第26話 手書きダイヤの軌跡
深い暗闇と、五感を狂わせる粘り気のある魔霧の中。
金属の冷たい床に膝をついた八雲鉄平は、鉛筆を握る指先に全神経を集中させていた。
彼の手元にあるのは、ギルドのダイヤ調整課で支給された、何の変哲もない紙のメモ帳だ。大地のレイラインと同期するはずのスマートフォン型端末は、シャドウ・ラインの停電結界による強力なジャミングで完全に砂嵐と化している。
しかし、鉄平の脳内に広がる西日本の鉄道路線図と運行知識は、魔霧によって遮られることはない。
シュッ、シュッ、と鉛筆の芯が紙の繊維を削る乾いた音が、静まり返った運転室に響く。
「無駄な足掻きを……!この結界のなかで、動く機械など存在せぬ!」
ホームの闇の向こうから、変電魔導士の耳障りな声が響き渡った。
奴が掲げた高圧電線型の魔導杖の先端から、バリバリと不吉な紫色の火花が散る。次の瞬間、空間を裂くような破壊音と共に、太い紫色の雷撃がキハ120形に向けて放たれた。
「鉄平には、指一本触れさせない!」
すかさず玲奈が前に躍り出た。
天羽々斬・改を両手で構え、迫り来る雷撃を真っ向から受け止める。
ギギギギ、と激しい光と金属音が激突し、玲奈の纏う魔導甲冑から火花が吹き飛んだ。延命水と出雲蕎麦によるステータスバフのおかげで、直撃こそ防いでいるものの、暗闇と魔霧によって敵の魔力軌道が正確に読めない。防壁を持たない今の状態では、衝撃波をまともに肉体で受け止めるしかなく、玲奈の細い足が床板を踏みしめて悲鳴を上げた。
「くっ……!」
「ふはは!その小娘がいつまで持つかな?この停電結界は、備後落合に集う三つの龍脈を全て逆流させているのだ。無限の魔力による雷撃に、どこまで耐えられるか!」
変電魔導士の杖から、さらに二条、三条と紫の雷光が走り、玲奈を襲う。
玲奈は青い雷光を刀身に纏わせ、必死にそれを切り払うが、防戦一方で体力が確実に削られていく。額から冷たい汗が流れ、息が荒くなっていくのを鉄平は背中で感じていた。
(焦るな……。計算しろ。備後落合駅の分岐器は合計六つ。木次線、芸備線新見方面、芸備線三次方面。この三本のレイラインが交差する結節点の魔力キャパシティは――)
鉄平の脳内演算スピードは、限界を超えて加速していた。
キハ120形は非電化区間のディーゼル車両だが、魔導改造されたこの車体には、非常時に大地の龍脈から直接魔力を吸い上げるための「緊急バイパス回路」が搭載されている。それは、架線がないローカル線で立ち往生した際の最後の救命措置だ。
しかし、結界によって魔力が逆流している今、まともに回路を開けば、暴走した魔力がエンジンを内側から爆破してしまう。
防ぐためには、逆流する大地の魔力の「波形」と「位相」を完璧に読み切り、それをエンジンの燃焼サイクルに同調させるための「一時的な疑似運行スジ」を、手書きで設計するしかない。
シュシュシュシュ!と鉛筆の動きがさらに速くなる。
紙の上には、無数の細い線と記号が描かれていく。縦軸は時間、横軸は駅と龍脈の周波数。これこそが、大地の狂った魔力を手なづけるための、神のダイヤグラムだった。
「はあぁぁぁ……っ!」
玲奈の鋭い気合と共に、天羽々斬・改が紫の雷撃を大きく弾いた。しかし、その反動で彼女の華奢な体がキハの運転台へと叩きつけられる。
「玲奈!」
「私は、まだいける……!鉄平、早く!」
玲奈はよろめきながらも、再び刀を構えて鉄平を背中でかばう。その瞳には、かつて梅田の地下で迷子になり、恐怖していた自分を優しく救い出してくれた鉄平への、絶対的な信頼が宿っていた。
(終わった。これなら繋がる!)
鉄平は鉛筆を投げ捨て、メモ帳のページを破り取った。
彼は立ち上がり、暗闇のなかでキハ120形の運転台の中央にある、魔導通信ポート(ICカード読み取り部)へ、その手書きのダイヤが描かれた紙を強く押し当てた。
「ユニークスキル「始発の改札口」――手書き運行スジ「全線運行復旧」、強制同期!」
鉄平が叫ぶ。
その瞬間、紙に描かれた鉛筆の線が、眩いばかりの青い光を放ち始めた。
青い光の粒子が、スジに沿ってジグザグに走り、キハの計器盤へと染み込んでいく。
ドオオオオオオオオ!
沈黙していた魔導ディーゼルエンジンが、まるで心臓マッサージを受けたかのように、地鳴りのような爆音を立てて強制再起動した。
車内灯が一斉に点灯し、眩しい白光が運転室を満たす。
それと同時に、キハ120形のフロントガラスから、強烈な青色の防衛障壁が扇状に展開された。
バチィィィン!
変電魔導士が放った追撃の雷撃が、その強固な障壁に衝突した瞬間、乾いた音を立てて完全に霧散した。
眩い光に目を細める変電魔導士の前に、キハ120形の堂々たる姿が浮かび上がる。
「な、何だと……!?手書きの紙きれ一枚で、この停電結界の同期をバイパスしたというのか!?」
変電魔導士が驚愕に声を震わせる。
鉄平は静かに運転席のシートに腰掛け、スマホ端末を手に取った。画面には、強制再起動によって復活した運行管理画面と、一時的に制御下に置かれた備後落合駅の路線図が映し出されていた。
「玲奈、お待たせ。ここからは俺のダイヤで走る」
鉄平は眠そうな目を少しだけ細め、不敵な笑みを浮かべた。
「よし!いつでもいけるぞ、鉄平!」
玲奈は体の痛みを忘れ、全身から青い稲妻を放ちながら、嬉しそうに微笑んだ。
「うおおおおおおエンジンかかった!」
「手書きの紙でハッキングとかマジかよwww」
「スジ屋の兄ちゃんかっこよすぎるだろ!」
「解説しよう!今のは「全線運行復旧」の変則技だ!電子機器が死んでいても、プランナー自身が紙に描いたダイヤの物理的軌道から魔力をキハの制御板に直接流し込み、エンジンを強制点火したんだ!こんなのアナログダイヤを極めたプロにしかできない神業だぞ!」
「解説鉄ニキ、熱すぎて草。でもまじで鳥肌たったわ」
「玲奈ちゃんも良く耐えた!ここから反撃開始だ!」
「シャドウ・ラインの変電魔導士、震えて眠れ!」
配信スレのコメント欄が、光のような速度で復旧し、視聴者たちの興奮が画面を埋め尽くしていく。
鉄平はノッチレバーを握り、目の前の変電魔導士を鋭く見据えた。




