第2話 廃駅のSランク剣士
天王寺駅の地下ダンジョンは、まるで巨大なコンクリートの蟻の巣だった。
地上へと続く非常階段はすべて赤黒い魔導障壁で閉ざされ、かつて自動改札機が並んでいた場所には、鋭い牙を剥き出しにした魔力の残滓がこびりついている。
鉄平は、暗闇の中で足元に転がっている壊れた案内板を見つめた。
「阪和線・大和路線・地下鉄線はあちら」
掠れた文字の上に、べっとりと青い魔物の体液が付着している。
(天王寺駅は、大阪南部の最大の交通要所だった。地上には阪和線の櫛形ホームがあり、地下一階には大阪環状線と大和路線の複々線が走り、さらに地下深くには地下鉄御堂筋線と谷町線が交差している。これほど多くの路線が交わる場所は、魔力の龍脈にとっても超一級の合流点だ)
鉄平は脳内で、かつて暗記した天王寺駅の配線図を反芻した。
大崩壊前、この駅は一日数十万人もの乗客を捌くために、緻密極まる運行ダイヤと配線技術によって制御されていた。その制御が失われた今、ここは無秩序な魔力が渦巻く混沌の巣窟だ。
ヒタヒタと、湿った足音が暗闇の奥から聞こえてくる。
鉄平はすぐさま近くの太い柱の影に身を潜めた。
現れたのは、三匹のゲート・ハウンドだ。かつての改札口の金属製ゲートが肉体と融合したような、異様な姿をした四足歩行の魔物である。危険度はDランク。普通の探索者なら複数人でなければ手こずる相手だ。
鉄平は息を殺し、スマホに表示された始発の改札口の画面を見つめた。
(猟犬どもの巡回ルートは、かつての近鉄南大阪線への連絡通路方面。速度は時速十五キロメートル。次の分岐点を右折する確率は八十パーセント……)
彼には、魔物の移動経路が「赤い運行スジ」として見えている。
もし戦闘になれば、Fランクの鉄平に勝ち目はない。だが、敵の運行スジが完全に見えている彼にとって、このダンジョンは「自分だけが信号をコントロールできる線路」のようなものだ。
鉄平は猟犬たちが角を曲がった瞬間、逆方向の通路へと音もなく駆け抜けた。
猟犬たちをやり過ごした後、鉄平は柱の影で少し息を整えた。緊張で喉が渇き、胃袋がキュウと鳴る。彼は防人ジャケットの内ポケットから、アルミホイルに包まれた物体を取り出した。ギルドをクビになる直前、梅田の地下街で買っておいた特製の魔導温熱たこ焼きだ。
ホイルを開けると、出汁と青のり、そして甘辛いソースの香ばしい匂いが狭い通路にふわりと広がる。爪楊枝で一つ口に運べば、外はカリッと香ばしく、中はトロトロの生地がハフハフと熱を帯て舌の上でとろけた。タコの弾力ある歯ごたえと紅生姜の辛みが、疲れた脳にダイレクトに糖分と塩分を補給していく。
「ふう、やっぱり大阪のダンジョン攻略にはこれが欠かせないな」
スマホの画面に目を落とすと、探索者配信アプリの通知が目に留まった。現在地付近で配信中のアカウントがあるらしい。タップして開くと、そこには「【Sランク】六甲玲奈の迷宮踏破ライブ!」というタイトルが表示されていた。画面の中では、まさに今、白髪の少女が凛々しい表情でダンジョンを進んでいる。コメント欄には、「玲奈ちゃん今日も可愛い!」「でも進んでる方向、それ行き止まりじゃね?」「また遭難するぞ」といった視聴者たちのハラハラしたコメントがリアルタイムで流れていた。
「……生配信しながら迷子になってるのか、このSランク」
鉄平は呆れながら、目の前の現実の通路の奥へと視線を向けた。
かつての阪和線ホームへと続く長い連絡通路。
そこに足を踏み入れたとき、通路の奥から激しい金属音が響き渡った。
キィィィン! と、空気を引き裂くような高音。直後、凄まじい青い火花が暗闇を照らし出す。
「はあああっ!」
凛とした、しかしどこか焦りを含んだ少女の声が響いた。
鉄平は驚いて通路の陰から様子を伺った。
そこにいたのは、信じられないほど美しい少女だった。
透き通るような白髪をポニーテールにまとめ、白とゴールドを基調とした魔導甲冑を纏っている。彼女が手にする日本刀からは、バチバチと青い電光が迸っていた。
彼女の周囲を取り囲んでいるのは、十匹以上の「踏切の兵卒」だ。遮断機のバーを槍のように構えた、天王寺ダンジョンの中層に蠢く厄介な魔物である。
(白い甲冑……それに、あの青い電光の剣術。まさか、東日本ギルドから亡命してきたっていう、Sランクの六甲玲奈か?)
