グルメ
パチパチと、炭火が弾ける心地よい音が、夕暮れ時の冷涼な奥出雲の空気に溶けていく。
木次線の終着駅、備後落合。かつては深い暗闇と不気味な魔霧に閉ざされ、息を潜めて生きる限界の地だったその場所は、いまや驚くべき熱気に包まれていた。
駅のホームを覆う青い魔導結界の内側には、避難民たちの手によって簡易的な木造の家屋やテントが立ち並び、新しい街「備後落合ニュータウン」としての産声を上げていた。
「よし、いい焼き色だ。タレをもう一くぐりさせるか」
新しくできた市場の一角。炭火焼の屋台で団扇をパタパタと仰ぎながら、店主の源さんは皺だらけの顔を綻ばせていた。
源さんは大崩壊前、米子の温泉街で焼き鳥屋を営んでいた料理人だ。大崩壊によってすべてを失い、この山奥の避難民キャンプへ逃げ延びてからは、カビ臭い乾燥保存食や、配給の冷え切った缶詰を噛み締めるだけの日々を送っていた。生きるための食事であり、そこに喜びなど微塵もなかった。
だが、その地獄のような日常は、わずか数日前に終わりを告げた。
あのFランクのスジ屋――八雲鉄平が木次線を復旧させ、安全な魔導列車を走らせたのだ。
「まさか、本当に汽車が走るようになるとはなぁ……」
源さんは、線路の先を見つめた。
今では一日に数往復、キハ百二十形がエンジン音を響かせて山を下り、山陰の新鮮な食材を山積みにしたコンテナを運んでくる。物流の復活。それこそが、この孤立していた街に命の血流を流し込んだのだ。
今日、列車から下ろされたのは、源さんの故郷の名産である「大山鶏」だった。名峰・大山の清らかな水と澄んだ空気の中で育ち、引き締まった身と良質な脂を持つ極上の銘柄鶏だ。
ジュー、とタレが炭に滴り、香ばしい煙が周囲に立ち込める。
醤油、みりん、そして隠し味に地元の銘酒を注ぎ込んでじっくりと煮詰めた、源さん秘伝の甘辛いタレ。それが炭火で焦げる匂いは、市場を行き交う避難民たちの鼻腔を容赦なく刺激した。
「源さん! 今日もいい匂いさせてるね!」
「大山鶏の炭火焼き鳥丼、二つ頼むよ!」
「あいよ、今焼き上がるからちょっと待ってな!」
行列を作る人々は、誰もが笑顔だった。かつての、いつモンスターに襲われるかわからない怯えの表情は消え去り、今日のご飯が美味しいという、人間らしい幸せに満ち溢れている。
そんな賑やかな屋台の端、少し影になった簡易テーブルの席に、こっそりと座る二人組がいた。
一人は、首元にICOCAホルダーをぶら下げた、少し眠たげな目の青年。もう一人は、長いプラチナブロンドの髪を後ろでまとめ、白い魔導アーマーの上着を脱いだ軽装の少女。
このニュータウンの事実上の支配者にして救世主、八雲鉄平と六甲玲奈だった。
「お待たせ、特製の大山鶏焼き鳥丼だ。特にお前さんたちには、一番いい部位をどっさり乗せておいたからね」
源さんがお盆に乗せて差し出したのは、大きめの木製の丼だった。
炊き立ての仁多米のご飯が見えないほどに敷き詰められた、大ぶりの焼き鳥。炭火で皮目がパリッと香ばしく焼き上げられ、肉汁がタレと混ざり合ってキラキラと黄金色に輝いている。その上には、鮮やかな緑色のししとうと、刻んだネギ、そして山陰名物の粉山椒がふわりと振りかけられていた。
「うわあ……! すごいです、お肉がツヤツヤしています!」
玲奈の青い瞳が、星のように輝いた。
彼女は箸を手に取ると、行儀よく両手を合わせる。
「いただきます!」
玲奈は我慢しきれない様子で、大きな焼き鳥をご飯ごとすくい上げ、口いっぱいに頬張った。
その瞬間、彼女の動きが止まった。
「……っ!」
玲奈は両頬を抑え、目を丸くして震えている。
「んんーー! 美味しいです! 皮が驚くほどパリパリで香ばしいのに、お肉を噛んだ瞬間、中に閉じ込められていたジューシーな肉汁が、お口の中で爆発しました! 大山鶏の旨味がすごく濃厚で、タレの甘辛さと山椒のピリッとした爽やかな香りが、さらに肉の甘みを引き立てています!」
玲奈はハフハフと熱いご飯を口に運びながら、嬉しそうに語り続ける。
「ご飯も、タレがしっかり染み込んでいるのに、お米一粒一粒がちゃんともちもちしていて立ち上がっています! タレと鶏の脂を吸ったご飯だけで、何杯でも食べられちゃいそうです!」
「ははは、そうかそうか。たくさん食べな」
源さんは満足そうに頷いた。
鉄平もまた、静かに箸を進めていた。焼き鳥を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。無口な彼だが、その表情がふっと和らぐのを、源さんは見逃さなかった。
「美味いな。肉の繊維の奥まで炭の香りが乗っている。……それに、力が湧いてくるのを感じる」
鉄平が呟いた通り、大山鶏の焼き鳥丼は、極上の「グルメバフ飯」だった。
食べた瞬間から、二人の身体の表面に薄い青い魔力の膜が展開される。
「バフ検出:筋力(STR)+三十パーセント、俊敏(AGI)+二十パーセント。持続時間:二時間」
玲奈の背負った日本刀「天羽々斬・改」が、彼女の身体に満ちる魔力に反応して、かすかに青白い光を帯びていた。
「これなら、次の攻略も万全ですね、鉄平!」
「ああ。だが、次の新見方面へのルートは、トンネルが多く、龍脈の電圧が不安定なエリアだ。これだけのバフが得られるなら、戦闘員の負担はかなり軽減される。源さん、この焼き鳥丼、ギルドの公式物資として登録させてもらってもいいか?」
「おやおや、俺の料理がかい? そんな大層なものになっちまうとはね。だが、鉄平さんやみんなの役に立つなら、喜んでいくらでも焼くよ」
源さんは豪快に笑った。
かつては、ただ生き延びるために食材を消費していた。だが今では、自分の作った料理が、この街を守る探索者たちの力になり、物流という絆で繋がった山陰の明日を支える力になる。料理人として、これ以上の名誉はなかった。
「源さん、ごちそうさまでした! 本当に、生きててよかったって思える美味しさでした!」
丼をきれいに平らげた玲奈が、満面の笑みで頭を下げる。
鉄平もまた、器を置いて静かに一礼した。
「ごちそうさま。また来ます」
「おう、いつでも待ってるよ。気をつけてな、二人の英雄さん」
二人が夕闇の街へと歩き出すのを見送りながら、源さんは再び団扇を仰ぎ始めた。
鉄路が繋がり、物流が戻る。それは単に電車の走る音が聞こえるということではない。こうして温かいご飯を食べ、笑顔で明日を語り合える日常が戻ってくるということなのだ。
奥出雲の深い夜空に、張り直された魔導結界が星のように優しく瞬いていた。




