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第25話 限界の終着駅備後落合

三井野原駅を過ぎ、勾配を下り始めたキハ120形は、周囲の景色が急速に闇に溶けていくのを感じていた。

 昼間であるはずの時間帯だが、前方の線路は不気味な黒い霧、ただの霧ではない、大気の魔力を著しく阻害する魔霧(まむ)に覆われていた。

 ライトの光すら十メートル先を通さない暗闇の中、キハ120形は徐行でゆっくりと進み、ついに備後落合駅のホームへと到達した。


 備後落合。

 かつては木次線と芸備線が交わり、山間部の鉄道の要衝として多くの蒸気機関車や乗客で行き交った栄華の駅だ。しかし、今のホームは静寂と冷たい漆黒に支配されている。


「……静かすぎるな」


 玲奈が刀の柄に手を当てたまま、周囲を警戒する。

 その瞬間、キハ120形の床下で、かつて快調に回っていた魔導ディーゼルエンジンがプスプス……と不規則な音を立て、完全に停止した。同時に、車内灯がすべて消え、深い闇が二人を包み込む。


「何だ!? エンジンが止まったぞ!」

「……こちらのシステムもダウンした」


 鉄平はスマートフォンの端末を見つめた。画面は砂嵐のように乱れ、大地のレイラインを示す光が完全に消失している。


「これは、シャドウ・ラインの停電結界だ。意図的に高濃度の魔力妨害波を流し、すべての魔導機械と運行管理システムとの同期を遮断している」

「な、何だと!? では、お前のスキルも使えないのか!?」

「ああ。敵の位置の予測も、速度の遅延も、徐行の強制も、今は何一つできない」


 鉄平の言葉に、玲奈の体に緊張が走る。彼女は周囲を鋭い視線で見回したが、どこから敵が来るのか、その気配すら掴めない。大気中に満ちる魔霧が、五感を麻痺させているのだ。

 今までは鉄平の完璧なナビゲートにより、玲奈はまるで未来を知っているかのようにノーダメージで敵を倒すことができた。しかし、その絶対的なナビが失われた今、自分はただの暗闇の中に取り残された剣士に過ぎない。もし敵がこの闇の中から不意打ちを仕掛けてきたら、本当に鉄平を守り抜くことができるのだろうか。

 玲奈の心に、これまで感じたことのない焦りと不安が去来していた。これまでは鉄平に頼り切っていた自分に気づき、今こそ自分が盾となり剣となって彼を守り抜くのだと、玲奈は天羽々斬・改を強く握り直した。


 ふと、張り詰めた沈黙を破って、玲奈のお腹がキュルルと情けない音を立てた。


「……玲奈、腹が減っているのか?」

「仕、仕方ないだろう! 三井野原でゆっくり飯を食う時間がなかったのだ!」


 玲奈は照れ隠しに頬を赤らめながら、懐から竹の皮に包まれたものを取り出した。道中の車内で食べようと買っておいた、山陰名物の鯖の押し寿司だ。


「鉄平、お前も食え。こんな時だからこそ、体力をつけておくべきだ」


 二人は暗闇の中、並んで座席に腰掛け、押し寿司を口に運んだ。

 一口かじると、酢でしっかりと締められた肉厚の鯖から、極上の脂がじゅわりと溢れ出してきた。米粒一つひとつに染み込んだ酢のさっぱりとした酸味と、薄く重ねられた昆布の濃厚な旨味が、鯖のコクを何倍にも引き立てている。醤油がなくとも完成されたその味わいは、冷めても驚くほど旨い。冷たい寿司が喉を通り、胃腑へ落ちていくたびに、緊張で強張っていた玲奈の身体に、大地の魔力とは異なる純粋なエネルギーが満ちていくのを感じた。


