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第3話 迷子の相棒

突然の声に、六甲玲奈は驚いて振り返った。

 薄暗い通路の先に立っていたのは、くたびれた防人ジャケットを着た、眠そうな目をした青年だった。その手には、およそ戦闘用とは思えないスマートフォンが握られている。

「誰……!? 一般人? 危ないから下がっていなさい!」

 玲奈は迫り来る魔物を牽制しながら鋭く言った。

「お前の方が危ない。そのまま進むと、あと十歩で「魔力溜まり」に落ちる。そこは敵の無限湧きエリアだ。お前の魔力残量じゃ、あと三分で弾切れになるぞ」

「なっ、なぜ私の魔力量を……!」

「見れば分かる。お前の剣の電光、さっきより電圧が下がってる。……いいから俺の言う通りにしろ。お前をこのダイヤの乱れ(遅延)から救い出してやつてやる」

 鉄平はスマホの画面をタップした。ユニークスキル「始発の改札口(オリジン・ゲート)」が、より深くダンジョンの深層へと同期していく。

 彼の脳内では、天王寺駅の全ポイント切り替え状況と、魔物の出現タイミングが秒単位の「運行スジ」として再構成されていた。

「今から俺がスジを引く。お前はただ、その通りに動けばいい」

「スジ……? 何を言っているの?」

「御託はいい、来るぞ! 三秒後に右側から猟犬が二匹。その場で一歩下がり、刀を横一文字に振れ!」

 鉄平の冷徹な声が響いた。

 玲奈は一瞬躊躇したが、彼の声に宿る奇妙な確信に押され、無意識に足を後ろに引いた。

 直後、彼女が先ほどまでいた空間を、二匹の改札の猟犬が牙を剥いて飛び出してきた。

「えっ!?」

 完璧な予測だった。玲奈は反射的に日本刀を横に一閃した。

青い電光が走り、宙を舞った猟犬たちの首が綺麗に撥ね飛ばされる。手応えは完璧だった。無駄な力は一切使っていない。

「次は五秒後! 前方から来る踏切の兵卒の槍を、右に避けて突きを放て! 速度は時速二十キロメートル、軸をずらすだけでいい!」

「わ、分かったわ!」

玲奈は鉄平の言葉通り、わずかに体を右に傾けた。

シュッ、と風を切る音とともに、兵卒の槍が彼女の肩先をかすめていく。玲奈はそのまま、すれ違いざまに刀を突き出した。刃は兵卒の胸の核を正確に貫き、魔物は黒い塵となって崩れ落ちた。

(すごい……! まるで、敵の動きがすべてあらかじめ決められたスライドを見ているみたいに……!)

玲奈の胸に、驚愕が走った。

彼女は天才剣士として育てられ、敵の予備動作から動きを予測する訓練を積んできた。しかし、この青年のナビゲーションは、予備動作どころか「敵が生まれて動き出す瞬間」からすべてを見越しているかのようだった。

「仕上げだ。あのでかいの――「警報の監視者」が赤信号のブレスを吐く。射程は十メートル。カウントするぞ。三、二、一……今だ、左の退避ポケット(柱の窪み)に飛び込め!」

鉄平の合図と同時に、玲奈は左側のコンクリートの窪みへと滑り込んだ。

その瞬間、彼女が立っていた通路を、真っ赤な魔力の光線が焼き尽くした。熱風が玲奈の白髪を揺らす。もし直撃していれば、全身の魔力運行を止められ、金縛りにあっていただろう。

