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第1話 遅延した人生

どん、と分厚い書類の束が机に叩きつけられた。

「八雲鉄平。本日をもって、君を我が「日本軌道探索者ギルド」大阪総本部・ダイヤ調整課から解雇する」

 上司の肥大した腹が、怒気とともに小刻みに揺れていた。

 鉄平はボサボサの黒髪の隙間から、眠そうな目で目の前の男を見上げた。手元にあるスマホの画面には、京阪神エリアの防衛結界同期システム「SUNTRAS」の魔力流動グラフが表示されている。

「解雇,ですか」

「そうだ。君のような戦闘能力のないFランク探索者を養っておくほど、我がギルドは慈善事業を行っているわけではないのだよ」

 上司の背後では、ピカピカの魔導アーマーを身に纏ったエリート探索者たちが、クスクスと鼻で笑っていた。

「あの、課長。俺が引いているダイヤ(運行計画)のスジのおかげで、この大阪環状線は過去三ヶ月間、一度の魔力暴走も起こさずに運行できているはずですが。このダイヤを崩せば、龍脈 of 魔力バランスが崩れて駅の防壁出力が低下します」

「ハッ! たかが紙の上に線を引くだけの作業で、偉そうに防衛を語るな! 魔物を倒すのは我々探索者の剣と魔法だ。お前のような戦闘力測定で十点未満を叩き出したゴミが、安全を語るなど片腹痛いわ!」

 エリートの一人が、肩をすくめて吐き捨てた。

 鉄平はため息をついた。

 彼らの言う戦闘力測定とは、魔導具で強化されたダミー人形をどれだけ強い物理・魔法攻撃で破壊できるかという、単純極まりないものだ。確かに鉄平の身体能力は一般人と変わらず、攻撃魔法の適性もない。

 だが、この世界において、最も重要なのは防衛の持続性である。

 五年前、日本は「大崩壊(グレート・ディレイ)」と呼ばれる未曾有の災厄に見舞われた。糸魚川静岡構造線以東の日本は「漆黒領域」と化し、東京を含む東日本は完全に壊滅。首都機能は「第二都・大阪」へと移転した。

 魔力は地面を通じて流れる。その暴走を抑える避雷針であり、防衛の結界となっているのが、大地に敷かれた「線路レール」だ。そして、線路の上に魔力を安全に流すための流動軌道こそが「ダイヤグラム(スジ)」に他ならない。

 ダイヤが乱れることは、魔力の滞留を意味する。魔力が滞留すれば、そこから凶悪なモンスターが湧き出し、駅というセーフティエリアを飲み込んでしまう。

「分かりました。そこまで言うのなら、身を引きます」

鉄平はそれ以上反論するのをやめた。何を言っても、彼らの脳には「戦闘力=正義」という単純な方程式しか刻まれていないのだから。

愛用のJR仕様の紺色の防人ジャケットを羽織り、鉄平は私物を整理した。最も大切なものは、すでに懐に入っている。それは、国家から支給された探索者証ではなく、幼少期から肌身離さず持っている、ある特別な魔導具だった。

ギルドのビルを出ると、梅田の街は相変わらずの人混みだった。だが、頭上を見上げれば、梅田駅の真上には巨大な半透明のドーム状結界が張り巡らされ、その外側では時折、赤黒い魔力の稲妻が走っている。

(さて、どうしたものか……)

ポケットの中で、鉄平は自身のユニークスキル「始発の改札口(オリジン・ゲート)」とリンクした魔導具――「ICOCA」のプラスチックの感触を確かめた。

彼のスキルは、戦闘には一切使えない。ただ、脳内に「西日本エリアのすべての配線図と運行ダイヤ」を展開し、リアルタイムで魔力の流れと敵の移動予測を同期するだけだ。ギルドの評価制度では「事務用補助スキル」として最低評価のFランクに分類されていた。

しかし、鉄平は知っていた。このスキルが、どれほど異常なものかを。

(ギルドの連中には、この大地のレールがただの鉄くずに見えているんだろうな)

鉄平は一人、大阪環状線の内回り列車に乗り込んだ。

彼が向かったのは、大阪の南の主要ターミナルである「天王寺駅」だった。

ただし、現在の天王寺駅は、地上のわずかなエリアだけが安全なセーフティエリアとして確保されているに過ぎない。地下に広がるかつての巨大な改札階や、阪和線、関西本線(大和路線)のプラットホーム跡地は、魔力が濃縮された未攻略ダンジョンと化している。

「天王寺駅地下迷宮。危険度Cランク。現在の防衛ラインは地上改札まで」

ダンジョンの入り口である、錆びついたシャッターの前に立つ。周囲には立ち入り禁止の黄色いテープが貼られ、監視用の自動防衛ドローンが浮遊していた。

「おい、君! そこから先は探索者ライセンスCランク以上でなければ進入禁止だぞ!」

警備のギルド職員が声をかけてくる。

鉄平は懐から、先ほど返却し忘れたFランクの探索者証を提示した。当然、通してもらえるはずがない。

だが、鉄平は動じず、懐からもう一枚のカード――ギルドの「ダイヤ調整課専用マスターキー(運行管理パス)」を取り出した。これは解雇されたとはいえ、今日の深夜までは有効なはずだ。

パスをセキュリティ端末にかざす。ピッと電子音が鳴り、シャッターの横 of 通用口が静かに開いた。

「なっ、ダイヤ調整課の人間か? だが、なぜFランクが単独でこんなところに……!」

「少し、路線の状況を確認しに。上からの指示です」

嘘ではない。今日の朝までは上司の部下だったのだから。

職員が慌てて端末を確認している隙に、鉄平は通用口へと滑り込んだ。背後でシャッターが閉まる音が響く。

一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような冷気と、濃密な魔力の匂いが鼻腔をくすぐった。

薄暗い階段を下りていく。かつて何万人もの通勤客が行き交った天王寺駅の地下街は、今やひび割れたアスファルトから不気味な光を放つ魔力結晶が生え揃う、静寂の墓標と化していた。

(ここが、天王寺ダンジョン……)

鉄平はスマホを取り出し、自身のスキル「始発の改札口オリジン・ゲート」を起動した。

脳内に、かつての天王寺駅の複雑極まる配線図が、青い三次元ホログラムのように浮かび上がる。

大阪環状線、関西本線、阪和線。さらにそれらを繋ぐ無数の渡りポイント

かつて彼が愛してやまなかった、複雑で美しい線路の芸術が、魔力の回路となって脈打っているのが見えた。

「……よし。まずは、かつての阪和線連絡通路から、魔力の源泉を探るか」

鉄平は紺色の防人ジャケットの襟を立て、暗闇の中へと歩き出した。彼の目には、誰も見ることのできない魔力の運行スジが、はっきりと見えていた。

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