【魔導グルメバフ獲得:山陰特製・鯖の押し寿司】

【効果:精神疲労度完全リセット、脳内演算精度+20%、および一時的な闇属性耐性+30%(効果時間:3時間)】


「……旨いな。酢の酸味が効いて、頭が冴えてきた」


 鉄平も咀嚼しながら、静かに目を細めた。

 だが、鉄平の様子は違っていた。彼は暗闇の中で目を閉じ、静かに呼吸を整えていた。彼の脳裏には、いかなる緊急事態においても運行の安全を最優先にするという、ダイヤプランナーとしての揺るぎない覚悟が満ちていた。


「おいおいおいシステムダウンとか嘘だろ!?」

「配信の画質がめっちゃ荒くなってんだけど!」

「停電結界とかやばすぎだろ。スキル無効化は詰みじゃね?」

「解説しよう! 備後落合駅は、かつて山陰と山陽を結ぶ三つの路線が合流する最大のジャンクションだ! そのため大地の龍脈の結節点でもあり、ここを停電結界で封鎖されると、接続された全路線の魔力供給が完全にストップしてしまうんだ!」

「そんな最悪の場所でシステムダウンとか、完全に罠にはめられたな……」


 ガサガサ、とホームの向こうの暗闇から、砂利を踏みしめる音が近づいてきた。

 霧の奥から現れたのは、黒いローブを纏い、顔を不気味な鉄仮面で覆った男、テロ組織シャドウ・ラインの変電魔導士だった。

 男の右手には、高圧電線を模した不気味な魔導杖が握られ、そこからパチパチと紫色の不吉な火花が散っている。


「ふははは……。JRの飼い犬どもめ、よくぞここまで辿り着いた」


 変電魔導士は耳障りな声で笑った。


「この駅は、かつて山を繋ぐ鉄の牙であったが、今や我らの停電結界の核。ここで貴様らの動く鉄屑を破壊し、山陰と山陽の結界を永遠に切り裂いてくれる」

「シャドウ・ライン……!」


 玲奈が前に出ようとするが、鉄平がその肩を掴んで制した。


「待て、玲奈。暗闇の中での無謀な突撃は敵の思う壺だ。奴の持つ杖が、この結界の魔力ジャミングの起点になっている。だが、今の俺たちには奴の攻撃を避けるためのナビがない」

「では、どうするのだ! ここで手をこまねいていれば、じり貧だぞ!」


 玲奈は焦燥に駆られながらも、刀の切っ先をわずかに下げ、敵の魔導杖から不規則に放たれる紫色の火花を凝視した。火花が散るたびに、周囲の魔霧が波打ち、微かな風切り音が聞こえる。奴はいつでも雷撃を放てる構えだが、火花の明滅にはわずかな呼吸のズレがある。そこを突けば、ナビなしでも一撃を見舞えるかもしれない。だが、もし外せば、無防備な鉄平が標的になる。玲奈の背中に冷たい汗が流れた。


「焦るな」


 鉄平は暗闇の中、胸のICOCAケースをぎゅっと握りしめた。

 端末は使えない。スキルも発動しない。

 しかし、彼の頭脳に焼き付いた備後落合駅の正確な配線図と、列車の制動距離の記憶だけは、誰にも奪うことはできなかった。


「機械がダメなら、頭でスジを引く。それだけだ」


 鉄平の眠そうな目が、暗闇の中で静かに、だが熱く据わった。

 彼は懐から、かつてダイヤ調整課の研修用に使っていた紙のメモ帳と、一本の鉛筆を取り出し、床に膝をついた。

 暗闇の中、鉛筆の先が紙と擦れるサラサラ、シュシュという微かな音だけが響く。


「玲奈、奴の攻撃を正面から受け止める準備をしておけ。十秒だけでいい。俺がキハを強制起動するスジを描く」


 鉄平は鉛筆を握り締め、真っ暗な空間の中で、記憶だけを頼りに紙の上に線を走らせ始めた。かつてないほどの緊張感が彼の指先を走る。大地のレイラインが途絶えたこの備後落合駅で、手書きの運行スジが、奇跡を呼び起こすための唯一の光となろうとしていた。



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