「ブレスの再装填時間は十五秒。やつは熱を逃がすために排気口を開ける。そこが核だ。今から十秒間、全力でダッシュして一撃で仕留めろ! 走れ!」

「はああああっ!」

玲奈は退避ポケットから飛び出した。

鉄平の指示は、彼女の迷いを完全に消し去っていた。どの通路に進むべきか、どの敵を優先すべきか、すべて彼が示してくれる。

彼女はただ、自身の強みである「圧倒的な速度と破壊力」だけに集中すればよかった。

玲奈は一瞬で距離を詰め、熱を放出する排気口――赤く光る監視者の胸部へ向かって、刀を突き立てた。

新快速一閃(ブルー・レイピッド)!」

青い電光が爆発した。

監視者の巨体が内側から弾け飛び、青い魔力の光となって塵散していく。

静寂が、地下通路に戻ってきた。

玲奈は肩で息をしながら、ゆっくりと刀を鞘に収めた。彼女の周囲には、あれほど群れていた魔物の姿は一匹も残っていない。

鉄平はスマホをポケットにしまい、歩み寄ってきた。

「定時運行、クリアだな。お疲れ」

「あなた……一体、何者なの? ギルドの特級ナビゲーター……? いいえ、彼らでもこれほど精密な指示はできないわ」

玲奈は青い瞳を輝かせ、鉄平を凝視した。

その瞬間、玲奈のお腹からグゥゥゥ……と、かなり大きくて情けない音が鳴り響いた。

玲奈は一瞬で顔を真っ赤にし、両手で自分のお腹を押さえてうつむいた。

「あ、あの、これは……! 魔力を急激に消費したからで、決して私が食いしん坊なわけでは……!」

「わかってるよ。電圧が急降下すれば、人間だって燃料補給が必要だ」

鉄平は苦笑し、防人ジャケットのポケットからもう一つのアルミホイルを取り出した。

「ほら、食うか? まだ温かいぞ。大阪名物のたこ焼きだ。ギルドの近くにある老舗のやつで、生地の出汁が効いててうまいんだ」

ホイルを開けると、閉じ込められていた香ばしいソースと鰹節の香りが、一気に弾けて地下通路に満ちた。

玲奈はゴクリと唾を飲み込み、差し出されたホイルを恐る恐る受け取った。

「たこ焼き……? 東京ではあまり食べる機会がなくて……」

彼女は爪楊枝で丸いたこ焼きを一つ刺し、フーフーと息を吹きかけてから、小さな口を大きく開けて頬張った。

その瞬間、玲奈の目が丸くなった。

「熱っ、あふっ……! でも、美味しい……! 何これ、外側の皮が薄くて香ばしいのに、中は信じられないくらいトロトロで、お出汁の優しい味が口いっぱいに広がるわ! それにこのソースの甘辛さとマヨネーズのコクが、モチモチしたタコの食感と完璧に調和していて……!」

ハフハフと口を動かしながら、玲奈は至福の表情を浮かべた。熱々のたこ焼きが胃に落ちるたびに、すり減っていた彼女の魔力がみるみる回復していく。

「ふふ、気に入ったならよかった。スジを引くのと同じで、具材と焼き加減の比率が完璧なのが名店の証拠だからな」

「比率……! あなた、食べ物のことまでそんな精密に分析しているのね……!」

玲奈は最後の一個を名名残惜しそうに口に運ぶと、熱い吐息を漏らした。その表情には、先ほどまでの警戒心や疲労は微塵も残っていなかった。

「ただのFランク探索者だよ。今日、ダイヤ調整課をクビになったばかりのな」

「Fランク!? そんなはずないわ! 私の動きを完璧に把握し、敵の出現を秒単位で予測するなんて……。あなたは、大地の流れそのものを支配しているようだったわ」

玲奈は一歩前に出ると、鉄平の手を両手でギュッと握りしめた。

「私、東日本から逃げてきてから、こっちの複雑な迷宮にずっと困惑していたの。私の剣は、進むべき軌道があって初めて活きる。……お願い、私を導いて。あなたのことを、私の「マスター(運行管理者)」と呼ばせてちょうだい!」

「マスターって……。いや、俺はただの元スジ屋だし……」

「ダメよ、拒否は認めないわ! こんな素晴らしいナビゲーターを放っておくなんて、西日本のギルドは節穴ね!」

こうして、Fランクの元ダイヤ調整員と、Sランクの方向音痴剣士の、奇妙なバディが誕生したのだった。



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