噂には聞いていた。東京の壊滅時に西日本へと逃れてきた、若き天才剣士。
だが、なぜSランクの英雄が、こんな難易度の低いCランクダンジョンで戦っているのだ?
「ふん、この程度の雑魚どもが!」
玲奈が地を蹴った。その動きは目にも留まらぬ速さだった。
一瞬で三匹の兵卒の胴体を両断する。すさまじい剣技だ。Sランクの評価に偽りはない。
玲奈の身のこなしは美しく、無駄がない。日本刀を振り抜くたびに迸る青い雷光が、コンクリートの壁に鋭い焦げ跡を刻んでいく。だが、鉄平の目から見れば、その卓越した剣技は過剰な魔力消費の上に成り立っていた。一撃一撃が必殺の威力を秘めているものの、間合いの管理や敵のヘイト制御が粗い。魔物の槍を力任せに弾き返すたびに、彼女の魔力障壁が激しく火花を散らし、急速にエネルギーを摩耗させているのが、スマホの画面に「電圧降下」の赤文字として警告されていた。
しかし、鉄平は彼女の立ち回りを見て、ある決定的な違和感を覚えた。
(……おかせる。なんであいつ、わざわざ敵の湧きポイント(デッドエンド)に向かって突っ込んでるんだ?)
天王寺駅の地下通路は複雑入り組んでいる。特に阪和線への乗り換えルートは、大崩壊時の魔力歪みによって空間が歪曲し、特定の通路を行き来すると元の場所に戻る「ループ構造」になっている。
玲奈は圧倒的な強さで魔物を切り伏せているが、進む方向が完全に間違っていた。
彼女が向かっているのは、行き止まりであり、かつ魔力の噴出孔である「魔力溜まり(転車台跡地)」。そこは魔物が無限にリスポーンする危険地帯だ。
「はあ、はあ……。おかしいわね。さっきからずっと同じような壁を見ている気がするけれど……。いいえ、私は確かにまっすぐ進んでいるはずよ!」
玲奈は刀を構え直し、息を荒くしながら呟いた。
鉄平は額を押さえた。
(もしかして……ものすごい方向音痴なのか?)
彼女が歩いているのは、かつての降車専用ホームの裏通路だ。案内板も壊れており、直感だけで進めば必ず迷うように設計されている。
案の定、玲奈が進んだ先から、さらに多くの魔物が湧き出してきた。
今度は、遮断機の警告灯を赤く光らせた中ボス級の魔物、「警報の監視者」まで姿を現す。
「ウゥゥゥン……」
不気味な警報音が鳴り響き、周囲の魔力濃度が跳ね上がる。
「くっ、また増えた!? このダンジョン、構造がおかしすぎるわ! 出口はどこなのよ!」
玲奈の剣のキレが、疲労によってわずかに鈍り始める。いくらSランクとはいえ、無限に湧き出す魔物を相手に、脱出経路も分からずに戦い続ければ、いずれ魔力が底をつく。
鉄平はスマホの「始発の改札口」を見つめた。
玲奈の現在地は、転車台跡地の直前。あと十歩進めば、完全に魔物の群れに包囲され、退路を断たれる。
助けるべきか。Fランクの自分が出ていっても足手まといになるだけかもしれない。
だが、鉄平の脳裏に、かつてギルドの先輩に言われた言葉が蘇った。
「スジを引くってことはな、乗客の命を預かるってことだ。ダイヤの乱れは、誰かの死に繋がるんだよ」
鉄平は深く息を吸い込んだ。
「……おい! そこの白髪の剣士! 立ち止まれ!」
鉄平は柱の影から叫び、通路へと躍り出た。




